書の宝庫 日本

人の心を映す日本の書

Calligraphy & Paintings | 書画

伊勢集断簡 石山切「さくら花」九州国立博物館蔵
ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

日本に文字が伝わってきた時から工夫され、平安中期には確立した和様の書。墨の濃淡や柔らかな書体、空間の使い方など、残された書は書き手の心が伝わってくる。日本の書の歴史や名品について、前五島美術館副館長の名児耶明さんに伺いました。

 

―さまざまな美術がある中で、日本の書というのはどのような位置づけなのでしょうか。
日本の書というのは、美術であると同時に文化でもあると思います。たとえば外国では石の文化というのも多い中で、日本では文化のベースとして墨があります。墨を使って文字を書いたり、絵を描いたり、さまざまな表現をしてきました。中国から入ってきた墨の文化を、日本では独自にアレンジしたんですね。日本人の環境に墨というのが合っていたのだと思います。


そして、書というのは、基本的には伝達手段の道具の一つとしての文字なのですが、それが持っている意味のほかにも、墨と筆で描いた線とか形とかの美しさがあり、単なる文字だけではない美術的要素を持っているのです。

名児耶明(なごやあきら)

書道史・書文化研究者。前五島美術館副館長、筆の里工房副館長

 


―墨でいろいろな文字の表現をしたのが書なのですね。

書の基本は文字で、文字から離れると基本的には書ではなくなってしまいます。陶磁器などの工芸品が生活の上で成り立っている実用品であるのと同じように、書というのも生活の中で、言葉という道具を使って表現しているので、工芸との共通性があります。さらに多様な表現や技術をともなったうえで残されているので、書は芸術といえるのです。活字なら、どれも同じ内容が伝わるだけですが、墨と筆を使用した肉筆の書なら、表情が全部違うので、その人が伝えようとした言葉の内容以外のことが書の中に現れてきます。それが書のおもしろいところで、鑑賞の対象としての理由になります。

 

 

―中国から入ってきた文字は日本では独自に変わっていったのでしょうか。

日本の書の第一歩は、金印であったり、銅銭や銅鏡、刀類に付けられた中国の文字でした。文字を学ぶ必要があると、人は必ず先人のものを見て習うことから始めるのと同様、日本での書はこうした中国の文字に出合うことから始まり、はじめはそれらに倣って日本でも刀剣や鏡に文字が記録されました。その中でも、埼玉古墳群から出土した「稲荷山古墳出土刀剣」の銘は、日本に関する記録のためか、中国の文字とは異なって、あまり直線的ではなく、素朴な文字といった印象があります。ほぼ楷書なのですが、素朴な字形はわが国の美意識の反映であり、わが国の言葉を表記する書の始まりといえると思います。

 

おもしろいのが二千円札なのです。このお札の中には、篆書、隷書、行書、草書、楷書という日本に入ってきた文字が全部入っているのです。さらに、平仮名と変体仮名も入っているし、アラビア文字、アルファベットまで、カタカナ以外の日本で今使っている文字、歴史的な文字が入っている。こういうお札は世界中を見回してもほかにありません。

―奈良時代以前の書は金属に彫られた文字で残っているのでしょうか。

文字は金属、木、紙を用いて書かれました。初期の文字は金属や石に記された金石文の残存率が高いのですが、木の札に文字を書く木簡も平城京跡などから大量に発見されて、わが国の文字解明に重要な資料となっています。木簡は短文が多いですが、公文書、手紙、文字の練習などにも使われていて、当時の一般的な文字の様子が分かります。文字を一字一音に読むという日本語特有の木簡も発見されていて、和歌の一部のような、いわゆる万葉仮名も見つかっています。

 

 

―漢文の文字から仮名が生まれたのですね。

文章の表記は中国の漢文を手本にしたため、公文書などは漢文だったのですが、やがて日本語の影響が強くなって漢文を読み下す工夫が行われました。漢文そのものが日本的に変化し、漢字と日本語の融合がなされ、一字一音の表記も工夫されていき、奈良時代には万葉仮名も生まれました。また、和歌を一字一音で表記した木簡が7世紀中頃から見られ、和歌表記が仮名の成立の原動力となったようです。それを示すように、木簡等に見られる一字一音の和歌の書風も奈良時代から平安時代にかけて、次第に簡略化された字形に変化していることがわかります。そして平安時代の初めに仮名が整理され完成するのです。

 

 

―日本の書は仏教とのかかわりが大きいのでしょうか。

日本の書の歴史上、紙に書かれた肉筆の第一歩とされるのが聖徳太子が書いたと伝わる「法華義疏」とされています。その文字は当時の中国から伝来した仏典などを手本にしたと思いますが、あまり厳格な文字では無く、人間味もでてきています。天武天皇の頃には国内に中央と地方とを結ぶ官営の寺院を整備したため、多くの経典が必要となり、国家のレベルで書写することが行われました。

 

奈良時代に入ると仏教を重んじた聖武天皇や光明皇后らにより公的な写経所が作られて、大量に書写されました。一切経などが繰り返し写され、十万巻を超える経典が伝存したと言われています。中でも聖武天皇筆と伝承される「大聖武」は、しっかりとした構築的な文字で、写経の中でも代表格として尊重されています。同じお経でも平安時代中期になると日本的な和様の洗練した楷書のものに仕上げていきます。

 

一方で、奈良時代盛りの正倉院蔵の「万葉仮名文書」には草書や行書が混ざり、一字一音の散文で日本語表記がされています。その中に仮名に近いような文字もあり、やがて簡略化されて仮名が登場することが予見されます。  平安時代初めの代表的な書だと、奈良時代の後半に生まれ、平安初期に活躍した空海、嵯峨天皇、橘逸勢の三筆がいます。空海では最澄に宛てた手紙の「風信帖」が有名ですが、実はほかに「忽披帖」、「忽恵帖」の2通の手紙も同じ巻物にあり、「忽披帖」は王羲之を勉強したあとがよくわかる作品です。これらは、相手が最澄なので敬っている要素で書かれています。そうしたことを加味すると、鑑賞の仕方として、その書が儀礼的な「晴」なのか、日常的な「褻」の状態で書かれたのかを考えながら見るのも楽しいものです。

 

また、個人的に好きなのが橘逸勢の「伊都内親王願文」。伊都内親王は桓武天皇の皇女で願文は自分の母の遺言に従って土地を寄進するというもの。なんといっても伸びやかで自在な動きのある字形の美しさがすばらしい。同じ字をいろいろ書き分けていたり、筆が動いた後の線質も心地よく、名筆というのはこういう作品のことを言うのでしょう。

 

 

―平安の書の特徴はどのようでしょうか。

平安時代の前期から中期にかけて、小野道風、藤原佐理、藤原行成という、三跡と呼ばれる三人が登場して日本特有な和様の書を完成させました。この時代は書だけではなく、文化全般で独自の文化が育まれたのです。小野道風なら「屏風土代(前頁)」が和様の典型です。王羲之とは違って、文字に柔らかさが出てきています。また藤原佐理は5通の書状を残していますが、有名な「離洛帖」は赴任先の太宰府へ向かう途中で書いた詫び状と言われます。出だしは丁寧な書き方ですが、途中からくだけた書き方に変わり、最後は詫びの手紙とは思えないほどの自由奔放な書き方に変わっていくのがおもしろい。書には手紙などのように、作品とは違う私的なものが残されていて、文学作品のようにその人の感情が込められていることが見て取れます。江戸時代の良寛には忘れ物を尋ねる手紙もありますが、そうしたものさえ美しく感じます。ひとつのものを見る時に、こういうことを考えることも楽しみのひとつになります。

 

―和様の書というと仮名がかかわってきますね。

仮名は和様の流れの中で、大雑把にいえば万葉仮名が発展してできたものですが、905年に『古今和歌集』が成立する前には仮名の原型は完成し、漢字などの和様化と並行して発達しており、和歌などの言葉の表現においては仮名が使われたと考えられ、和様化と仮名の成立は共通するところがあります。かつては女性が女性のために仮名を作ったという説もありましたが、男性の事務的な仮名の手紙も伝存していることなど、女性に限ったものではないことは明らかです。

 

 

―仮名を主体にした書の名品はどのようなものがあるのでしょうか。

10世紀に入る頃に仮名は一応の完成を遂げたのですが、この頃までの遺品は多くはありません。古い歌集の書写とされる「継色紙」や科学的に千年頃と判明した紙に書かれた「古今集切」など、10世紀から11世紀にかけての仮名があり、その後に登場した伝紀貫之筆「高野切」は、仮名の美をすべて持ち合わせた作品として古筆愛好家や美術愛好家からも尊ばれています。これ以降にも名品は百年ほど続いて登場します。

 

特に、五島美術館が所蔵している「高野切(第一種)」の巻頭は、巻物の書き始めの緊張感が伝わる名品で、仮名美が詰まっています。料紙も雲母を全体に撒いていて、光の当たり方でキラキラと輝いて華やか。五島美術館で、この作品を取り扱うことができたことは幸せでした。

 

後撰和歌集巻十二断簡(紹巴切)

藤原定家筆 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

 

―平安以降はどのような書が出てきましたか。

鎌倉に入ると、独自な書風を書く藤原定家が出てきました。その書きぶりは「定家様」と称され、後世の茶の湯において尊重されて茶席で使用されるなど、このひとつの書風がさまざまなものに影響をあたえています。

 

室町から江戸に入るまでは混乱の時代で、世の中は落ち着きを失っていました。この時代の書では武将の手紙(書状・消息)が多く残され、興味深いです。江戸時代には寛永の三筆と呼ばれる本阿弥光悦、近衛信尹、松花堂昭乗が出てきました。 ――最後に書の鑑賞の仕方を教えて下さい。 名児耶 書の優れた作品も、古くは美術として意識的に作られていません。ただ、工芸と同じように生活の中で生まれ、これを美しくしようという意識は、あったと思います。美しい料紙を使用したのもその意識です。そのため、『古今集』を書写した作品の中には、『古今集』の内容そのものより、それを写した紙や書き文字が美しいと評価されているものが多くあります。現代でいうアートなら「これを作った」という外向きの作品が評価されますが、書は手紙だったり残そうと思っていないものにもおもしろさがあり、それも魅力になっています。  よく読めないから分からない、ということも聞きますが、読めない楽しさもあると思うんです。字体の美しさから入り、なんて書いてあるんだろうという疑問から次に進み、読めるようになると解釈の楽しさが生まれます。

 

伊勢集断簡 石山切「さくら花」 九州国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

滝の流れをおもわせる書。

 

また、私がよく紹介しているものに、書として書かれているものが自然の景物と同じ形になるというのがあります(左写真)。一例の写真を掲載しますが、川の流れ、木の枝振り、花の姿など、余白をとって書いていたりする書は自然と同じような形になっています。それが日本人の美意識になると思います。そういう鑑賞の仕方ができるのも、書ならではだと思います。

 

―ありがとうございました。

『目の眼』2022年7月号

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