コラム
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Rolls-Royce/涌井清春

ロールス・ロイスの光 ベントレーの風に 魅せられて
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Rolls-Royceというのは「英国の高級車」としてどんな小さな英語辞書にも載っているほど有名です。しかしスポーツカーでもないせいか、モデルの歴史や詳細はけっこうな車好きでも「手間暇かかった高級車」というだけで、一般の人々と同じようなイメージしかなかったのです。今はインターネットで調べたりできますが、資料は洋書しかなく、とくに古いモデルのほうが形がいろいろあって「何が何だか」という面があります。

 

 車の骨格がモノコック構造になる以前、1960年代半ばまでは、走行できる完成シャシーに、別途にこしらえたボディを乗せて完成車とする作り(セパレート・シャシー)だったので、ボディ・デザインはセダンもクーペも屋根なしのオープンでも注文主の好みに応じて製作でき、モデルの多様性があったのです。ロールス・ロイスは完成シャシーをつくり、ボディはその子会社を含めたコーチ・ビルダーという馬車時代からの工法を引き継いだいくつかのボディ製造会社が製造していました。そのために昔のほうがスタイルに多様性があり、1台あるいは数台しか製作していないという車がけっこうあります。

 

 戦前のカタログにはシャシー代と、ボディ代は別に記してあります。たとえばこのようなボディを乗せるなら、コーチ・ビルダーはこの会社がお勧めで、総額がこのぐらいです、というわけです。注文する側は内装や細部に自分の好みを伝え、コーチ・ビルダーが手づくりする車の完成を1年近く待つのが普通だったそうです。モノコック構造が自動車の主流になるまでは、それが高級車の当然であり、貴族にとっては自分の服や靴、猟銃などの道具は個別注文で作るものという英国社会の伝統に見合った形だったのでしょう。

 

 ロールス・ロイスも戦後は自社から決まった形の量産ボディをのせた完成車を販売し、伝統的なコーチビルト車は減ってバリエーションも少なくなっていきました。それでもベントレー・コンチネンタル、同フライングスパーなど素晴らしいコーチビルト車を製造しています。1960年代半ばからは自動車会社としては遅まきながらモノコックを導入したので、スタイルの多様性は、ほぼなくなりましたが、ファンタムという大型リムジンは1980年代までその工法で製造されていました。

 

 私が古いロールス・ロイスの販売を思い立ったのは、有名ブランドなのにモデルの実体がよく知られていない状態であった日本で、クラシック・ロールス・ロイスとベントレーの一番店を目指そうと思ったからです。これは時計会社にいたときに学んだマーケット理論で、一番店のみ生き残れるという考えに基づいたのです。ロールス・ロイスとベントレーのクラシックという特殊な車の世界で、日本になかった一番店をつくることを手探りで始めました。そして川を遡るように古い車への興味と見識を深めては集め、ミュージアムまで開いてしまったのです。

涌井清春 ◆ わくい きよはる 
1946年生まれ。時計販売会社役員を経て、古いロールス・ロイスとベントレーの輸入販売を主とする「くるま道楽」を開く。海外からのマニアも来訪するショールームを埼玉県加須市に置き、2007年からは動態保存の希少車を展示した私設のワクイ・ミュージアムを開設。

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