日本刀の魅力

繊細な感性と価値観が映し出す、日本刀の魅力

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日本刀の基本

この週末、「大刀剣市」がいよいよ開催されます。

そこで『目の眼』2014年8月号の特集「ニッポン男児の日本刀入門」に掲載した「日本刀の魅力」というエッセイを再録・紹介します。

本誌連載「日本刀五ヶ伝の旅」シリーズを執筆中の刀剣研究家・田野邉道宏さんが、初心者に寄り添って解説していただいた貴重なテキストです。

ぜひ日本刀鑑賞の参考にしてください。

 

 

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岡田准一さんはNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で黒田官兵衛役を熱演されていましたが、昨年は映画「永遠の」で主役の宮部少尉を演じられ、映画は空前のロングランとなり、戦争を知らない若者たちにも大きな感動を与えました(当時)。クランクアップ後のテレビの対談で零戦の話が出た時に、岡田さんが「零戦は空戦性能が素晴らしかっただけでなく、デザイン性もすぐれていますよね」と話されたのがとても印象に残っています。たしかに零戦の流線型の美しさに魅了される人は多いと思います。これが空気抵抗を極力少なくして戦闘能力をとことん追求した結果、無駄がけずられ洗練され、そして美しさを醸し出しているということだけで説明がつくのでしょうか。私はそれだけではないと思います。

 

 

これは同じ戦いの道具である日本刀にも言えることなのですが、日本人は実用的なものは、実用面での性能がすぐれているのが当たり前という感覚があり、それだけでは満足せず、そのものにたえず美しさを求めるところがあり、言うなれば、これは日本人特有の価値観だと思います。そこには四季の変化に恵まれた環境で培われる繊細な感性が関わっていることが考えられます。

 

零戦の造形をよく見てみますと、ありとあらゆる部位が曲線で成り立っています。これがアメリカやドイツの戦闘機はどうでしょう。ワイルドキャット・マスタング、またメッサーシュミット・フォッケウルフなどは、曲線より直線の部分が多くを占めています。

 

つまり、この曲線というのが日本人の美意識の根幹をなすものと言ってよいと思います。日本刀は西欧の刀剣が直刀(ちょくとう)であるのに対し湾刀(わんとう)になっています。城の石垣も、城郭の櫓や社寺の屋根の勾配も、鳥居も、また五輪塔の火輪も、いずれも軒反(のきぞ)りの美しい反り具合を示しており、曲線は枚挙にいとまがありません。

 

 

私たちがイメージする日本刀は、反りがあって鎬造(しのぎづく)りというのが基本の形ですが、これが成立したのはおおよそ平安時代後期で、それ以前のものは中国から舶来した平造や切刃(きりは)造の直刀でした。日本人はアレンジメント(改良)のすぐれた特殊な民族で、外国から取り入れたものに日本人独特のオリジナリティを加えて、すっかり新しいものに作り変えるのを得意としています。

 

刀剣も大陸様式の切刃造の直刀から、刃先近くに設けられた切刃の線を棟に寄せて縞造とし、更に反りをつけた他国には決して無い日本独自のものを完成させたのです。このアレンジ力の豊かさは刀剣に限らず、近代では飛行機・車・船など様々なものに活かされ、直近では曾てイギリスからもたらされた高速鉄道の技術を更に進歩・発展させて、イギリスに逆輸出しようとしています。

 

イギリスといえば、ロンドンにある大英博物館で平成二年十二月から同三年二月にかけて同博物館内に日本ギャラリーが完成した時の柿(こけら)落としの展覧会として「日本刀展」が開催されました。当時(財団法人)日本美術刀剣保存協会にも協力要請があり、私も現地に赴きました。書画・焼物・仏像・彫刻などに先んじて日本刀を取り上げてくれたことはとても有り難く、日本刀が鉄の美術品として海外でも認知されたのだなと痛く感激したことが思い出されます。ロンドン滞在中には貴重な体験をしました。市内にある武器・武具を主にした博物館(ウォーレス・コレクション、ヴィクトリア・アルバート、ロンドン塔武器博物館など)を巡ったのですが、そこには西洋や日本・中国などの東洋の刀剣が数多く展示されており、初めて日本刀を世界の刀剣の中で客観的に冷めた眼でながめることが出来たのです。そこで実感したのは、決してひいき目ではなく、鉄に命を吹き込み華を咲かせたのは日本刀のみであり、武器でありつつも単なる武器に終わらせず、美術品の高みに押し上げていることを確信しました。西欧の刀には緻密な象嵌や彫刻の施されたものはあるのですが、鉄そのものを生かすところまでは行っていないのです。どの展示場にも共通して言えるのは照明が暗いことで、これは日本刀は高度な鍛錬と洗練された研磨技術が相俟ってライティングすれば、地がねの色調・肌模様や刃文の複雑な働きが鮮やかに浮かび上がってくるのですが、向こうのものはライティングしてもその効果は出ないからです。

 

刀剣を美術品として認め、国宝・重要文化財・重要美術品に指定および認定している民族は日本だけと言ってよく、しかもその数が国宝約110件・重要文化財約690件・重要美術品約1000件にも及んでおり、恐らく読者の方もこの数の多さには驚かれるのではないかと思います。

 

さて、日本刀を鑑賞したり鑑定したりする上でコアになるものとして挙げられるのは、姿形・地がね・刃文の三つがあります。姿格好は時代によって変遷し、微妙に反り具合が異なりますので、これを細かに観察することによって大きく製作された時代(平安末乃至鎌倉初期、鎌倉中期、南北朝期、室町末期、近世の慶長頃を中心とする年代、寛文頃を中心とする年代、幕末など)を判定することが可能となります。次に地がねは肌合の大きいもの(大板目)・詰まったもの(小板目)・さかんに流れたもの(柾目)などやこれが入り交じるもの、さらに鉄の色調の明るいもの・暗いもの・濁りのあるもの・澄み切ったもの・沸映(にえうつ)りの立つもの・乱れ映りの立つもの・白け映りの立つものなどの特徴によって、大きく地域(西海道とか北陸道とか)あるいは国(山城・相模・備前・美濃・大和など)を特定することが可能です。そして、さらに刃文(焼刃)で流派や個々の刀工の特色を把握することができるのです。この刃文こそ刀剣鑑賞上の生命とも言えるもので、刀工の技倆のレベル・出来の良し悪し、また個性的手癖が最もよく現れてきます。勿論鍛えはよくないのに刃文だけはすばらしいというのは有り得ないことで、よい焼刃が入るためには鍛錬がすぐれていることが前提となります。私たちが何気なく使っている言葉の中に「焼きを入れる」というのがありますが、これは刀の焼き入れから来ており、これによって刀の切れ味が完璧になるわけで、たるんでいるものをきちっとさせる意味に使います。また「焼きがもどった」というのは年をとって頭の働きが鈍くなってきた意味に使っています。焼入れは刀剣製作の重要な最終工程で、これを失敗してしまっては、それまでの苦労が水の泡となってしまいます。切るためだけであればシンプルな刃文でよいはずなのに、日本の刀鍛冶は多種多様な刃文を考案して焼いています。彼らに美しく見せようという意識があった何よりの証しでしょう。正に刀身を細長いキャンバスに見立てて刃文という絵を描いているのです。

 

 

 

 

 

では代表的な刃文を次に挙げてみましょう。鎌倉時代の京の粟田口派(あわたぐちは)や来派(らいは)の典雅な趣の直刃(すぐは)、鎌倉末期の正宗を中心とする相州上工の高温焼入れ(摂氏約850度位に熱して急冷した結果、焼刃や地に、冶金(やきん)学的にマルテンサイトやトルスタイトと呼ばれる粒子状の組織が顕著に現出し、これを鑑定上は沸(にえ)と呼ぶ)による沸の変化が織り成すあたかも荒々しいタッチの破墨山水を想わせるような乱れ、またこの沸の崩れを作為的に表現し地に飛焼(とびやき)・湯走りを盛んに入れた南北朝期の相州広光・秋広や山城の長谷部派の皆焼(ひたつら)という賑やかな刃文、鎌倉中期の備前福岡一文字派の華麗な丁子乱れ、鎌倉末期のが備前長船景光が創始した肩落ち互の目、室町末期の関孫六(せきのまごろく)三本杉と呼称される濃州兼元(のうしゅうかねもと)が得意とした三本連なった杉の木立を想わせる刃文、室町末期の備前長船祐定(すけさだ)が得意とした大互の目の頭がさらに小さな複数の互の目に分かれ蟹の爪乱れ(複式互の目乱)と呼ばれる刃文、江戸時代大坂の津田助広が創始した荒波の実在感を表す濤乱刃(とうらんば)、同じく大坂の国助が好んで焼いた拳形丁子(こぶしがたちょうじ)、江戸の長曽根虎徹(ながそねこてつ)が得意とした丸い互の目が連れて数珠のように見える数珠刃(じゅずは)、等々多彩です。(左頁図参照)。一方で注目されるのは、鎌倉時代後期の応長(一三一一)頃の製作とされる「松崎天神縁起絵巻」の中に高貴な人物が太刀を愛でている場面が描かれていることで、この頃にはすでに刀剣を鑑賞する慣行があったのが知られます。

 

日本刀の黄金期といえば鎌倉時代で、きら星のごとく名工が輩出していますが、その後は何故か今日に至るまで品格や美的要素がその域に達するものを見ません。それに対する答えは俄かに見つかりませんが、究極的には精神文化の熟成度の違いが係わっているのかもしれません。

 

ところで、刀工によってばらつきはありますが、日本刀は平安末期以降作者銘を茎(なかご)に刻したものが多く現存しています。これは責任保障や刀匠のプライドの意味合いが考えられ、さらに鎌倉末期以降は製作年紀を添えるものも珍しくありません。したがって流派や個々の刀工の作風・銘字の移り変わりを編年することが可能で、実証的な研究がさかんに行われ、今日では刀剣学として体系化された感があります。それゆえに日本の美術品の中でも最も精度の高い鑑定が行われており、またこれを学ぼうとする人にとっても日本刀の本質にアプローチすることは決して難しいことではありません。

 

近年、アメリカを始めイギリス・ドイツ・カナダ・オランダ・イタリア、さらにロシア・中国など海外での日本刀ブームが過熱しており、それが顕著に表れている一例が、毎年十月下旬に東京美術倶楽部に日本中の主だった刀剣商が集結して行われる「大刀剣市」で、海外勢の購買意欲は日本人を上回るものがあります。今年は官兵衛効果で日本刀に興味を抱く若い世代が増えつつあると聞いていますが、私もこの機会をとらえて日本刀を愛する裾野を拡げる活動に尽力できればと考えています。

 

 

Auther

田野邉道宏(たのべ・みちひろ)

刀剣研究家

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