新しい年の李朝

李朝の正月 青柳恵介

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李朝白磁壺 17世紀後半〜18世紀 胴45.2㎝ 高44.2㎝ 個人蔵
撮影協力 登録有形文化財/代々木能舞台

 

滅多に硯をすることもない私ではあるが、小さな四角の李朝の白磁の水滴を机上に置き、無聊な時間に手に握り、その感触を楽しんでいた。それが昔話になってしまったのは、何かの拍子にその豆腐のような水滴を売ってしまい、しまったと思った時は遅かった。その後、円盤型の白磁の水滴を手に入れたけれど、これは机上に置く気にならない。肌が劣るからである。李朝白磁は肌が命であるとつくづく思う。触らない李朝は死んでいる。

 

 

祭器や文房具に比して食器として作られた李朝は少ない(粉青沙器は別)が、大鉢や台皿に料理をうまく盛ると、食卓の雰囲気が引き締まる。食卓に着く客はもてなされているという感慨を持つのではなかろうか。牛蒡と蒟蒻と牛肉を煮た平凡な総菜を、白磁の大鉢に盛って出したら客に大変喜ばれたことがあった。その鉢の手取りの重みが日常から少し遊離させたのではなかろうか。時々、釉の美しい四角の台皿に中トロの刺身をたっぷり載せたらさぞ綺麗だろうと想像するが、そんな台皿を持っていないので、これはやったことがない。

六寸ほどの銘々皿として使うなら、地方窯の胎土が若干荒く、灰色がかった薄手の皿がむしろ好ましいかもしれない。この手の皿は大体歪んでいるので、並べると思い思いに風に翻っているようで、雅味がある。この風はいかにも半島の風であり、伊万里にも明末清初の中国の皿にもない形である。私は先日庄内の鶴岡で、ハタハタの湯上げというのを初めて食べて、なんて旨いものだろうと思ったが、その時に風になびいているような李朝の皿を思い浮かべた。鉄絵か、もしくは黒高麗の徳利をそこに配したらぴったりだろう。

 

 

白洲正子さんのお宅の宴会には時々、ワサビ入れに小さな李朝の四角でやや深みのある染付の小皿が登場することがあった。幾何学模様が丁寧に書き込まれていて、高貴な人が用いた化粧道具の紅ときかとも思われたが、脇役にこそキラリと光るものを用いる白洲さんのセンスが生きていた。その皿は皆の手から手に渡るのである。掌に乗るその小皿は滑らかな重みがあった。人を喜ばせる器はそういう脇役にあるということを私は教えられた。

 

 

 

壺なら花である。昔、山根由美さんが古器に花を生けるという展観を催した際に、私の祖父が持っていた大きな長壺に見事な花を生け、祖父や私を喜ばせたことがあったが、大壺に花を生けるというのは並大抵のことではない。ホテルの玄関の花に似ればいい方で、壺そのものを見ていればその方がいいと思う花が多い。また、一尺を越す大きな瓶も首が締まっているから姿のバランスをとるのが難しいだろう。勢い花を生けるなら古窯か須恵器ということになるのだが、山根さんの花は静かで動きがあった。松が生きていて、それが丘の上の松林を連想させた。

ほどよい大きさの丸壺に様々な色のバラを投げ入れることぐらいなら、私にもできるのだが、億劫な私はそんなことをするのは何年に一度である。ただし、年末には毎年越前海岸の水仙を福井の陶芸家の三好建太郎さんが送ってくださり、我が家ではそれが何よりの正月の花である。送られてきた束のまま水切りをして、それを染付の小壺に入れるだけである。水仙はいかにも清々しく元旦にふさわしい。海から吹き上げる越前海岸の風が、水仙の香りと共に伝わってくる。

 

 

私は李朝の大皿を持っていないのだが、最近は岩国の郊外で仕事をしている崔在皓さんに無理を言って、こんな形の李朝の大皿があったらいいなと考える白磁の大皿を何枚も作ってもらった。崔さんは若いけれども、すでに李朝の古い磁器の骨格をみずからの内にとりこんでいて、それでいて古いものに媚びずに新鮮な器を作る。崔さんの大皿を正月の重箱の横に何枚か置き、重箱の中の所謂お節料理以外の、正月だからこそのやや贅沢な鴨の肉や鮪の刺身を盛るのである。紅白の蒲鉾はお重ではなく、こっちの大皿にずらりと並べてくれと、私は家内に注文をつける。白い皿の上の紅白はいかにもめでたい。

 

 

黒漆の盆に李朝や伊万里や唐津の盃を並べ、家族は好みの盃を選ぶ。その中には若くして亡くなってしまった李鳳梧さんの白磁の馬上杯の秀作も混じっている。黒漆と白磁は照り映える。徳利は鷄龍山。滅多に使わない井戸の徳利も正月には登場する。滅多に現れない井戸の徳利は私に「おい元気か、久しぶりじゃないか。お前ももう歳なのだから今年は飲み過ぎに注意しろよ、焼酎ばかり呑んでないで、ゆっくり俺と酒を付き合え」と言ってくる。「わかったわかった」と独り言を口にしているのは、すでに酔っ払っている証拠である。人間は老いて死んでゆくが、器は毀れて捨てられない限り、何百年もあるいは何千年もこの世にあり続ける。私は器を見ているつもりだけれども、実は器に見られているのではないだろうか。

 

 

『目の眼』2018年1月号 特集〈新しい年の李朝〉

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Auther

青柳恵介さん 古美術研究家

1950年生まれ。成城大学大学院博士課程修了。専門は国文学。成城学園教育研究所、成城大学、東洋海洋大学の講師を務める。『風の男  白洲次郎』新潮社、『骨董屋という仕事 三五人の目利きたち』平凡社、別冊太陽『101人の骨董』 平凡社、『柳孝—骨董一代』新潮社ほか、古美術関連の著書多数。 (掲載の写真は、2024年6月号特集「古美術をつなぐ」での平野古陶軒店主平野龍一さんとの対談にて)

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