東洋美術コレクター 伊勢彦信氏

名品はいつも、 軽やかで新しい

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床には色鮮やかな武者絵と芍薬を活けた瓶子。

 

世界的なアートコレクター伊勢彦信氏の中国陶磁コレクション182品が、9月9日にサザビーズ香港のオークションに出品されます。

雑誌『目の眼』では2016年7月号において前編集長・白洲信哉さんと共に伊勢さんのご自宅を訪れ、数あるコレクションの一部を取材させていただきました。このとき伊勢さんは「蒐集して終りではなく、どのような大名品でも”使いこなす”」とお話してくださいました。伊勢さん流の「客をもてなすしつらい」とはなにか? 当時の取材記事を再掲します。

 


 

 

GW直前のよく晴れた一日、お宅を訪ねると、伊勢さんがにこやかに出迎えてくださった。簡単な時候の挨拶を終えて、昨年席開きをした茶室へと案内される。一見シンプルな四畳半小間の茶室だが、窓から差し込む光が土壁のを浮かび上がらせる。江戸時代から続く加賀左官の技を伝える職人の仕事で、光の加減によってさまざまな表情を見せるという。

 

 

茶室

 

 

床には色鮮やかな武者絵と芍薬を活けた瓶子。

「平治物語絵巻の断簡で、六波羅合戦巻の巻頭部分です。戦場を奔る武者たちが色鮮やかに描かれていて、白洲さんの好みじゃないかと思ったので」と伊勢さん。これは長く失われたと思われていた巻で、一九四三年に金沢で一四枚の断簡が発見されて話題になったうちの一枚。一五センチ四方の断簡ながら画面からあふれんばかりの生気が感じられて、しばし眼が釘付けになる。そして下を見てまたビックリ。「晩翠軒」井上恒一コレクションのなかの逸品で、米色青磁ではナンバーワンと謳われた南宋官窯下蕪瓶だった。たしか昨年五月のサザビーズロンドンのオークションで世界中のコレクターたちが入札合戦を繰り広げた品である。

 

 

 

南宋官窯下蕪瓶 

南宋官窯下蕪瓶

 

 

「井上恒一コレクションには憧れがあって、必死の思いで落札しました」と笑う。なるほど、上の武者絵の先頭を奔る男はそのときの伊勢さんなのだろう。そう思うと、この取り合わせに、伊勢さんの美術品蒐集に対する姿勢というか、覚悟が示されているようにも感じられた。

 

「ではここで仕掛けをご開帳」と、突然反対側の壁が開かれ、振り返ると、なんとも重厚な石像と古色あふれる壺が登場した。

 

 

隋褐釉貼花尊

隋褐釉貼花尊

 

 

「なんですか、これは!?」と思わず叫ぶ編集長。最初から度肝抜かれっぱなしである。

「北魏時代の棺の台だそうです。おそらく貴族の墳墓に埋葬されていたのでしょう。ずいぶん昔に買って庭に置いていたんですが、なんとかおもしろく飾れないかと試行錯誤しましてね、そうだ浮かせてみようかと(笑)。お茶道具だけが好きという方にはあまりお見せしないのですが、白洲さんならわかってくれるかなと思いまして」と、楽しそうに話す伊勢さん。

 

よくみれば、下の壺も、米色青磁と同じ井上恒一コレクションのオークションに出品された隋時代のものだ。北魏と隋は、中国の南北朝時代を開いた王朝と終わらせた王朝と位置づけられている。長い長い中国の歴史のなかで数々の新風を吹き込んで、その政体や文化を「古代」から「中世」へと橋渡しをした時代でもある。北魏の棺床には獣面や鎮墓獣のほか蓮花や獅子、ハーピーのような人面鳥身の神獣が描かれている。また隋の壺はかたちは古代の青銅器を模しながら、貼花で獣面とパルメットを交えて装飾するなど、東洋と西洋、古代と中世が混在した造形となっているのが興味深い。

 

「これこそ伊勢さんしかできないしつらいですよ。印象派などの西洋絵画の蒐集からはじまって、茶道具、中国陶磁器は古代から清まですべての時代に眼を通し、そして最先端の現代美術にまでアンテナを張って、現役アーティストを支援してらっしゃる。その眼の自由さを活かして独自のしつらいをなさるから我々の心に響くんですよ。たとえばピカソの素晴らしさは名品を一点見せれば世界中の人が理解できますけど、長次郎の良さはなかなか日本人以外には伝わらないでしょう? でも伊勢さんのやり方なら、たとえば長次郎と響きあうような西洋美術や現代美術と合わせて提示することで、その良さが世界の人達にもわかってもらえるかもしれません。そういう日本美術の案内人を伊勢さんなら出来るし、ぜひやっていただきたいと思うんです」と編集長が語りかけると、

 

「そうだね、長次郎の良さを世界の人にもわかってもらえるとうれしいね」と応えてくれた。

 

事実、伊勢さんは実業の世界でも卵生産の技術をASEAN各国にライセンス供与するとともに、その地の文化向上を図り、現地の美術館での日本美術の紹介にも尽力している。そのあと洋室に場所を移して、古陶磁に酒肴を盛ったもてなしを受けた。

 

「美術館を作ろうと思わないんですか?」という編集長の問いに、

 

「それは一度も考えたことがないんです。平日一生懸命働いて、週末にこの家に帰ったら蔵から美術品をだして並べて、友人を呼んでどうやってもてなそうか考えるのがいちばんの愉しみなんですよ。その時にはどんな名品でも気負いなく使います。そしてその愉しみを共有できる仲間がいるというのが人生の豊かさだと思うんですね」とのこと。そのもてなしを共有できる人がなんともうらやましくなる言葉だ。

 

「最後にひとつ、名品の条件って何ですか?」

 

「そうですねぇ、名品はいつも、軽やかで新しい。単に重さのことだけでなく、造形も装飾も軽妙で、何百年、何千年たっても最先端なんですよ。新鮮な感動を与えてくれるんですね」

 

 

伊勢彦信氏

伊勢彦信氏

 

 

と、この日いちばんの笑顔で答えてくれた。

 


 

 

伊勢彦信氏は、

1980年代から養鶏、卵の販売で世界的成功を収め、絵画、茶道具、古陶磁、現代アートと一級の美術品を幅広く蒐集したことで知られている。

なかでも中国陶磁は新石器時代から清時代まで陶磁史が語れるほどの系統的なコレクション。ヨーロッパの名コレクションの来歴をもつ作品も多く、成化年製の青花花唐草文碗は名品中の名品だ。日本では米色青磁、下蕪瓶と呼ばれ、茶道具としても珍重される南宋官窯の青磁長頚瓶(上記の取材でも拝見させていただいた)は、2015年のサザビーズロンドンで話題となった井上恒一(晩翠軒)コレクションの逸品。国内外で展覧会に出展された名品ぞろいであり、今回9月9日のサザビーズ香港でオークションに出品される。

 

 

 

INFORMATION

Sotheby’s  

Masterpieces of Chinese Ceramics from the Ise Collection

中国美術 イセコレクション / 香港(ライブ)

2025. 9月9日(火) 日本時間11時開始(10:00 HKT)

 

 

オークション前の9月8日まで、Landmark Chaterのサザビーズメゾンで下見のための展覧会が行われ、一般にも公開されている。

 

 

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