世界の古いものを訪ねて#5

二千年の湯けむりと、五千年の石の輪を旅して

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骨董に通じる「ただそこにある」美しさ。ローマン・バスとストーンヘンジを歩く

 

前回の記事「石に囲まれた風景と、人の暮らしに根ざした歴史をたどる」のドライブ旅後編。

 

 

 

前回は、イングランド南西部に位置するコッツウォルズ地方とバースを訪れ、石という共通点から、風土の美と都市の美という二つの姿をご紹介しました。今回はさらに時代をさかのぼり、バースのローマン・バス、そして先史時代の石の遺構ストーンヘンジをめぐります。理由の有無にかかわらず、ただそこにあるという確かさに美しさを見出すことは、骨董にも通じるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

バースを訪れた理由のひとつに、アンティークマーケットを巡りたいという目的がありました。ところが、その日はどのマーケットもお休み。次の予定までまだ時間があるし、さてどうしようかと街を歩いていたとき、人の賑わいに引き寄せられて辿り着いたのが「ローマン・バス(Roman Baths)」です。

 

 

 

 

 

 

 

2000年前から湧き続ける温泉を囲む、古代の浴場跡。映画『テルマエ・ロマエ』の世界が、まさかここイギリスに広がっているとは……歴史に詳しい方なら常識かもしれませんが、勉強不足の私は驚きました。実は「バース」という地名は、英語で“入浴”を意味する“bath”に由来します。古代ローマ人がこの地に温泉を見つけ、女神スリス=ミネルヴァを祀る神殿と浴場を築いたのが、この街の始まり。地下深くに染み込んだ雨水が地熱で温められ、約46度のお湯となって、2000年以上もの間絶え間なく湧き出しているのです。

 

 

 

 

 

 

入場口を抜けると、目の前に広がるのは大浴場(Great Bath)。ローマ時代、この場所は体を清めるだけでなく、社交や政治、宗教儀式の場でもあったのだそう。ゆったりとした順路を進みながら、湧き水の音とわずかな硫黄の匂いに包まれると、遠い時代の人々の気配が少しずつ近づいてくるようです。

 

 

 

 

 

 

青緑色の湯面が朝の光をやわらかく返し、乳白色の天井を揺らめかせています。湯の上に立ちのぼるかすかな湯気が頬をかすめ、子供たちは不思議そうな表情で、湯面に映るバースの街を覗き込んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

日本人にとって馴染み深いお風呂文化ですが、改めて考えると、浴場とは面白いものです。お湯が湧き、そのお湯のためだけに建物が建てられる。理由に共感できるからこそ美しいと感じられる空間が、ローマン・バス全体に満ちていました。

 

 

 

 

 

 

一方で、理由を理解できないからこそ面白いものもあります。

バースを後にして向かったのは「ストーンヘンジ(Stonehenge)」。世界で最も有名な先史時代の遺跡のひとつで、なんと紀元前3000年〜2000年頃に築かれたストーンサークルです。

バースからおよそ1時間。車を駐め、専用シャトルバスで長閑な丘を抜けると、やがて突然、灰色の巨塊が姿を現します。

 

 

 

 

 

正直、へんてこな場所だな、というのが第一印象。広い空と緑の真ん中に、まるでいたずらのように、巨大な石たちがぽつんと置かれている。大きな大きな子どもが積み木遊びをしたようにも感じられました。

 

 

 

 

 

しかし、なぜだか目が離せないのです。1986年に世界遺産に登録されたストーンヘンジ。多くの人々を惹きつける理由は、その大きさや構造だけでなく、「なぜ造られたのか」という目的がいまだにわからないミステリアスな魅力にもあるのではないでしょうか。天文観測の場だったのか、宗教儀式のためだったのか、墓地だったのか、あるいはその全てか。様々な説がありますが、はっきりとした答えは出ていません。またその建造方法や、巨石の運搬方法も、謎に包まれているまま。

 

 

 

 

 

石たちは、私たちを答えの出ないハテナで満たしつつ、黙ってそこに建っています。けれども、遠い昔に、何かしらの理由で人々に愛されてきた石の、存在の確かさは、はっきりと伝わってくるのです。

 

 

 

 

 

 

周りの芝生に寝転んでストーンヘンジを眺めながら、ふと、以前骨董商の方から聞いた「骨董の面白さとは、その物に対する知識などではなく、そこに確かに刻まれた『人の営み』を感じられることにある」という話を思い出しました。茶碗ひとつにも、焼き手の技や迷い、使い手の癖や愛着が残り、そこから想像できる物語が無限に広がる。自分という今に委ねられた、無言の確かさは、いつだって私を夢中にさせてくれます。

ストーンヘンジもまた、そんな存在なのかもしれません。確かなのは「何らかの強い意志を持った人々が、この場所に巨石を運び、並べた」という事実だけ。そしてそこに魅力を感じる、自分という存在の確かさ。

骨董に触れるときと同じように、私はストーンヘンジの石にも、その表面の風化や配置の妙の奥に、見えない背景を探してしまいます。そういう意味で、ストーンヘンジを世界最大級の「屋外の骨董」と呼ぶのは、ちょっと大げさでしょうか。

 

 

 

 

 

 

バースからストーンヘンジへ向かう、まっすぐな長い道を、今思い出しています。車窓の外には、羊の点在する丘と、のびのびと太陽へ向かう植物。何百年、何千年も前にも、同じ風景を見た人々がいるのでしょう。

 

 

 

 

ローマン・バスとストーンヘンジは、形も時代も大きく異なります。かたや目的が明らかに伝わっているもの、かたやいまだ謎に包まれているもの。けれども、人が何かを形に残そうとした強い意志と、それを守り続ける時間の流れは共通しています。理由のわかる美しさもあれば、理由のわからない美しさもある。その全てを知ることはできなくても、今ここに確かに存在し、それを感じ取る自分がいるという事実が、胸の奥にじんわりと、温もりに似たものを残してくれるのでした。

 

一泊二日のドライブ旅のレポートは、これでおしまいです。石に刻まれた時の層を辿りながら、いつもとは違う時間の歩幅を感じられた旅でした。次に何か古いものを手にするとき、この感覚を覚えていられたらと願っています。

 

 

Auther

山田ルーナ

在英ライター/フォトグラファー

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