展覧会情報

今秋、約50年ぶりのはにわ展/東京国立博物館

Ceramics | やきもの

国宝 埴輪 挂甲(けいこう)の武人 群馬県太田市飯塚町出土 
古墳時代・6世紀 高130.4cm 国立博物館蔵

 

日本で誕生した土偶と埴輪は世界でも人気を集め、土偶は、近年の縄文ブームとともに評価が高くなっています。一方で、古代美術の不動のアイドルと言えば埴輪ですが、今年は大きな埴輪展もひかえ、はにわブームが再燃しそうです。

東京国立博物館は埴輪の宝庫。10月16日からは特別展「はにわ」が開催されるそう。そこで東博の埴輪に一番詳しい河野正訓さんにお話を伺いました。

 

河野 正訓   東京国立博物館 特別展室主任研究員

 

 

――河野先生は埴輪の研究がご専門ですか?

 

河野 埴輪だけでなく古墳時代全般が専門ですが、東京国立博物館には埴輪がとてもたくさんありますので、埴輪を調べることは多いですね。東京国立博物館は埴輪の所蔵が日本有数なんです。点数の多さもありますが、質が良いことも特徴です。皆さんよくご存知の教科書に載っている有名な埴輪もあります。

 

――どうして埴輪が東博に集まったんですか?

 

河野 よくぞ聞いてくれました。東博の埴輪は、明治から昭和初期にかけて収蔵されたものが大部分です。それには考古学と文化財保護の歴史が関係しています。当時は古墳から考古遺物が出土した場合、警察に届け出をするよう定められていました。申告すると宮内省で天皇や皇族の陵墓かどうか調査をして、その結果、陵墓ではない場合は、東京帝室博物館(東京国立博物館)が遺物を収蔵するか判断しました。現在と違って博物館がほとんどない時代で、大学でも考古学をしているところが少なかったからです。1950年に文化財保護法が制定されて以降は、地方自治体が調査保存して、基本的には地元の施設で収蔵展示されるようになりました。

 

――それで各地から埴輪が集まったんですね。

 

河野 関東が多いですが、北は宮城県、南は宮崎県までの埴輪を収蔵しています。現在の埴輪の北限は岩手県、南限は鹿児島県ですが、当時発見された幅広い地域の埴輪があると言えます。

 

――すべて出土地がわかるのですか?

 

河野 当時も聞き取り調査をしていますが、まだ古墳名が付けられていないところなどもあり、住所で登録されている場合が多いです。計画的な発掘調査ではなくて、工事や耕作のときに出てくることが多かったんです。近年の研究で、住所から出土した古墳が特定できて、改めて古墳名が登録されることはよくあります。とはいえ、出土状況がわからない事は当時も問題になっていました。東京帝室博物館に勤務し、戦後に明治大学で考古学を教えた後藤守一(ご とうしゅいち 1888〜1960)は、1929年に群馬県の赤堀茶臼山古墳、1933年に白石稲荷山古墳を地元の人たちと協力して計画的に発掘調査しています。当時、遺物が出土した際は下付金(かふきん)が地元に払われていましたが、そのお金で群馬県では発掘調査報告書を作っています。そのため昭和初期にもかかわらず、出土状況が詳細に明らかになっているんです。

 

平成館考古展示室総合文化展の埴輪展示〜2024年5月26日まで

「半年に1度は大掛かりな展示替えをしています。これまで展示したことのない埴輪でもできるだけ出すようにしています。本館1室でも埴輪を展示しています」と河野さん

 

 

 

 

――埴輪は古墳のまわりに立てられていたんですよね。古墳を護るためでしょうか。

 

河野 『日本書紀』では、埴輪を殉死に代わるものだとしていますが、現在の研究では否定的です。というのは、最初に作られた埴輪は人物形ではありません。円筒埴輪という筒状の埴輪を垣根のように古墳に巡らしていたことが出土状況からわかります。これは聖域化、特別な空間として示したものと考えられています。その後、家形埴輪が作られますが、魂の依代として作られたという説があります。さらに盾や矢を入れる靫ゆぎなどの武具で家形埴輪を護ります。また、鶏の埴輪も作られるようになります。鶏は朝に鳴くので邪をはらう意味があると考えられます。

 5世紀から6世紀には、人と動物の埴輪が作られます。王のような盛装した男子、巫女のような着飾った女子、犬、猪、鳥、馬など、複数の埴輪を組み合わせて、なにか物語を表現していると考えられますが、その物語の内容は研究者によって理解がさまざまで、議論になっているんです。亡くなって埋葬された人物の顕彰、つまり生前にした功績をみせるという説、殯もがりといって死者との別れのための儀式を表現する説が有力な説ですが、10通りくらいの説があって、どれもそれなりに説得力があります。たとえば、犬と猪がセットで出土しますが、生前顕彰説だと王が狩猟をする様子、殯説だと捧げる肉を得るための狩猟儀式ということになります。

 

――縄文時代から造形をつくる伝統が続いていると思われますか?

 

河野 前の文化を継承しているとは言われていますね。埴輪は日本列島の古墳文化独特の造形ですが、弥生時代には特殊器台と特殊壺があって、なにか神聖なものを入れて墓で儀礼をしていました。これが古墳時代に埴輪になったと考えられます。

 

――渡来人が作ったわけではないのですね。

 

河野 渡来人は弥生時代から古墳時代にかけて、たくさんやってきていました。渡来文化の影響は大きかったと思いますが、列島という海に隔てられているので、アレンジされていったと思います。前方後円墳もそのかたちは日本列島で生まれたものです。埴輪も日本独特なので、国内外で注目されています。

 

――埴輪は美術品としては、いつ頃から注目されるようになったのでしょうか。

 

河野 実は日本最初の埴輪の展覧会は1930年10月に東京帝室博物館で開催された「埴輪特別展覧会」です。その目録は東博にもないのですが、私が「日本の古本屋」サイトで3000円で入手しました(笑)。これをみると、東博のマスコットキャラクターにもなっている踊る人々や短甲の武人など、すでに有名な埴輪が展示されています。この展覧会が昭和の埴輪ブームのきっかけになりました。ところがその43年後、1973年に特別展観「はにわ」まで、埴輪だけの展覧会を東博では開催していないんです。この時も埴輪ブームが起きています。例えば挂甲の武人は美術的価値が高く評価され、国宝指定され普通切手にも採用されています。

 

 

 

――今年の秋に大きな埴輪の特別展を開催されるそうですね。

 

河野 はい。挂甲(けいこう)の武人が日本の埴輪で初めて国宝に指定されて50周年を記念する展覧会です。その後、九州国立博物館にも開館20周年記念展として巡回します。まだ詳しい内容はお話できませんが、主催者総力をあげて「はにわ」展を準備しています。当館所蔵品から優品を選び、他館からも名品をお借りします。有名な埴輪からレアな埴輪まで展示し、さまざまな仕掛け、ストーリーを考えています。

 お話できる範囲でのおすすめは、当館所蔵で数十年ぶりの展示になる顎髯(あごひげ)男子です。長年個人の方から寄託を受けており、昨年末にご寄贈いただきました。伝茨城県出土の6世紀のもので、日本で一番大きい人物埴輪です。この埴輪は類似の2体の残存部分を合体させて修復したものと考えられます。こうした2個1(にこいち)で修復された埴輪は意外とあるのです。それも修復の歴史の一つだと思いますので、特別展に解説をつけて展示する予定です。

 

埴輪 顎髯の男子 伝茨城県出土 古墳時代・6世紀 高173cm 

井上廣明氏寄贈 東京国立博物館蔵

 

 

――貴重な埴輪ですね。東博では現在の修復はどのようにされていますか?

 

河野 考古に限って言いますと、東博としては、美術的な視点でも鑑賞していただきたいので、石膏や樹脂などで補填しても、観賞のさまたげになるので白いままにはしません。ただし修復した場所がわからないと、間違ったメッセージを送ることになると思いますので、修復師と相談しながら、修復したところがわかるようなかたちで彩色をするように心掛けています。最新技術も活用しています。X線CTスキャンは内部を克明に見ることができるので修復に活かすことができます。また、3Dの3次元計測で立体情報を入手し、レプリカを非接触で作ることができるようになりました。昔は箔貼りといって、アルミホイルのようなものを作品に直接貼り付けて、型をとっていたんです。技術が進歩して作品にも優しくなりました。

 

――特別展に出る東博所蔵の埴輪でお好きな1点をあげるとしたら何を選ばれますか?

 

河野 私は、鍬を担ぐ男子がおすすめです。次世代のスターだと思っているんですよ(笑)。この埴輪は群馬県伊勢崎市から出土したもので、戦前から当館にありましたが、出土古墳はわからず、住所登録になっていました。ところが近年、伊勢崎市教育委員会による発掘調査で、赤堀村104号墳から出土した埴輪の破片が、鍬を担ぐ男子と一緒に出土した東博所蔵の埴輪4体とそれぞれ接合することがわかったんです。そこで東博の埴輪を3Dで復元したレプリカに、伊勢崎市の本物を嵌め込んで、伊勢崎市で展示しています。当館でも鍬を担ぐ男子の出土地を赤堀村104号墳と改めることができました。

 こうしたストーリーも注目ですが、なにより笑顔がいいですね。埴輪はどんどん時代を経るにつれてデフォルメされて、表現が省略化されるのが特徴です。鍬が手から離れて肩に背負っていて、腰の大刀もバナナのような形状になっています。もともとは菅笠を被っていたものが、頭と一体化してアニメに出てくるキャラクターのようですね(笑)。

 

埴輪 鍬を担ぐ男子  群馬県伊勢崎市赤堀村104号出土

古墳時代・6世紀 高91.9cm 東京国立博物館蔵

 

 

――この埴輪は本当に笑っていますね。

 

河野 笑顔は邪気を払う、魔よけの意味合いが強いんです。笑う門には福来たるという感じですね。現代のゆるキャラブームをみても、日本列島に住む人は昔からこうしたデフォルメしたゆるい感じが好きなんだと思いますね。特別展は、老若男女が楽しめる全世代型の展覧会にする予定です。埴輪は研究者だけではなく、みんなのものです。ぜひ観覧して感動していただきたいです。

 

――また埴輪ブームになりそうですね。ありがとうございました。

 

 

『目の眼』2024年4月号〈土偶とはにわ〉より

Information

挂甲の武人 国宝指定50周年
特別展 はにわ

名称

挂甲の武人 国宝指定50周年
特別展 はにわ

会場

東京国立博物館 平成館

住所

東京都台東区上野公園13-9(上野公園内)

URL

TEL

050-5541-8600

Auther

河野 正訓(かわの まさのり)

東京国立博物館 特別展室主任研究員 古墳時代を専門に研究。監修に『古墳時代のなぞがわかる本』などがある。

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