コラム
002

菓子器 川真田克實 作/桑村祐子

名残の椿を慈しむ 早春のしつらい
和久伝02

水ぬるむ三月下旬、そろそろと伸ばした手足に寒の戻りが凍みるころ、比叡のお山では山麓から湖上のいたるところで比良八講がおこなわれます。法華経をいただき無事を願えば、ようやく京都に春が訪れるのも毎年のならい。いっぱいの陽気に満たされた鴨川沿いの柳たちが、そのしなやかな枝々にたくさんの愛らしい芽を吹いた様子は、白緑色(びゃくろくいろ)のうす衣を重ねたかのようです。善峰寺から醍醐寺あたり、保津峡や宇治川くだりと洛西洛南のあちらこちらでは、すでに花見を待ちわびる人々で賑わい、桜はまだ浅い春の陽に応えようと健気につぼみをひらいて見せます。洛中に入って、白川や高瀬川の長閑な流れを眺めてそぞろ歩けば、あたりはにわかに花の宵。群れ集う人々が、一年のうちで最も刹那に酔いしれるひとときです。

そんな華やかな「桜」の喧騒の中にあって、静かにもうひとつの春の花、「椿」を慈しむ人々がいます。ごくごく親しい人たちが、名残りの椿を心ゆくまで楽しむためのささやかな会。この「椿の日」のために、友人や知人のツテを辿り、遠く深山の奥から届けられる椿の枝を、約束事に捕われることなく、花の姿に合わせては好みのうつわを取り合わせるという習慣には、心養われる思いがします。 中には遠方よりお客様をお招きし、数千余の種類があるとされる椿や侘び助の珍種の美しさを愛でつつ、「燕返し」「蜀紅」「黄鳳」などの何とも妙をこらしてつけられた椿の名とともに繰り広げられる花談義もあるとか。

毎年、しつらえる趣向は変わっても、変わらないのは同じ山の同じ樹から届けられること。待つ人のために椿の枝を手折って送る、贈る人と待つ人の互いがあってこその花便りです。

さて、もっぱら待つ一方のわが身。時季が近づくとまず好みのうつわを取りだして、お会いしたい方々のお顔を思い浮かべます。取り合わせやしつらいを考えるうえで、大切にしていることと言えば、「簡素に」ということでしょうか。そして自分の身の丈、年齢に合わせて調えるよう心がけてはいますが、時には一寸背伸びもしたいものです。

そこで、今年の主役は黒柿の菓子器。この六角の上皿は寄木で合わせるのが常套のところ、あえてくり出しでつくるという大胆さに心惹かれます。自然が生み出す指紋のように二つとない文様が、彫り出しゆえに柔らかい一体の曲線でつながっています。三つ足は同じ黒柿を指物で接ぎ、黒漆をかけただけのもの。格を感じさせながら自由で不敵、しかも素朴なやさしさが漂っています。作家は、古典の名作が放つ敵わない「力」を一旦のみ込み、自身の全身から瞑想的な感覚のみを通して、匹敵する新たな「力」を現象させています。

うつわが、花が、互いを待ちわびていたかのように思える穏やかな春の一日。こんな日にめぐりあえる幸せを思うと、比叡のお山に向かって自然と手を合わせてしまいます。そうして、あとは、逢いたい人を待つばかりです。

桑村祐子 ◆ くわむら ゆうこ 
高台寺和久傳 女将。京都の丹後・峰山で開業した料理旅館をルーツとし、現在は高台寺近くに門を構える料亭の女将として和の美意識を追求している。「心温かきは万能なり」が経営の指針。

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