源氏モノ語り

秘色青磁は日本に来たか

Ceramics | やきもの

青磁刻花牡丹文水柱 北宋時代・11~12世紀 越州窯 高21.3cm

 

 

源氏物語に登場する秘色青磁とはどんなものなのか。

 

源氏物語に登場する秘色青磁とはどんなものなのか。東洋古美術の老舗・繭山龍泉堂に東京学芸大学名誉教授の河添房江さんをご案内し、代表の川島公之さんに「秘色」について対談して頂きました。この対談は、『目の眼』2020年11月号に掲載されています。

 

 

 

対談

東京学芸大学名誉教授

河添房江さん

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繭山龍泉堂代表取締役

川島公之さん

 

 

 

 

河添 源氏物語は、紫式部日記の記述から、少なくとも1008年には若紫の巻が成立していたことがわかります。秘色青磁が出てくるのは、もう少し後の末摘花の巻です。末摘花は常陸宮家のお姫様ですが、今は父が亡くなり落ちぶれて、食事は貧しいのに食器だけは「御台、秘色やうの唐土のもの」を使っていると書かれています。

 

川島 秘色は中国で言われるようになった言葉で、唐代に秘色を詠んだ漢詩がありますね。

 

河添 そうですね。私は「秘色」とは何かずっと興味を持っていたのですが、2001年に「唐皇帝からの贈り物」展がサントリー美術館で開催されて、西安の法門寺地下宮から見つかった秘色青磁を観ることができました。その後に博多の鴻臚館趾から出土した越州窯青磁も見に行き、上海博物館でも見る機会があったのですが、茶色味がかったものが多いですよね。法門寺から出たのはきれいな緑ですよね。それで私は、越州窯の中でも優品を秘色というのかと考えたんですが、どうなんでしょう。

 

川島 中国では古くから、秘色は青磁の一番優れた物に対する美称とされてきましたが、実際に何を秘色というのかはわかりませんでした。1987年に長雨で法門寺の塔が倒壊して、再建工事をする時に地下に宮殿が発見されて、唐時代晩期の873年に懿宗と僖宗の両帝が献納した宝物が大量に見つかったんですね。「衣物帳」という石碑に「瓷秘色碗七口、内二口銀稜、瓷秘色盤子、畳子共六枚」の記載があって、実際に書かれた通りの青磁があったのでそれが秘色であるということが初めてはっきりしたんです。私は実際に法門寺博物館に行って見ました。よもぎ色というか、うすい草色で、我々も長年中国陶磁を扱っていますが、そんな青磁は全く見たことがないんです。

 

河添 そうなんですか。では法門寺地下宮の越州窯青磁が秘色だとしたら、他にはないということですか?

 

 

 越州窯青磁陶片  北宋時代初期

 

 

川島 あの色を秘色とするのであればそうですね。越州窯は江南地方の非常に大きな窯で、後漢の時代からずっと青磁を焼き続けて、唐になって貿易が盛んになると輸出用に青磁を大量につくるようになります。おそらく唐の中晩期くらいに飲茶が広まったことも盛んになった理由だと思います。760年代に陸羽が書いた「茶経」はお茶の百科事典のようなものですが、そこに茶碗の項があって、越州窯の茶碗が一番素晴らしいとしています。8世紀半ばから越州窯は青磁の最高級品とされていて、唐の晩期にひとつの完成をみます。法門寺地下宮に献納されたものは、その完成された頂点の色です。釉薬がすぐれてつややかで、形がものすごく整形がとれていて、非常におおらかな豊麗な感じがします。そして 法門寺のものは献納するための特別なものなのでサイズが大きい。しかも釉薬がグリーン。長く中国陶磁のマーケットを見ていますが、こうした越州窯青磁はないんですよ。陶片すら出てこない。中国陶磁は20世紀初頭に鉄道工事や遺跡発掘で出土して海外に出たものが多いんですが、こういうものはほぼない。秘色は特別に作られたものなのだと思いますね。越州窯はやや茶褐色な青磁がほとんどで、中国陶磁を知っている人は越州窯というと、唐、五代のものも含めて酸化焼成気味の茶色っぽいイメージなんです。

 

河添 だとすると、源氏物語やうつほ物語に出てくる秘色がこの法門寺の青磁クラスかは、かなり疑問ですね。

 

川島 秘色という名前がすでに平安時代初期に日本に知られていたとしても、グリーン調の越州窯が当時そんなに入ってくるはずがないと思います。越州窯青磁自体が日本では大変貴重な高級品ですから、グリーン調でないものを当時の人は秘色と思っていたのかもしれないですね。

 

河添 日本では秘色が越州窯青磁の代名詞になっていたかもしれないですね。鴻臚館から出土した青磁はほとんどがオリーブ色でしたね。都へ運んだ朝廷や貴族が使うものはグリーン調の高級品だったとは考えにくいですか。

 

川島 重要文化財になっている藤原道長の菩提寺趾付近から出土した越州窯青磁の水注がありますよね。このお寺は1005年建立とされていて、まさに源氏物語が成立した時代です。これも色がやや茶褐色気味ですよね。

 

 

重要文化財  青磁水注    京都府宇治市出土

五代時代~宋時代・10世紀  高21.7cm  京都国立博物館蔵
昭和12年に藤原道長の菩提寺である浄妙寺趾の近くで発見された。  出典ColBase(https ://colbase.nich.go.jp)

 

 

河添 そうですね。私も実物を見たことが何度もありますが、確かにちょっと茶色ですが少し白っぽいように思います。私はこれを見た時、これぞ秘色なのかと思いましたが、これはやはり大量に作られた貿易品なんでしょうか。

 

川島 出来がいいので、僕らの感覚からすると上手の越州窯ですし、藤原一門の菩提寺に献納されたくらいですから最高級品ですよね。ただ、法門寺の秘色とは違いますね。器形をみると唐時代にはない形なので、五代から北宋でいいと思います。中国では宮廷用の陶磁を焼く官窯というシステムが明時代に確立するんですが、官窯は王宮に納めるもので流通させないんです。唐時代でも秘色は皇帝やトップクラスの人しか使えなかったと思います。

 

河添 貿易陶磁とは全く違うわけですね。先にあげた法門寺の展覧会図録に出川哲郎氏(大阪市立東洋陶磁美術館館長)も書かれているんですが、秘色は理想が玉の色で、それで秘する色だそうで、唐時代の漢詩の神秘的な特別な色という表現もそこからきていると思います。もう一つは、12世紀に書かれた『高斎漫録』による唐の後に興った呉越国で臣下や庶民に使用を禁じたため秘色と呼んだという説ですね。でも今の川島社長のお話からすれば、どちらの説でも通用するような気がします。ただ、皇帝用だとしてもタブーにしていなければ作れると思いますけど。

 

川島 近いグリーン調のものはありますけどね。戦前に大谷探検隊が窯趾調査をした時に発見した陶片は、秘色青磁に近い色をしていると思います。越州窯は北宋になると衰退していきますが。やきものをつくる高い技術は保持されていたのだと思います。

 

河添 呉越国は978年に北宋の臣下になって越州窯青磁をたくさん朝貢するんですよね。

 

川島 その後、北宋の汝窯、南宋官窯、耀州窯、龍泉窯の一番の基準になったのが越州窯の青磁で、みんなそれを追い求めました。法門寺の秘色青磁は格調が高くて美意識の高さを感じます。越州窯があったからこそ、宋時代にあれだけ名窯ができたと思います。青磁の原点が秘色の色であり、形であったと思います。

 

河添 理想を求めて、ロマンがありますね。本当はそういう青磁しか秘色と言ってはいけないということを今日は教えていただきました(笑)。

 

川島 いやいや(笑)。

 

河添 うつほ物語に登場する大宰大弐は大宰府のトップの役人で、蓄財して秘色青磁を杯に使っているんですが、本当の秘色はそんな地方役人が使うような器じゃないということですね(笑)。源氏物語では秘色は少し時代遅れという表現がされているんですが、もし法門寺から見つかった秘色のような美しい青磁だったら、時代がたっても古ぼけたなんて言わなかったでしょう。末摘花が使っていた越州窯はオリーブ色だったのかも。それでも、当時の日本では高級品ですから、なかなか手に入らないものだったでしょうね。

 

 

青磁輪花盤 / 青磁碗
越州窯 五代時代〜唐

 

川島 越州窯は内外に名が知られているくらいの窯だから、中国でもなかなか手に入らなかったかもしれませんね。越州窯は南宋時代までありましたが、ピークは北宋初期です。源氏物語の時代は、中国ではちょうど青磁の転換期で、次の龍泉窯が生まれるまで少し間があきます。いい青磁が入ってこなくなったので人気も衰えたのでしょう。

 

河添 龍泉窯が出てくると、今度はそれが人気になったんでしょうね。それは次の時代、鎌倉から室町ですね。

 

川島 秘色や官窯は知らなかったとはいえ、日本人はいつでも美意識をもっていいものを選んでいると思いますね。

 

河添 今日は勉強になりました。ありがとうございました。

 

川島 こちらこそ、ありがとうございました。

 

『目の眼』2020年11月号 特集〈源氏モノ語り〉

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