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古唐津の窯が特定できる「分類カード」とは?

Ceramics | やきもの

※このコラムは、月刊『目の眼』2023年10月号86〜89ページに掲載されたトピックス〈「陶磁器窯の分類カード」とは?〉の完全版になります。

 

イントロダクション

「肥前の古窯~肥前陶磁の故郷を求めて~」という書籍をご存じだろうか? 古唐津や初期伊万里といった肥前陶磁に関心がある諸兄にとっては言わずもがなの、“窯跡めぐりの教科書”である。同書は2001年に長崎市在住、在野の研究者である川口誠二氏によって世に出でた。そこには氏が50年以上をかけ、佐賀・長崎各地に数百と点在する陶磁器古窯を一つ一つを尋ね、記録してきたデータが掲載されている。窯跡の正確な所在地、地勢、歴史はもちろんのこと、焼成された陶器や磁器の釉薬、造作をはじめとする様々な特徴、更にはその窯にまつわる土地の古話までもが丁寧にまとめてあり、読み手は著者の肥前陶磁への限りない愛を感じ得ずしてはいられないだろう。

 

 

私がこの書の存在を知ったのは一二三美術店の故 斎藤靖彦氏による。

「村多さん、古唐津が好きだったらこの一冊を押さえておかないと! 窯跡はこれで全てOKだよ!!」と頂戴してから瞬時にこの本の虜に…日々ページをめくっては古唐津や初期伊万里への理解を深め、はたまた古窯に想いを馳せる独酌の友に、さらには古窯巡りのガイド本として窯跡へ携帯した。故に頂戴した本はメモ書きにポストイット、更にはコーヒーをこぼし、見るも無残なズタボロ状態で本棚に収まっている。そんな愛読ぶりが昂じ、本誌2012年9月号において川口氏にインタヴューを敢行、「窯跡めぐりの楽しみ、そして古窯を巡る諸問題」と題した小特集の掲載にいたった次第である。ちなみに「肥前の古窯~肥前陶磁の故郷を求めて~」は今やネットオークションでの出品を待つか、はたまた古書店での偶然の出会いを夢想するしかない、希少本となっている。

 

 

さて、そんな川口氏が肥前陶磁好きへ新たなニュースを新たに提供してくれた。私はそれを川口氏からの古い友人であり、同じ長崎市在住の愛陶家、森川英治氏からシェアされた地元新聞社のニュースで知ることに。「古唐津をカードで迅速鑑定」の文字が躍る記事を「あの川口さんが!」と胸を躍らせながらWEB記事を速読、「なるほどなぁ」と腹落ちしたのだった。50年前から数多の陶片を採寸し、その特徴を記録し続けてきた川口氏。それら膨大な記録を「分類」を前提に整理した「陶磁器窯の分類カード」が特許庁の実用新案に登録された…その時のインパクトたるや、未だもって筆舌に尽くすことが出来ない。

 

 

ニュースにて凡そ理解できたものの、これをまとめ上げたバックストーリーにも興味がわいた。私は本誌編集長、井藤氏に企画を打診、承認を得るや森川氏経由で川口氏に対面インタヴューの意を伝えたのだった。肥前陶磁の生き字引、川口誠二氏と同好の士、森川英治氏をフィーチャーした実用新案登録「陶磁器窯の分類カード」についての問答をここに記したい。

 

窯跡と陶片をもっと知りたい…一途な知識欲

村多) 川口さんの著書「肥前の古窯~肥前陶磁の故郷を求めて~」から学んだ古陶磁ファンは多かったと思います。今回はご自身が編み上げた「陶磁器窯の分類カード」が実用新案に登録、というさらに凄い事を成し遂げられました。

 

川口) いやいや凄いかどうかはわかりませんが…ちまちまやっておったら出来あがった、って感じですかね。

 

村多) そのちまちまってのがすごいんです。手元に集まった何千、いや何万の陶片、その全てを採寸し、器形、釉薬や絵つけ、焼成具合などの記録を黙々と積み上げていく「手仕事」なんて常人にはできませんよ。

 

川口) 前職の電気屋の時の趣味にはじまり、古美術店を開いてから20年、只管にそれを続けてきました。勘定したら50年近くやってきたことになるね。この資料に「昭和47年10月」、って書き込みがありますよね。おそらくこれが出発点(笑)。はじめは白磁を焼いていた長崎の長与窯から。興味が出たら止まらなくて長崎から佐賀へ、窯跡一つ一つを訪ねつつ、記録しつつ北上していったわけです。

 

村多)一番最後はもしかして…岸岳麓の飯洞甕?だったりするんですか??

 

川口) はい、そうです(笑)。最後に行きついたのが意図せずして岸岳。

 

村多)いや、肥前陶磁研究の大先輩には失礼ですが「この道への入り方」としてとても興味深く。古唐津や初期伊万里というモノが好きになって、窯跡に行きたい、という人は多くいると思うんです。骨董目線でいうと、それがある意味一般的で。けれど川口さんの場合、物欲ではなく、シンプルに窯跡やそこで焼かれていたモノのストーリーを知りたいという一途な知識欲であって。

 

川口)窯跡を巡っているといろんなことがわかってくる。例えばその窯の稼働年代とかね。そこが面白くて引きずり込まれたんです。骨董屋になってからもよく人に聞かれるんですよ、「このやきもんとこっちのやきもん、川口さんはどうして同じ年代だ、とわかると?」とか。私は「そりゃあ、窯跡でこの2つがくっついている陶片を沢山みてきているから」と即座に答えてます。時にはそんな陶片を見せつつ。まぁ、当時の窯跡にはかけらはいっぱいありましたからね。それはそうと50年前、私や森川さんがやっていたこと…窯跡を歩いてはメモをして、ひっこけもんの採寸をしたり、写真を撮っている…ってのは土地の人たちからしたら「あのひと達はどうかしてるんじゃないか」って思われていたでしょうね(笑)。

 

村多)前回のインタヴューでもお聞きしましたが、当時はそもそも窯跡にたどり着くのが大変だったでしょ。大雑把な地図と言えば金原陶片さんの本ぐらいしかなかったでしょう?

 

川口)私の場合は中島浩氣さんの「肥前陶磁史考」ですね。この書にある地図を頼りに窯跡に行ってたんです。現場付近にはこの地図でなんとかたどり着ける。そこからが大変。でね。目星をつけた付近で陶片を探すんです。見つけたときはもう嬉しい嬉しい。窯跡にはびっしりといろんなものが転がっていました。そうそう、それは幸運な時のことで(笑)。1日かけてたどり着けないこともありましたよ。けれど、そのうちなんとなく感覚でリーチできる確率があがるようになりました。ねぇ、森川さん。

 

森川)そうねぇ。はじめて訪ねる窯は1日探してようやく1箇所たどり着けばよいほうだったねぇ。たどり着けないこともよくありました。

 

村多)ところで森川さんは川口さんに影響されてこの道に(笑)?

 

森川)そうなんです。川口さんとは同業の電気屋で元々のお知り合い。私はね、最初は全く興味はなかったんです。繰り返し川口さんが窯跡やら陶片の“熱い話”をするもんだから…まぁ、行ってみるか…そんなのりでぶらっと長崎市内の、長与の窯跡に行ってみたんです。そうしたらまぁ、そこかしこに白磁のぐい吞みのかけらがあって。それを川口さんに「なんでこんなのがここにあるんだろう」って質問した…思えばそれが迷宮への入り口だったんです(笑)。

 

3_kawaguchi&morikawa1

 

陶磁器窯の分類カードとは?

村多)では、そろそろ本題にいきましょうか。川口さん、「肥前の古窯~肥前陶磁の故郷を訪ねて」の刊行から22年。今度は「陶磁器窯の分類カード」で実用新案登録の認可を受けられました。この「陶磁器窯の分類カード」について教えてください。

 

川口)はい、新案はね、私自身が積み重ねてきたデータの円滑な利用法で。元々あったものなんです。うちのお客さんは骨董商から学芸員、お茶人といったまぁ、肥前の古陶磁に詳しい人ばっかりでみなさん勉強熱心。だから「このやきもんはどこの窯?」ってよく聞かれるんです。それに応えるために、結構時間がとられちゃうわけ。それで円滑にお客さんにリクエストに応えるための“工夫”がこのカードだったんです。「肥前の古窯~肥前陶磁の故郷を訪ねて」を出した時のデータベースを編集したのが今回の分類カードなんです。

 

 

 

 

私が実際にみたもの、触れて記録してきたものが基盤になっているから、絶対的なものではなくて、それはそれは大雑把なものなんです。このAIの時代にちまちましたもんです(笑)。でね、本を出した時も、今回の実用新案登録も、お店に来る人達にある意味たきつけられて、なんです。自分から進んでじゃなくて。お客さんが「やれやれ!」と。またその登録にいたるまでのプロセスも大変でね。そもそも古陶磁がわからないお役人を相手に出願するわけ。特許庁の担当の方には「川口さん、“ふるからつ”って何ですか?」って言われましたもんね。古唐津でなく(笑)。

 

14_実用新案証書写し

 

森川)いや、川口さん、普通の人にこれは出来ないですよ。凄いです。私もね、川口さんが実用新案申請をやれやれって言われておるのは知ってたんです。で、しばらくして新聞に出とる!ってことになって。「そりゃ、川口さんがやりおった!」と興奮して村多さんにニュースをシェアしたんです。

 

村多)そうだったんですね! いやはや、この実用新案登録された「陶磁器窯の分類カード」は川口さんの仕事を進めるための工夫だった、ってのは意外です。カードをみてみますと…古唐津を4つの系統(岸岳・松浦・武雄・平戸)に大別し、全てで137箇所の窯とその特徴がこの正方形のカードに記されている、ということですね。そもそもこれの窯跡に全部に行って、しかも各窯跡に実際にあった数百から数千にのぼる陶片の特徴を採寸したりしているところが常軌を逸してますね(笑)。

 

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川口)はい、誉め言葉として受け取ります(笑)。カードの表面にはその四方に器種(皿・壺・碗・盃・徳利・片口、等12種)、釉薬(灰釉・藁灰釉・透明釉・鉄釉、等8種)、窯積(胎土目・砂目・石目・貝目、等8種)、装飾(絵唐津・朝鮮唐津・刷毛目・二彩、等12種)の項目を記載していて、それぞれにパンチ穴をあけてあります。本当はね、これに「口辺」も入れたかったんです。波縁、とか端反とか。それだと五角形になっちゃってまとめていくにはある意味大変だろうな、ってことで断念したんです。

 

8_omote

 

 

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それはそうとこのカード、私が記録してきたデータに拠って、当該の窯で実際に私が確認したもののパンチ穴は「切り欠き」にしてあるんです。例えば道園であれば私が視認し、記録してきた器種では(碗・瓶・徳利・盃・皿)が「切り欠き」になっている…そんな感じ。教育委員会が発掘をした窯跡の場合は公式発掘報告書による住所、藩政時代の所属藩、また窯の推定勾配(斜度)をもメモしています。

 

村多)各窯跡ごとの特徴が網羅されていて実にわかりやすいし、この川口さんの手作り感があったかくて良いですね。裏面はその窯跡で川口さんが記録してきた陶片の類例がイラストで記されている。これらをみて、私は川口さんがご自分の積み重ねてきたことを次世代に遺したい、という強い意志を感じざるを得ません。

 

 

陶磁器窯の分類カード、実践!

森川)では、そろそろ実際にブラインドでトライしてみてみますかね。

 

川口)どうぞどうぞ!

 

森川)ではこの陶片でやってみましょう。村多さんから事前に何か持ってきてくれ、って言われていたもんで。絵唐津、ですね。

 

 

川口)ではまず137枚のカードを揃えて…この陶片に当てはまるパンチ穴にアイスピックを通していくんです。針金とかでもいいですけどね。

 

これは一目で向付とわかる陶片なので…

 

  1. 「向付」のパンチ穴にこのアイスピックを通す。
  2. アイスピックを通したまま、このカードの束を持ち上げて宙で振る…するとバラバラとカードが落ちてきます。落ちてきたカードの窯が、向付を焼いていた窯、になるわけです。
  3. 落ちてきたカードを揃えて、これは「絵唐津」の陶片ですから次にその「絵唐津」とあるパンチ穴にピックを通して同じように振るんです。するとまたバラバラと落ちる。落ちたカードが「向付」で「絵唐津」を焼いていた窯のカード、となる。
  4. 次に「窯詰め」、更に「釉薬」と続けていくんです。するとだいたい5回ぐらいで数枚に絞られます。
  5. 今回のテストで残ったのは3枚のカード(道納屋谷、焼山、阿房谷)。ここに自分の目を利かし、窯を突き止める…

 

という感じなんです。これは「阿房谷」ですね、森川さん!

 

森川)はい、正解! ちょっと簡単すぎましたかねぇ(笑)

 

村多)きわめてシンプルな手法ですね。最後の最後は自身の目を利かす、という骨董の面白みというかヒューマンなプロセスがたまりません…というか今、認識したのですが認定を受けた「陶磁窯の分類カード」は古唐津に対してベーシックな知識や興味関心がなければ窯跡特定には至らない、使いこなすことができない、ということなんですね。釉薬や窯詰め、ってのはなかなかハードルが高い。

 

川口)そうなんです。だから特許ではなくて実用新案なわけで。そんまものだからプログラミングしてソフトを開発しよう、なんて人もいないんじゃないですか(笑)。まぁ、この手法は窯跡判別の、一つの目安にはなるとは思うんです。それともう一つ。私たちはタイムマシーンでその現場を見てきたわけではないので、あくまでも参考値を導き出す手法に過ぎない、ということも言っておきたいですね。

 

村多)実践してみて完落ちです。SNSで言えば、インスタとかで「#古唐津」とか入れてる方々にはバッチリはまる実用新案だと思いますよ。皆さんの古唐津に関する知見がみるみる深まるんじゃないですか。楽しみも増えますね。

 

今後について

 

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村多)

ところで肥前の古窯と陶片について自費出版をし、次に古唐津の窯跡特定のアイデアを実用新案登録までしてきた川口さんです。次なる企画があるんじゃないですか?

 

川口)もうこの歳ですし、正直出し切ってしまいましたよ。あの頃のように一途に打ち込めるモチヴェーションもなくなってしまって…。強いて言えば、私はそれぞれの窯跡の窯体の位置を把握しデータ化しているんです。例えば同じ窯跡でも何度も窯体は移動したり、作り直されたり、さらには従来の窯の上に改めて作ったりしている。これは結構面白いかな、と。そこを可視化できる図表みたいなものがあれば。あっ、そうだ、忘れていた! まだ言えないことがもう1件ありました。

 

村多)あるんですね! まだ言えない、ということは相当その企画は進んでいるんですね。
楽しみです! ところで「肥前の古窯~肥前陶磁の故郷を訪ねて~」は既に絶版。あの書籍のデータをアップデイトして復刻する、っていうのはいかがでしょうか?窯跡の住所も平成の大合併後のものにして、その後の川口さんの研究も追記、更に先ほどお話しになられた各窯の窯体位置をいれてみたり…。いろいろとやりようはありそうな。「目の眼」さんに相談してみますか?

 

森川)そのアップデイト版には物原の位置もいれましょうかね。

 

村多)それは危険です!(笑)

 

川口)骨董屋である私がいうのも何なんですが、400年以上前にこの国にやってきた人々の営みを記録し、次世代に継承していくことは重要な事だと思うんです。その一助となることであれば私はなんでもやりますよ。

 

村多)仰ること、私も同感です。川口さん、森川さん、本日はお忙しい中有難うございました!

 

川口氏は地道に、真正面から窯跡や陶片に向き合ってきた。「知識欲を満たすため」とご本人は笑うが、書籍刊行、そして今回の新案登録とそのアクションの根底には肥前陶磁へのひたすらな愛が在る。インタヴューを終え、この道の大先輩としてその事績を敬い、そのあとに続きたい、と意を強くした。

 

近世考古学を筆頭に肥前陶磁研究は近年とみに進化している。一方、川口さんの「言い切ることは簡単だけど、誰もそれを見てきたわけではないわけで。そのあたりは謙虚でいたいものです」という言葉は個人的に刺さるものでした。

 

 

月刊『目の眼』2023年10月号

Auther

インタビュー・テキスト・構成・写真

村多正俊(むらたまさとし)

1966年、東京都生まれ。ポニーキャニオン・エリアアライアンス部長としてエンターテインメント見地による地域活性化事業をプロデュース。肥前陶磁に魅せられ、メディアを通じてその魅力を発信している。古唐津研究交流会会員、旧白洲邸武相荘クリエイティヴディレクター。

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