白磁の源泉

中国陶磁の究極形 白磁の歴史(1)

Ceramics | やきもの

倣甜白僧帽壺 清代雍正年間 景徳鎮窯 故宮博物院(北京)蔵 『故宮博物院蔵文物珍品大系 顔色釉』126 頁

中国陶磁史を専門に北京大学にも留学された気鋭の新井崇之さん。中国の最新研究もふまえ、明らかになってきた白磁の歴史を教えていただきました。

 

 

白磁とはなにか

本稿で白磁をテーマとするにあたって、まずは「白磁とは何か」ということを明示したいが、実は中国における「白磁」の定義はとても難しい。日本で白磁というと、一般的に「白色の磁土で作られた素地に、透明釉をかけ、1250度以上の高温で焼成した、透光性を持つやきもの」がその定義とされる。透光性、つまり光を通すか否かが定義に加わる理由は、白磁の原料である磁土にはガラスの成分であるケイ素が含まれており、高温で焼くと素地のガラス化が起こり、光を通すようになるからである。これは英語のポーセリン(porcelain)に近い概念でもあり、最も厳密な白磁の定義となる。 それでは、中国ではどうだろうか。ややこしいことに、中国では厳密な白磁の定義が学術の場で用いられることがある一方、高い温度で焼成した施釉の白いやきものを広く「白瓷」と呼ぶ傾向もある。「瓷」という日本では見慣れない字を用いたが、中国では「高い温度で焼成した施釉のやきもの」をまとめて「瓷器」と呼んでおり、日本で用いられる「磁器」とは意味が異なる。そこで中国語の「白瓷」の用例を古今の文献から探すと、先に述べた厳密な白磁の定義に当てはまるやきもの以外にも、素地のガラス化が起こらず透光性のないやきものや、胎土が白くないために白釉をかけて白く見せたやきものなども、「白瓷」と呼ぶ例が確認できる。こう言ってしまっては身も蓋もないかもしれないが、昔の中国では白磁に対して厳密な定義など設けていなかったのである。

 

 

白磁窯の分布図

 

さて、本稿ではどの定義を採用しよう。景徳鎮窯や徳化窯の白磁は、高温で焼成されているうえ、施釉で透光性もあり、確実に厳密な白磁の定義に当てはまる。しかし、中国白磁の代表格ともいえる定窯の白磁などは、懐中電灯程度の光であれば通さないことが多く、透光性の有無は定義として採用しづらい。さらに厄介なことに、いわゆる「唐白磁」や「遼白磁」と呼ばれるやきものは、実は白色の鉛釉を施した低火度焼成の場合もある。つまるところ、定義をかなり広く取っておかないと、該当する器物が限られてしまい、中国における白磁の流れを語ることができないのである。そこで本稿では、釉薬が施されない白陶などは除外した上で、「施釉された白いやきもの」をとりあえず「白磁」と呼んで話を進めたい。ここで取り上げる器物のすべてが厳密な定義に則っているわけではないことを、予めご承知おきいただきたい。

 

 

新発見が待たれる早期の白磁

では、中国で最も古い白磁とは、どのような作品を指すのだろう。目下知られている古い例を挙げるならば、湖南省長沙市で後漢時代(25~220)の墓から出土した陶磁器の中に、白みを帯びた素地に、透明釉が施された作例が確認されている。

白釉豆 後漢 長沙市糸茅沖出土

湖南省博物館蔵 『湖南省博物館』71 頁

 

生産地は長沙の北に位置する湘陰窯だと考えられており、このタイプのやきものを中国では「早期白瓷」と呼ぶことがある。しかし、釉色が十分に白いとは言えない等の理由から、白磁と認めることに対して慎重な意見もある。また、魏王曹操の墓とされる高陵からも、白みを帯びた釉色の罐が出土している。これら後漢時代に作られたいわゆる「早期白瓷」をどのように位置づけるべきか、今後の研究が待たれる。  では、厳密な定義における最も古い白磁は、いつ頃発生したのであろうか。年代が明らかな墓からの早い出土例として、北斉武平6年(575)に埋葬された范粹墓が知られており、概説書では最古の白磁だと紹介される場合も多い。しかし実際は、焼成温度が低かったことが明らかになっており、近年では白磁の定義に適っていないという意見が強い。確実に白磁だと見なされている最も早い例としては、隋開皇15年(595)に埋葬された張盛墓からの出土品を挙げることができ、高温で焼成された明るい白色の俑が確認されている。  

 

この頃に白磁を生産した窯として、河南省の鞏義白河窯と相州窯、河北省の邢州窯が知られている。とくに邢州窯では、素地が極めて薄く作られ、透光性を備えた白磁が作られていることから(図5)、隋代(581~618)には白磁の生産技術が成熟し、厳密な定義にも当てはまる白磁が継続的に生産されるようになったと判断できる。また2022年には、山西省太原市の晋陽古城遺跡から、隋〜唐初期の白磁窯が発見されたという報道があり、早い段階の白磁が山西省でも生産されていたことが明らかになった。今後も新たな窯が発見される可能性があり、初期の白磁をめぐる問題については、これからも注視していく必要があるだろう。

 

 

白磁片 隋~唐代初期

晋陽古城瓷窯址出土品 山西省考古研究院提供

 

 

唐代~五代 白磁の名窯が誕生

隋代に白磁の生産技術が完成した邢州窯は、唐代(618~907)にも引き続いて良質な白磁を生産した。唐の李肇が著した『国史補』巻下に、邢州窯の白磁は「天下において身分の上下に関係なく使用された」と記されており、当時の文献からもその繁栄ぶりが確認できる。  また唐代には、鞏義窯も白磁の名窯として発展した。鞏義窯は唐の副都である洛陽に近く、貴族向けに唐三彩を作った窯として有名だが、同時に高温焼成の白磁も生産していたのである。『元和郡県志』巻6には、鞏義窯の白磁が宮廷に貢納されていたという記録があり、主に祭器として用いられたと考えられている。  唐代前半には、これら2つの窯が白磁生産の中心的役割を果たしていたのである。実際に、唐の都であった長安城遺跡からは、邢州窯と鞏義窯の白磁がそれぞれ出土しており、「大盈」や「翰林」といった宮中の機関を表す銘が彫られた製品も確認されている。

 

755年、中国全土を揺るがす安史の乱が勃発した。これにより唐王朝と貴族階級の勢力は衰え、代わりに地方官であった節度使が力を持ち、各地で藩鎮と呼ばれる政権を打ち立てた。  軍事や経済を掌握した節度使の中には、陶磁器の生産に力を入れる者も現れた。貴族向けの製品を作っていた鞏義窯は衰退する一方、河北にあった邢州窯は昭義軍節度使の管理下に置かれ、生産量を増大させる。さらにこの頃、邢州窯の影響を受けた井陘窯が成徳軍節度使によって隆盛し、後に北方白磁の雄となる定窯が易定節度使によって勃興した。これら河北省で白磁を生産した3つの窯は、それぞれ異なる藩鎮の庇護を受けつつ、相互に影響し合いながら発展したのである。ちなみに、唐末~五代にかけての邢州窯・井陘窯・定窯の製品はよく似ており、産地を判別するのはとても難しい。

 

907年に唐が滅亡した後、藩鎮勢力がそれぞれ独立したことで五代十国時代(907~960)となる。これまでの白磁生産は華北地域を中心に展開してきたが、ここにきてその他の地域でも白磁が生産されるようになった。後に中国最大の窯業都市となる景徳鎮は、磁土が豊富に採れたため、五代の頃には良質な白磁の生産に成功する。

 

このように、白磁の生産は材料の有無に左右されるわけだが、中国の多くの地域では磁土に恵まれていなかった。それでも白い磁器を生産しようとした場合、素地に白い化粧土を掛けて、その上から透明釉を施す技法が用いられた。その代表的な窯として、河北省の磁州窯を挙げることができる。磁州窯は宋代以降になると掻き落しや鉄絵で有名になるが、五代の頃は化粧土だけを施す純白の磁器を生産していたのである。

〈後編に続く〉

 

 

〈主要参考文献〉

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月刊『目の眼』2023年7月号

Auther

新井崇之

1987 年長野県生まれ。2012 年~ 2015 年中国政府奨学生として、北京大学で中国陶磁器の考古発掘に携わる。2018 年明治大学で博士(史学)学位取得。文献史学と美術史学の手法を用いて中国陶磁器の研究を行う。2020 年小山冨士夫記念賞奨励賞受賞。2022 年より町田市立博物館学芸員。

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