高麗橋𠮷兆で
春のお茶会 初体験

『目の眼』のみなさま、お久しぶりです! 剛力彩芽です。
2019年からあしかけ4年にわたり、茶道や着物など、古美術を通して伝統文化の世界を体験してきたこの連載。その集大成として、懐石の名店「高麗橋𠮷兆」さんで小さなお茶会を開いていただきました。この日のために新調したお着物をまとって初挑戦したお茶会は、新鮮なおどろきでいっぱいでした。湯木貞一さんの心を受け継ぐ𠮷兆のおもてなしを、ぜひ私と一緒にお楽しみください。

↑高麗橋𠮷兆の入口 看板には「真之味道」と書かれています

待合

夢のお茶会へ

 春とは名ばかりのまだ肌寒い朝、大阪・高麗橋にある𠮷兆本店へとやってきました。創業90年あまり、誰もがその名を知る日本料理の名店ですが、高麗橋の本店は2019年に建替リニューアルされてからお茶会の取材は私たちが初めて、とうかがって急に緊張してきました。恐る恐る引き戸を開けると、瓢箪を連ねた暖簾が掛かっていました。この千成瓢箪の縄暖簾は𠮷兆のトレードマークとして初代・湯木貞一さんの頃から店頭にあるそうで歴史を感じます。
 ふと目を転じると、腰掛に煙草盆が置かれ、待合が設けられています。座って良いものか、とまごついていると、「奥に腰掛けて、煙草盆のお道具を見てみましょうか」と、この日の相客をつとめて下さる『目の眼』の櫻井さんがエスコートしてくれました。そしてもう1人、お隣に座ったステキなお着物の方は、京の祇園で「いちえ」というお店を営む小島ひかるさん。なんでも若い頃に高麗橋𠮷兆さんに住み込みで修業され、湯木貞一さんから直々に薫陶を受けたそうで、櫻井さんいわく「謎の特別ゲスト」とのこと。どうやら仕掛け満載の、楽しいお茶会になりそうです。

↑お茶会の相客をつとめてくださったひかるさんは話し上手。この日のために誂えたお着物を褒めていただきました!

 さて、煙草盆には喫煙具一式が納められていますが、1つだけキラキラしたものに眼が引かれて手に取ると、螺鈿の宝珠形香合でした 。漆の黒と虹色にかがやく螺鈿が美しく、大きさのわりに驚くほど軽い。蓋を開けると中は朱漆でまた眼を楽しませてくれました。喫煙具というものは粋な旦那衆の必須アイテムだったそうで、以前は実際に煙草を喫みながら待ったようですが、最近は主に飾りとなっています。時代とともに変化しているのでしょう。

↑煙草盆のなかに仕込まれていた螺鈿宝珠形香合

席入

↑石山切 伊勢集断簡「をちへゆき…」如春庵伝来、青磁筍花入

石山切と若女

 そんな話をしていると本日の茶席「井筒の間」へと案内されました。今日は私が正客ということで先頭をきって入室します。作法が間違ってないか心配しつつ、一礼して顔を上げると、ご主人の湯木潤治さんが笑顔で迎えてくださってホッとしました。「今日は初めてのお茶会ということで少し略式にしました。難しいことは気にせず存分に楽しんでくださいね」との暖かい言葉をいただいた後、勧められて床の間を拝見すると目が釘づけとなりました。美しいのはもちろんですが、なんだか厳かで気高い雰囲気が掛物や花器から伝わってきます。「石山切と青磁の筍花入です。石山切は祖父のコレクションに有名なものがありますが、湯木美術館の所蔵品は使えなかったので、戸田貴士さんと相談して、同じ伊勢集から森川如春庵旧蔵のものをお借りしてきました。やはり歌切には青磁がよく合いますねぇ」と潤治さん。今回は谷松屋戸田商店さんの全面協力により、湯木コレクションの名品を彷彿とさせる構成でお道具を組んでくださったとのこと。脇床に掛けられた能面も江戸時代の貴重な作。

↑〈左〉脇床に掛けられていた能面 「若女」出目満昆(でめ・みつのり)作 共箱 江戸中期 〈右〉𠮷兆高麗橋本店主人の湯木潤治さん

 高麗橋𠮷兆の大広間「澪の間」にある能舞台の松の板絵は、戸田家から湯木家に移されたもので、両家は能を通じての交流もあったそうです。「お茶会は略式でも、お道具は略さない本気モードという趣向ですか」とたずねると、「剛力さんの〝美の手ほどき〟の総仕上げですからね」と、今日はサポート役として同席してくださっている貴士さん。どうやらこの後も、すごいお道具が続々と登場しそうでちょっと怖くなってきました(笑)。

懐石

お料理とうつわの競演

 席入のあと、場を移して懐石をいただきます。この「手習の間」は、床の間の横に菅原道真像を安置する洞があるのが特徴で、本来は天神祭の期間だけ開帳されるそうですが、今日は特別にご登場いただきました。
 懐石とは、お茶事のときに供される食事のこと。抹茶はカフェインが強いので先に軽い食事を出して胃に負担をかけないようにした亭主の気遣いから始まったそうですが、昭和時代にその懐石の趣向や工夫を日本料理に採り入れて和食のレベルをぐーんと上げた人物こそ湯木貞一さん。𠮷兆は現在の懐石料理発祥のお店なのでした。

 亭主である潤治さん直々の配膳で食事が始まりました。折敷には飯椀と汁椀、向付が載っていますが、どれから手を付けたらよいか迷っていると「まずはご飯を一口いただきましょう。この瞬間のために炊き上がりの時間まで計算して最高の状態で供されています。でもここでは全部食べきらないように。亭主がずっと目配りしてますのでどんどんおかわりがでてきますから(笑)」と櫻井さんに教えていただき、ご飯を一口、お汁を一口。うん、おいしい! 向付にはぐじのお造り。

↑飯、汁(白味噌・胡麻豆腐)、向付(ぐじ糸造り)※うつわは金襴手向付(明時代) 折敷 不昧好膳 也二作

↑志野鮑形向付

 「懐石では最初に出て来た向付を取り皿として最後まで使います。懐石の主役と言っていい存在です。今回は剛力さんには志野、ひかるさんには唐津、櫻井さんには黄瀬戸と桃山陶でご用意しました。今日は私もご相伴に与って織部でいただきます」と貴士さん。折敷は白木と塗りが一体となったもので松平不昧公がデザインしたものだとか。江戸時代の大名茶人とききましたがオシャレな人だったんだなぁと感心していると、潤治さんが今度は燗鍋を持って現れました。まずは一献、と朱漆の引き盃に注がれたお酒をいただきます。お酒が入ると自然と笑顔がこぼれ、場になごやかな空気が漂ってみなさん話が弾んできます。その頃合いをみて、お椀がもう一つ登場しました。一見シンプルな黒いお椀かと思いきや蓋にカラスが2羽隠れています。

↑椀物:蛤汁 うつわ:霞蒔絵煮物椀 藤田家伝来

 「藤田家伝来の蒔絵椀です。中は金銀の蒔絵で霞が描かれています」
「椀物は懐石のメインディッシュですから料理屋にとって腕の見せ所なんです。今日は蛤の潮汁を用意しましたが、ウチのお出汁はちょっと他では味わえないものですよ」
 「椀物はとにかく早く、熱々のうちに食べちゃって下さい」と、初心者の私を気遣って、みなさんがあれこれ丁寧に教えてくれます。私はというと、蛤汁のおいしさに夢中。最初のご飯を食べきってしまうと、すかさずお櫃がまわってきました。おかわりは自分でよそうのですが、正客は相客の方々の分も按分しなければなりません。その前にお櫃の蓋を次客に渡しておかなくちゃ。そうこうしているうちに、次の焼物が盛られた鉢が運ばれてきました。これも正客から順に取り回していきます。

↑焼物:おこぜ うつわ:乾山松葉文四方鉢

 「なんだか懐石って、けっこう忙しいんですねぇ」と呟くと、みなさん大笑い。
 「そう、やることがいろいろとあるでしょう? 合理的かつお客同士でコミュニケーションをとるようになっているんですね。その最大のイベントが次の石盃ですよ」と話が出ると、潤治さんが徳利と盃を載せたお盆を持って来て下さいました。

石盃

↑備前徳利 赤星家旧蔵、 盃は左から、黄瀬戸六角盃、総織部盃、乾山椿盃、堅手盃、青磁蓮弁文盃

↑大好きな黄瀬戸六角盃をゲット!

 「お預け徳利は赤星家伝来の備前です。盃はお好きなものをどうぞ」とのことで、以前の取材で見て以来大好きな黄瀬戸六角盃を手に取りました。正客の役得ですね(笑)。ここからは酒器を傾けながら話が盛り上がり、炊物、八寸、香物、湯桶までしっかりといただいて大満足。

↑強肴:筍・蕗・菜種 うつわ:堅手鉢 銘 弥勒
八寸:蒸し鮑、たらの芽 うつわ:木地盆
香物:沢庵・青菜・昆布 うつわ:古伊賀沓鉢 平瀬家〜赤星家伝来

 「剛力さん、お着物でそんなにお酒もご飯もたっぷり入って大丈夫? 無理しなくていいですからね」と、ひかるさんに心配されたほどでした(笑)。最後に「剛力さんの食事を後からずっと見守っていたのは平安時代きっての色男なんですよ」と教えていただいて改めてご対面(45頁)。元々は色紙に宗達が三十六歌仙を描き、光悦が三十六首を書いた六曲一双の貼交屛風だったものが分けられ、諸家に所蔵されているそうです。そんなイケメンに見られていたなら、もう少し控えた方がよかったかしら(笑)。

↑宗達筆 元良親王 菅池家伝来
「わびぬれば 今はた同じ難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」の歌が添う