コラム|大豆と暮らす

受け継がれる大豆と出逢い、豆腐屋を開業

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稲村豆腐店

 

このウェブマガジンで、コラム「はじめて骨董のうつわを買う」体験談を紹介していただいている稲村香菜さんは、長野県佐久穂町に2024年オープンした豆腐屋の店主。今回から稲村さんの体験をとおして、日本のソウルフード「豆腐」にまつわるお話を紹介していただきます。第1回は、稲村さんと豆腐の出逢いや、豆腐屋を開店するまでのエピソードです。

 

 

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長野県の佐久穂町で豆腐屋を営んでおります、稲村香菜と申します。店に立っていると、よくこんな質問をいただきます。

 

「ご実家が豆腐屋さんなんですか。」

「本当におひとりでやられてるんですか。」

「どうして豆腐だったんですか。」

 

豆腐屋は家業でもなければ、幼い頃からの夢というほど大それたものでもありません。東京の下町で生まれ育ち、学校を出てから普通に働いていたのですが、あるきっかけで総合格闘技に足を踏み入れたことで、自分の身体を作っている食べ物の原点を知りたくなりました。ならば、野に食べ物がある場所で生きてみたいと東京を離れ、学ばせていただいているうち、点と点がつながっていきました。まだまだひよっこではありますが、ご縁あってコラムを書かせていただくことになり、せっかくなので今回は大きな3つの点をお話しできたらと思います。

 

長野県佐久穂町

修行していたお店から見える田植えしたばかりの畑

 

 

はじめて大豆を意識したのは、長野県佐久市にあるレストランに立ち寄った時でした。外はまだ少し肌寒く、店内で薪ストーブがちりちりと音を立てていたのを覚えています。大きな窓の外に広がる新緑の山と水が張られたばかりの田んぼを眺めていると、小皿にのった大豆が出てきました。大豆の煮物というより、大豆を炊いたものと呼ぶのが相応しいシンプルなひと皿です。

 

食べてみると、おそらく味付けは塩のみ。大豆ってこういう味がするのね、と初めての感覚が湧いてきました。いままで意識することのなかった大豆の輪郭がみえたのです。その後に出てきた素材の味が引き立つ料理の数々にも心奪われ、店で修行させてくださいと直談判し、数週間のうちに東京から佐久へ移り住みました。しばらく経ち、初めて任せていただいたのが、大豆を炊くことでした。浸漬時間、熱の入れ方、塩の量。あの輪郭を自分で捉えるにはと試行錯誤するのが楽しかった。食材と向き合い学び続ける日々をこの先も続けたい。師匠から「何かひとつ極めればどこでも好きな場所で生きていける」と教わり、そのひとつを当てもなく探し始めたのです。

 

何かヒントがあるかもしれないと、休みの日に車を走らせて石川県の珠洲にある宿へと向かいました。丁寧にしつらえられた静謐な空間に圧倒されながら、一番楽しみにしていたのは朝食の時間です。まず初めに、拳よりすこし小さながんもどきが出てきました。カリッとした皮から黒ごまと大きめに切られた具材が透けて見えます。箸で切るのがもったいないような気がして頬張ってみると、しっかり味を含んだ椎茸・人参・ごぼうの甘み、大豆のふくよかさと皮の香ばしさが口いっぱいに広がりました。素材がやさしく身体に染み渡り、心も健やかになっていくような、満たされた時間。私もこれが作りたい。

 

がんもどき

朝食にいただいたがんもどき

 

それからしばらく経ち、友人から絶対に気に入るよ!と豆腐屋を紹介されました。店には豆腐や油揚げ、がんもどきが並んでいて、商品には使用した大豆の品種名が書いてありました。みずくぐり、秘伝豆に宮城白目、初めて見る名前ばかりです。大豆と関わりの深い日本には地域ごとに伝わる在来種の大豆があり、一般的に出回っている品種改良された大豆に比べて栽培しにくいものの、味がよいため作付けは少ないながらも作り続けられてきたそうです。

 

 

2024年。友人と一緒に育てた大豆。無事に収穫の時を迎えました。

 

 

家に帰り、好きな器に盛り付けて寄せ豆腐を食べてみると、これだ、と確信したのです。むっちりとした食感とこくのある甘み、鼻に抜ける香りも、口にした瞬間に大豆と出会わせてもらいました。家でのごはんに、丁寧に作られたものがある幸せを噛み締めながら、今まで散らばっていた点を結ぼうと決めました。

 

 

2021年。岐阜県の農家さんを訪ね、大豆の収穫をお手伝い。

 

 

豆腐屋での修行ののち、佐久に戻り1年半が過ぎた頃、取り壊し予定の豆腐製造施設が隣の佐久穂町にあるという話が飛び込んできました。30年程に町の農産物加工施設として建てられ、お母さんたちが豆腐や味噌を作っていたそうですが、ご高齢になられて豆腐製造をやめ、この10年程は物置になっていたそうです。

 

取り壊し予定だった場所を受け継ぎ、豆腐店として改装。

 

 

オープンに向けて工房を徹底的に掃除し、使える機械や道具は磨き直し、ほとんどそのまま使わせていただいています。大豆を炊く釜や豆乳とおからを絞り分ける機械、にがりを打つ時に使う台や木綿を作るための型箱まで、廃業された豆腐屋から譲り受けることができました。1960年には5万軒以上あった豆腐屋も今では10分の1となり、中古機械はどんどん出てくるそうです。大きな事業者に吸収されるか、細々と続けていくかの二択を迫られる事業者が多いなか、大荒れの海原への船出に不安がないわけではありません。美味しいものを明日も食べたい。ただそれだけです。

 

改装中の店舗。豆腐の製造機などもそのまま受け継ぎました。

 

大豆は、骨董のように姿かたちが残るものではありませんが、その自体がタネでもあるので畑にまけば芽を出して、翌年に実をつけてくれます。今私は「ひとり娘」という長野や新潟で栽培されてきた大豆を使用しているのですが、これもきっと誰かが「また食べたい」と思いタネをまいたから、その香りや味を楽しませてもらえるのだと思います。この土地で作り続けられてきた大豆や豆腐の美味しさを明日につないでいけるよう、今日も手を動かします。

 

 

執筆:稲村香菜(稲村豆富店 店主

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