展覧会紹介|田端文士村記念館

「書画骨董は非常に好きだ」芥川龍之介の骨董

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近代文学の歴史の中で、冷静な観察眼と理知的な作風で知られた小説家・芥川龍之介。

 

 

芥川龍之介(佐藤春夫編『おもかげ』昭和4年2月)

芥川龍之介(佐藤春夫編『おもかげ』昭和4年2月)

 

 

大正時代には「羅生門」「芋粥」「藪の中」「杜子春」など、現在でも読み継がれる作品を多く発表した。そして芥川は小説の執筆をする傍ら、多くの趣味を持って余暇を楽しんだ。それは短歌や俳句、観劇、音楽鑑賞など多岐にわたる。

 

 

 

①芥川龍之介自筆 「風落ちてくもり立ちけり星月夜」書画幅(※個人蔵)

①芥川龍之介自筆 「風落ちてくもり立ちけり星月夜」書画幅(※個人蔵)

左端には「画ノ意ニ曰鼠ヲ鍋蓋ニテオサヘシヲ上カラ見タル所」とあり、中央に描かれた円が鍋の蓋で、そこから右下に出ている線が、鼠の尻尾である。「鍋蓋で鼠を押さえたよう」というのは、優柔不断な態度や中途半端な状況に置かれた様子を表すことわざである。

本資料は芥川家馴染みの米屋に宛てて龍之介が書き贈ったもので、昭和32年に文藝春秋が催した「芥川龍之介遺墨品展」での出品以来、約68年ぶりの公開となる。

 

 

 

東京・田端文士村記念館で開催中の展覧会「芥川龍之介 余暇のたのしみ ─趣味でつながる田端人たち」は、芥川が親しんだ書画、骨董を中心とした展示内容となっている。
生前、「書画骨董は非常に好きだ」(「現代十作家の生活振り」)という言葉を残した芥川。自他共に認める「骨董愛好家」であった芥川の書斎には、愛用の文鎮や青磁の硯屏、香合などが並んでいたという。大学時代から、昭和二年に三五歳で亡くなるまで作家生活のほとんどを暮らした田端では、骨董に精通した文化人が多く暮らしていた。雑誌で芥川の「壺友」として紹介された詩人・室生犀星をはじめ、陶磁史研究家・北原大輔、実業家・鹿島龍蔵ら田端の文化人たちと、蒐集品を批評し合い、骨董談義に花を咲かすことも多かったという。芥川は友人と連れ立って散歩のついでに馴染みの店を覗いたり、旅先で古美術品を買い求め余暇の時間を楽しんだ。

 

 

 

 

②新収蔵資料 芥川龍之介 扇面歌稿「水底の小夜ふけぬらし河郎のあたまの皿に月さし来る 我鬼」

②新収蔵資料 芥川龍之介 扇面歌稿「水底の小夜ふけぬらし河郎のあたまの皿に月さし来る 我鬼」

扇面に芥川が自作の短歌を書いたもの。「我鬼」の号を使っていることから、作家時代の初期に書かれたものと推定される。大正9年10月27日の下島勲宛書簡には、河童(川郎・河郎)が登場する短歌を8つ書いており、扇面歌稿に書かれた歌は、この書簡にも登場する。芥川は、扇面歌稿と同じ歌を書いた色紙を、小説家であり友人の宇野浩二にも贈っている。そこには「河郎十首の内」という但し書きがあり、河童の登場する短歌をいくつも作っているなかでもこの「水底の・・・」を好んで浄書していたことがわかる。

 

 

 

 

骨董に関する文章の代表的なものとしては遺稿となった「わが家の古玩」が挙げられる。

ここでは「陶器もペルシア、ギリシア、ワコ、新羅、南京古赤画、白高麗等を蔵すれども、古織部の角鉢の外は言ふに足らず」と書いているように、芥川は陶磁器を好んでいた。68年ぶりの公開となる自筆書画幅や、新収蔵資料である扇面歌稿だけではなく、今回は陶磁器の展示にも注目してみたい。

 

 

 

 

③香取秀真作 花瓶(※個人蔵)

③香取秀真作 花瓶(※個人蔵)

 

鋳金家・香取作の花瓶で、芥川旧蔵の品。龍之介と香取は一回りほど年が離れているが、隣家同士で家族ぐるみの付き合いがあり、この花瓶は芥川没後も芥川家で大切に使用されていた。

 

 

 

 

 

九谷焼の鉢

九谷焼の鉢

 

 

 

芥川が生前親しく接した友人のひとりに、詩人で小説家の室生犀星がいる。展覧会では犀星から芥川へ贈られた九谷焼の鉢が展示されている。九谷焼の産地・金沢の出身の犀星
から、この鉢を贈られたエピソードを、芥川は随筆「野人生計事」に詳しく記すなど、二人の交友が垣間見える貴重な鉢である。九谷の鉢の高台内には「二重長方形内に九谷」の銘が刻まれ、見込みの文様は周縁が十二の丸文、六つの菱形宝文、連続の鋸歯文、花唐草文で飾られている。使い込みで薄くなった中心の主題文様は、おそらく龍丸文であったと想像されるが、贈られたときの状態は定かではない。銘や意匠を踏まえ、嘉永年間から慶応年間までの幕末の頃の作ではないかと推定される。

 

 

 

 

⑥初公開 「芥川龍之介旧蔵 ギリシアの瓶」(※個人蔵)

⑥初公開 「芥川龍之介旧蔵 ギリシアの瓶」(※個人蔵)

 

 

 

 

また展示されている旧蔵の骨董・古美術品は、個人蔵の貴重なものが多い。そのひとつが初公開となる「ギリシアの瓶」。残された日記や書簡、友人で小説家の佐藤春夫による
と龍之介はギリシアやペルシアの陶器に高い関心を寄せていたという。この「ギリシアの瓶」も行きつけの骨董品屋で購入したとされている。瓶の模様として描かれた緻密な女性像のことを「ギリシア藤娘」と呼んで親しんでいたようだ。龍之介の没後に私家版として制作された写真集『おもかげ』では、骨董を楽しそうに愛でているような縁側での姿が収録されている。その一枚にも「ギリシアの瓶」があり、身近に置いて大切にしていたことが伝わる骨董である。

 

 

 

 

⑤初公開 「芥川龍之介旧蔵 平茶碗」(※個人蔵)

⑤初公開 「芥川龍之介旧蔵 平茶碗」(※個人蔵)

龍之介の遺愛品として写真集『おもかげ』に「三しま手平茶碗」と紹介されている茶碗。写真にある合箱に「三しま手(三島)」とあるため、三島手の焼き物と認識されてきたが、三島手の特徴である白い化粧土の塗り込みが見られず、円状の印花が捺(お)されたままの素朴な焼き物である。龍之介と焼き物の話題で交友を深めた北原大輔らによると、この茶碗は龍之介が大正10年の中国旅行の際に買い求めた新羅の茶碗であるという。同様の茶碗を北原も龍之介から土産として受け取っている。龍之介の遺稿として書かれた「わが家の古玩」に挙げられた「新羅」は、この茶碗を指す可能性がある。

 

 

 

 

同じく初公開の陶磁器では、龍之介の遺愛品とされる平茶碗も展示。これまで三島手の焼き物と認識されてきたが、三島手の特徴である白い化粧土の塗り込みが見られず、円状の印花が捺されたままの素朴な焼き物である。大正10年の中国旅行の際に買い求めた「新羅の茶碗」だという。龍之介と焼き物の話題で交友を深めた北原大輔も同様の茶碗を受け取っている。年代を考えると芥川の遺稿として書かれた「わが家の古玩」に挙げられた「新羅」は、この茶碗を指す可能性もあるようだ。

 

このように多くの友人たちとの親交において陶磁器などの骨董は大きな役割を果たした。芥川が執筆した作品にも影響を与えたのかもしれない。文士・芥川龍之介が愛した書画骨董を通して、その美意識を感じてほしい。

 

(画像は全て田端文士村記念館提供)

 

 

Information

企画展「芥川龍之介 余暇のたのしみ~ 趣味でつながる田端人たち~」

開催中 ~ 2026年02月01日

会場

田端文士村記念館

住所

東京都北区田端6-1-2(JR京浜東北線・山手線 「田端駅」北口から徒歩2分)

URL

TEL

03-5685-5171

入場料

無料

備考

※休館日:月曜日(祝日の時は火・水曜)、祝日の翌日(土・日の時は翌火曜)、年末年始(2025.12/29~2026.1/3)
※駐車・駐輪場は、隣接の有料施設をご利用ください。

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