世界の古いものを訪ねて#6 アンティークの街・ルイスで出会ったグラスと、生活の色気 RECOMMEND 予想外の旅で出会った古いカットグラス。理由は分からないけどなんだかいいな、と思えるものが、結局は生活を作っていくような気がします。 バルセロナ行きの飛行機に乗るべく張り切ってやってきた、早朝のロンドン・ガトウィック空港。チェックインカウンターの向こうでスタッフが私の目をまっすぐに見つめて、「申し訳ないのですが本日は混雑していてお席をご用意できなさそうです」と言っています。ん?? 最初聞き間違いかと思ったのですが、どうやら本当に、席がない様子。人生初、オーバーブッキングというやつです。 代わりの飛行機は翌日夕方。まあそういうこともあるか、と、補償だけはしっかり確認し、私はこの予想外のホテルステイを存分に楽しむことに決めました。むしろラッキー、と、私の心は躍ります。だって、こんなトラブルこそ、自分の想像もつかないものに出会えるチャンスなのですから。 せっかくだから小旅行と決め込もう。早速Googleマップを開いてみると、少し南にいくつかの町が。その中から、電車で30分くらいの距離にあるルイス(Lewes)という小さな町を訪れることに決めました。 イギリス南東部のイースト・サセックス州に位置するルイス。その中心部にルイス城という城をもつ、中世の街並みを残した可愛らしい町です。「アンティークの街」としても有名だそうで、至るところにアンティークショップやセンスの良いセレクトショップが並んでいます。 向かったのは「Lewes Flea Market」という、屋内蚤の市。以前は教会だったレンガ造りの建物が目印。町の中でも名所的存在らしく、住人から観光客まで、人々が絶え間なく出入りしていました。 中は、蚤の市というよりはアンティークショップ。ブースごとに出店者がいるようで、きれいに並べられた品々が印象に残ります。お皿やグラス、お洋服、額縁にオブジェ。特に、クリスタルガラスのワイングラスが陳列された棚は、きらきらと眩しいほど。宝箱を覗き込むような気持ちで、ほうっとため息。 その中で、なんかいいな、と足を止めたのは、煌びやかに並んだワイングラスではなく、ガラクタの中に迷い込んだように置かれている、クリスタルガラスのコップでした。 いつの時代のものなのか、どこで作られたものなのかも、分かりません。けれども、持ったときにしっくりくる、この感じ。鋭利なカットも、口当たりの良さそうな薄い縁も、手にフィットするくびれも、小傷のついた分厚い底も、何から何までしっくりくる。古いものを選ぶときに私が大切にしていることを、このカットグラスはみんな持っているみたい。 ああ、いいな。こう思ってしまったが最後、私は逆らえません。これからバッグ一つでバルセロナへ行くことが頭をかすめますが、やはりこの出会いは逃せないと、レジへと向かいました。 その夜ホテルで眺めたカットグラス。かたちは不均一で、縁もまたまっすぐではなく、わずかに歪んでいますが、そこも可愛い。きっと昔、誰かが、私と同じように、くるくると回しながらこのグラスを眺めたはずです。 一つ前の記事(「二千年の湯けむりと、五千年の石の輪を旅して」)にも書きましたが、古いものの魅力は、その歴史的価値だけでなく、その背景に広がる人の営みにあると感じます。この厚いクリスタルの向こう側に、誰かの記憶が、ゆらめいている気がする。ホテルの暗がりのなか、私の気持ちはバルセロナにもルイスにもなく、いつかの時代の、このグラスの以前の使い手たちに向けられていました。 そして実は、このカットグラスを使うシーンを、私ははっきりと想像してもいました。 ちょうど1ヶ月前に引っ越したシェアハウス。私の部屋には、自分専用の冷蔵庫と、イギリスらしい通りを見渡せる素晴らしい窓があります。私は、この窓辺でワインを飲む時間が大好き。時間がある日には、空の色が移りゆく様子を眺めながら、しばらくぼうっとしたりします。 ただ、最適なグラスがなく、これまでマグカップでワインを飲んでいて、ずいぶん色気がないなぁと思っていたのです。 このカットグラスは、ここでワインを飲むのにぴったり。ワイングラスほどちゃんとしていないけれど、でもこの気取らない感じが、シングルベッドルームの生活には合っている気がします。 窓のふちにグラスを置いて、外を眺めていると、クリスタルに日差しが反射します。時折窓台に虹色の光を落とすことも。バルセロナから持ち帰ったカヴァを傾けながら、今ここロンドンに住んでいることを、これまでより少し気に入っている自分に気が付きました。 古いものを生活に取り入れるって、なんというか、色気があると思いませんか? 日本で骨董を少しずつ集めていたときにもそう思っていましたが、どうしてだろう。……少し考えてみましたが、もしかしたらそれは、誰かの気配を感じるからなのかも。向こう側にいる誰かを思うとき、ふと、体温を感じるような瞬間がある。そしてそれに、触れるような実感がある。それが、生活に色気をもたらしてくれるのかもしれません。 最近は少し日が短くなってきて、窓を開けておくと肌寒い日が増えてきました。誰かの体温を借りて、これからの長くて暗いらしい冬も色を帯びて過ごしていきます。 Information ルイス・フリー・マーケット / Lewes Flea Market 会期 毎日開館[月曜〜土曜:10:00〜17:00/日曜:10:30〜17:00 会場 14A Market Street, Lewes BN7 2NB England Auther 山田ルーナ 在英ライター/フォトグラファー この著者による記事: 二千年の湯けむりと、五千年の石の輪を旅して History & Culture | 歴史・文化 石に囲まれた風景と、人の暮らしに根ざした歴史をたどる History & Culture | 歴史・文化 ケルン大聖堂 響きあう過去と現在 ー 632年の時を超え、未来へ続く祈りの建築 History & Culture | 歴史・文化 アルフィーズ・アンティーク・マーケット|イギリス・ロンドン Others | そのほか 名所絵を超えた“視点の芸術”が、いま問いかけるもの Calligraphy & Paintings | 書画 ジュドバル広場の蚤の市|ベルギー・ブリュッセル Others | そのほか ロンドン・大英博物館で初の広重展。代表作「東海道五十三次」など Calligraphy & Paintings | 書画 RELATED ISSUE 関連書籍 目の眼2025年10・11月号No.583 名古屋刀剣博物館 サムライコレクション 2024年に新しくオープンした名古屋刀剣博物館(名古屋刀剣ワールド)。 東建コーポレーション蒐集の500振を超える刀剣のほか、甲冑や刀装具、武具など、武将をテーマにした絵画など、貴重な資料群を所蔵。それらをできるだけわかりやすく紹介したいと様々な工夫が施された展示も見どころとなっている。今回は、本誌刀剣ファンのために同館の見どころや貴重な作品をご紹介。 試し読み 購入する 読み放題始める POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 企画展紹介|銀座 蔦屋書店 日本刀・根付売場 春画と根付の世界をたのしむ Ornaments | 装飾・調度品 骨董ことはじめ② めでたさでまもる 吉祥文に込められたもの History & Culture | 歴史・文化 美術史の大家、100歳を祝う 日本美術史家・村瀬実恵子氏日本美術研究の発展に尽くした60年 People & Collections | 人・コレクション 骨董ことはじめ① 骨董と古美術はどう違う? History & Culture | 歴史・文化Others | そのほか 展覧会レポート|大英博物館「広重展」 名所絵を超えた“視点の芸術”が、いま問いかけるもの 山田ルーナCalligraphy & Paintings | 書画 稀代の美術商 戸田鍾之助を偲ぶ People & Collections | 人・コレクション 東京アート アンティーク レポート#2 いざ美術店へ |「美術解説するぞー」と行く! 鑑賞ツアー レポート Others | そのほか 古唐津の窯が特定できる「分類カード」とは? 村多正俊Ceramics | やきもの 新しい年の李朝 李朝の正月 青柳恵介 青柳恵介People & Collections | 人・コレクション 連載|真繕美 古唐津の枇杷色をつくる – 唐津茶碗編 2 Ceramics | やきもの 白磁の源泉 中国陶磁の究極形 白磁の歴史(1) 新井崇之Ceramics | やきもの 根付 怪力乱神を語る 掌の〝吉祥〟を読み解く根付にこめられた想い Ornaments | 装飾・調度品