世界の古いものを訪ねて#3 ケルン大聖堂 響きあう過去と現在 ー 632年の時を超え、未来へ続く祈りの建築 RECOMMEND まだ寒かった5月のこと。雨に降られながら、私はその厳かな建物を見上げて呆然と佇んでいました。ヨーロッパ屈指のゴシック建築、ケルン大聖堂(Kölner Dom)。美しい尖塔が、空をも切り裂かんとするように天へと伸びています。 ここはドイツ西部、ライン川沿いに位置するケルン。歴史ある宗教都市でありながら、アートや音楽、そしてビールとカーニバル文化にも寛容な、開放的でユーモアに富んだ街です。少し時系列が前後しますが、今回はそんなケルンで出会い、考えた「古いもの」についてご紹介しましょう。 ケルン中央駅を出ると、その荘厳な建物はすぐに視界に飛び込んできます。あまりにも圧倒的な存在感を前に、息を呑むとはこのことかと思う私。大聖堂を見てここまで感動したのは、これが初めてでした。 1248年、聖遺物「東方三博士の聖骨箱」を祀るために建設が始まり、完成したのは1880年。15世紀に工事がいったん中断され長く未完のままでしたが、19世紀にナショナリズムの高まり、つまりドイツ人としての誇りや文化の象徴を求める動きとともに再開され、なんと632年もの歳月を経て建てられました。 内部もまさに建築美。寸分の狂いもないような直線たちと、少しの曲線が織りなす厳格な雰囲気は、ドイツらしい美しさだと言えるでしょう。人々は思わず会話を慎み、自分たちの宗教が何であれ、その場に満ちている「祈り」の存在を感じずにはいられません。 天井近く、高いところに並んだ沢山のステンドグラスから、澄んだ光が入ってきます。その静かな祈りの場にいると、不思議と光が音として聴こえてくるよう。 その中でも、一際目を引くステンドグラスがありました。南側身廊に設置された、モザイク・ステンドグラス。ドイツ現代美術の巨匠、ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)による抽象作品です。 使用されているパネルは、11,263枚。72色の色彩が、コンピュータでランダムに配置されています。双眼鏡で覗いてみると、なるほど同じ色が続いている箇所があったり、無作為な色配置ならではの規則性のなさが面白い。 抽象作品ですので、教会や大聖堂でよく見られるような宗教的な図像によるステンドグラスとは、まったく雰囲気が異なります。物語性の排除。その姿勢は、設置された当時(2007年)こそ批判もされたようですが、現在は広く受け入れられ、ケルン大聖堂のシンボルのひとつとなっています。意味を手放した光は、人々の祈りを透明なまま包み、空へと運んでくれるみたい。宗教的なものへの敬意こそ、人の思考を超えた図像をステンドグラスに落とし込んだ理由だったのかもしれません。 ケルン出身のリヒターの作品は、ケルン大聖堂近くのルートヴィヒ美術館でも沢山観ることができます。《Five Doors》や《Ema(Nude on a Staircase)》。開き具合の異なる連続したドアも、ぼかした写真のように描かれるポートレートも、まるで見えるものと見えないものとの間を行き来するような。可視、不可視、そしてその認識の曖昧さについて、気がつけば考えていました。 見えないけれど存在するものを思うことは、過去を思うことにも似ています。 ケルン大聖堂でつい買ってしまった自分へのお土産はワッペン。それも選びきれず3種類全制覇したのですが、これらは、2022年に行われたプロジェクト「Mission Kölner Dom」にちなんで作られたもの。欧州宇宙機関(ESA)とドイツの教育機関やアート団体のコラボプロジェクトで、聖堂の古い石片(瓦礫の一部)を宇宙へ打ち上げるという試みでした。 人類の文化遺産ともいえるその石片は、宇宙をしばらく滞在したのちに地球へと帰還、その後は再展示されています。中世の祈り、現代科学、そして未来への希望が、ひとつの石に込められたようなプロジェクト。その石がもつ、長い時間の記憶や、宇宙の景色は、私には見ることはできないけれど、確かに存在しているのだということは理解できる。そして、かつて信者たちに大切にされてきたものが、今は人類皆の遺産として、未来へと繋がっていく。「古いもの」は今を生きる人の中でこそ変化し、更新されていくのだということを、ケルン大聖堂へ訪れたことをきっかけに考えました。 ケルン大聖堂は、現在も絶え間なく修復を続けています。それは永遠の建築とも呼ばれ、半永久的に終わらないのだそうです。 今この現在はすぐに過去となり、過去は蓄積されていきます。ケルン大聖堂は長い時間をかけて建てられ、そして現在も修復を続けているからこそ、内包する過去も分厚く、新たな試みを受け入れる懐の深さがあるのかもしれません。 2泊3日のケルン滞在中三度も立ち寄ったケルン大聖堂。過去のただ一点にとどまらず、今も更新され続けるその建築は、この先どのような「古いもの」であってくれるのだろう。きっとまた訪れたい。そしてその時には、過去の記憶をさらに含んで、いっそう荘厳に見えるのだろうなと、最後の朝、空高くそびえる大聖堂を見上げた私は、空港へ向かう電車を危うく逃すほどに、しばらくその場を離れられずにいたのでした。 Information ケルン大聖堂 / Cologne Cathedral 会期 毎日開館(宗教行事により一部制限あり)[月曜〜土曜:10:00〜17:00/日曜・祝日:13:00〜16:00 ※ミサなどにより観光不可の時間帯あり] 会場 Domkloster 4, 50667 Köln, Germany Auther 山田ルーナ 在英ライター/フォトグラファー この著者による記事: アルフィーズ・アンティーク・マーケット|イギリス・ロンドン History & Culture | 歴史・文化 名所絵を超えた“視点の芸術”が、いま問いかけるもの History & Culture | 歴史・文化 ジュドバル広場の蚤の市|ベルギー・ブリュッセル History & Culture | 歴史・文化 ロンドン・大英博物館で初の広重展。代表作「東海道五十三次」など History & Culture | 歴史・文化 RELATED ISSUE 関連書籍 目の眼2025年8・9月号No.582 古美術をまもる、愛でる 日本の古美術には、その品物にふさわしい箱や仕覆などを作る文化があります。 近年では、そうした日本の伝統が海外でも注目されるようになってきましたが、箱や台などをつくる上手な指物師、技術者は少なくなっています。 そこで今回は、古美術をまもる重要なアイテムである箱・台などに注目して、数寄者のこだわりと制作者たちの工夫をご紹介します。 試し読み 購入する 読み放題始める POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 美術史の大家、100歳を祝う 日本美術史家・村瀬実恵子氏日本美術研究の発展に尽くした60年 People & Collections | 人・コレクション 古信楽にいける 花あわせ 横川志歩 Vassels | うつわ 展覧会情報|東京国立博物館 東京国立博物館 特別展「はにわ展」|50年ぶりの大規模展覧会 Ceramics | やきもの 根付 怪力乱神を語る 掌の〝吉祥〟を読み解く根付にこめられた想い Ornaments | 装飾・調度品 最も鑑定がむずかしい文房四宝の見方 硯の最高峰 端渓の世界をみる People & Collections | 人・コレクション 大豆と暮らす#2 うなぎもどき|日本人と大豆の長い付き合いが生んだ「もどき料理」 稲村香菜Others | そのほか 白磁の源泉 中国陶磁の究極形 白磁の歴史(1) 新井崇之Ceramics | やきもの 白磁の源泉 中国陶磁の究極形 白磁の歴史(2) 新井崇之Ceramics | やきもの 古唐津の窯が特定できる「分類カード」とは? 村多正俊Ceramics | やきもの 稀代の美術商 戸田鍾之助を偲ぶ People & Collections | 人・コレクション 企画展紹介|銀座 蔦屋書店 日本刀・根付売場 春画と根付の世界をたのしむ Ornaments | 装飾・調度品 展覧会レポート|泉屋博古館東京 “物語(ナラティブ)”から読み解く青銅器の世界 Others | そのほか