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雪山酔夢|桂宮様の思い出

近衞忠大

クリエイティブ・ディレクター

konoetadahiro

 

2月11日は建国記念日であり、桂宮様がお生まれになった日でもある。

 

桂宮様は親王として三笠宮家の次男として生を受けられ、母とは干支で4つ違い、学年で3つ違いの弟。最初の記憶は私が3歳の頃に、留学先のオーストラリアから、当時我々が住んでいたスイスにいらした時だ。長い髪にベルボトムジーンズ、サングラスといった出で立ちだった事をかすかに憶えている。モコモコの羊毛のジャケットをお土産に頂いたが、着ると自分自身が羊のように丸々として可笑しかった。

 

私が小学校の頃にはNHKで働いていらした。たまに祖父母のところに泊まりに行くと朝の食卓でご一緒になることがあった。三つ揃えをビシッと決めて、不機嫌そうに新聞をバサッと広げて座られる。寝癖を直すために頭に蒸しタオルを巻かれていて、海賊のようで怖くもあったが、少しユーモラスだったのがとても印象的だ。

 

桂宮様はあまり子供扱いをされなかった。ともすると無関心なようにも見えるほど、特に声をかけられるわけでは無い。今思うとシャイでいらしただけなのかとも思うが、ある意味で大人と同じように接していらしたような気がする。それでいて、実はこっそりお小遣いを下さったり(母に没収されたが)、ウルトラマン怪獣のソフビ人形(今有れば値打ちもの)を沢山買って下さったりと、さりげなく可愛がって下さった。

 

音楽に関してはギターの名手で、高校時代からバンド活動をされ、実は有名ミュージシャンと共演されたことがあったりと聞いたことがある。当時の話を詳しく伺わなかったのは本当に心残りだ。ものにはならなかったが、ギターの手ほどきを受けたこともある。そして色々なレコードを聞かせて下さった。ビリー・ジョエル、イーグルス、スティーリー・ダンなどの曲は非常に印象に残っている。片手にはいつもウィスキーがあった。

 

しかし子供心にもどこかに陰があるようにも感じていた。学生時代に皇族であるが故に心ない言葉をかけられた事に起因し、終生続いたと聞いた。子供ながらに戦後という時代がいかに皇室にとって難しい時代だったのかを考えさせられた。

 

それでも私にとっての桂宮様は笑顔の印象が強い。車椅子の上から笑顔で手を挙げて「ひろ!」と声をかけて下さる姿が今でも鮮明に焼き付いている。

 

 

*近衞忠大さんの連載「雪山酔夢」は雑誌『目の眼』で連載中。過去のコラムはこちらからご覧いただけます。

『目の眼』2024年2月号

Auther

雪山酔夢

近衞忠大(このえただひろ)

1970年東京生まれ。公家、五摂家筆頭・近衞家の長男として生まれ、スイスで幼少期を過ごす。 武蔵野美術大学卒業後、テレビ番組、ファッションブランドの大型イベント制作などに関わる。特に海外との国際的な制作現場を数多く経験。伝統と革新、日本と海外といった違いを乗り越え 「文化とクリエイティブで世界の橋渡しとなる」ことを目指し、クリエイティブ・エージェンシーcurioswitch及びNPO法人七五(ななご)を設立、代表を務める。

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