眼の革新 

時代を生きたコレクターたち

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青柳 恵介 古美術評論家

 

コレクターを知ることでわかる古美術の魅力

 

「不易と流行」は骨董の世界にもあるようだ。たとえば、井戸茶碗や長次郎の樂茶碗は桃山時代から現代まで、その評価は常に茶碗の最高峰の位置を他に譲らない。これは不易の例である。しかし一方、同じ茶道具であっても三彩の香合などはどうだろうか。蒐集家として蔵に名品を数多く積み上げた藤田伝三郎が臨終に及んで市に出品された交趾の大亀の香合を破格の代金で落札させ、死の床でにんまり微笑んだという、その交趾の香合の現代の評価は、江戸・明治の代と較べて変わりはないか。逆に李朝白磁などは昭和の半ばと現代と比較すると異例の出世と言えるだろう。私の祖父は幾つかの李朝白磁の壺を持っていたが、よく自分は中国の白磁の値が高くて買えなかったから李朝を買ったのだよと言っていた。これらは、流行の例である。

 

私自身が経験した流行は、初期伊万里の人気の上昇である。田中角栄の「日本列島改造論」が世に風靡した頃である。かつての北前船の寄港地を中心とした地方の物持ちの蔵から「我が家の改造論」のもとにお宝が都会の道具屋に大量に運ばれた。その「お宝」の主人公が初期伊万里であった。それまで若干不分明であった有田焼の歴史も明らかになって来た頃でもあった。吹き墨で兎や鷺を描いた七寸皿や八寸皿がうなぎ上りに値上がりした。初期伊万里が牽引したと思われるが、日本の古民藝に人々は群がった。古い生活様式から新しい生活様式に変換する頃だからこその現象であった。古物であっても流行しているものは何かキラキラしている。初期伊万里の流行の少し前に流行したのは信楽大壺であった。

 

信楽大壺なり初期伊万里なり、流行しているものの輝きの中に不易の響きを聴き取ることはなかなか難しい。キラキラした輝きに目が奪われ、宗達の屏風にも平安の絵巻物にも、あるいは白鳳や天平の仏像にも共鳴する響きを聴き取る聴力を失うのである。私が魅力を持った品に響きがあることを知ったのは、いかにもその人が所蔵しているという言わば如実感のあるものと人に出会うことであった。私が敬愛している人々は自らが「コレクター」と呼ばれることを拒むことの多い人達であった。蒐集などするつもりはなかったけれども好きなものを追っかけているうちにこんな物が身の回りに集まったというに過ぎないのですというようなことを述べ、見せてくれるのである。

 

好きか嫌いか、その軸一本で物を見ている人の言わば蒐集は、その人の気が充満していて、その人の発見に触発されることも多かった。そして、何より感動的なことは数多の物に共鳴している、その人の「好き」の響きであった。ジャンルを越えて、時代を越えて、その人の「好き」の響きが聞こえて来るときに、物も生きているのだと感じられる。

 

青花 草花文 面取瓶 朝鮮時代18世紀前半

大阪市立東洋陶磁美術館(安宅英一氏寄贈)

撮影 六田春彦

 

あたりまえのことかも知れないが、物を生かすのも人である。中之島の大阪市立東洋陶磁美術館にときどき訪れると私は実際には逢ったこともない安宅英一という人と架空のおしゃべりをしているようである。何度も見馴れた面取りの李朝秋草の瓶の前に立てば「静謐の中にかすかな音楽が流れていますね」と私は問う。架空の安宅氏は「君にそれが聞こえますか。それはクロイツェルソナタですよ」などと応えてくれる。青山二郎旧蔵の「白袴」の壺の前に立つと、私は安宅氏と青山氏がもしも邂逅したらどんな会話が成立するかいささか不安にもなって来る。あるいは、駒場の日本民藝館にでかけると、わたしは先ず二階の李朝の部屋に入り、柳宗悦に心の中で次から次に質問を発し、架空の答えを柳宗悦はゆっくりと語り始める。「柳さんは李朝の大壺と李朝の水滴とどちらにより惹かれますか」「愚問だね。しかし水滴の造形には大壺に負けない大きな構想があることを認めなければならない。授かった構想を李朝の工人は大切に実行したのだ」と柳さんの講義はとどまるところを知らない。

 

柳宗悦と安宅英一とおそらく対照的な性格の持ち主ではあるけれど共通するところを指摘すれば、目の潔癖である。自分の目の純度を守るためにはあらゆる生活の工夫を怠らなかったに違いない。柳宗悦の李朝の背景には木喰仏があり、日田の皿山や丹波を始めとする民藝の諸窯が、また沖縄の織物、染物等々が控えている。安宅英一の李朝の背景には、高麗青磁の数々、中国唐代の器物、宋代の青磁、明朝の赤絵等々が控えている。二人の世界は重なる部分と離れる部分を持っている。それでも二人の世界は響き合うのである。そして同じ時代を感じることができる。二人の李朝は不易にして流行の李朝である。

私は世々の数奇者のことを考えると「見ぬ世の友」という言葉が浮かんでくる。「見ぬ世の友」を心に持ち、対話を交わすことが出来たら仕合せではないだろうか。

 

 

『目の眼』2024年1月号 特集〈眼の革新〉

Auther

青柳恵介

1950年生まれ 著書に『風の男 白洲次郎』新潮社、『101人の骨董』別冊太陽 平凡社、『柳孝-骨董一代』新潮社ほか多数

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