インタビュー|作家・澤田瞳子さん

不孤斎が生きた日本美術が変わる時代が面白い

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澤田瞳子さんと壺中居代表取締役の松浪幸夫さん

 

歴史・時代作家の澤田瞳子さんは、現在、産経新聞朝刊にて廣田不孤斎と西山南天子を主人公に「暁を踏む馬」を今年の3月から連載されています。古美術商の人生を書かれてみて、その思いを伺いました。

 

*本記事は、雑誌『目の眼』2025年12月・2026年1月号の特集「廣田不孤斎の時代 新しい美の発見者」に掲載されました。

 

 

 


 

 

目の眼編集部(以下、目の眼)__「暁を踏む馬」の連載もいよいよ佳境に入っ てきましたね。

 

澤田 そうですね。回数が足りなくなりそうで、 多分、本にする時に少し書き足すつもりです。

 

目の眼__刊行はいつぐらいになりそうですか?

 

澤田 さ来年の頭ぐらいになりそうなんです。 ちょっと刊行予定が詰まってまして。

 

目の眼__以前に不孤斎と南天子の友情を書きたいと 伺ったと思いますが、改めて不孤斎と南天子を取り上げたいと思われた理由を教えてください。

 

澤田 そうですね。不孤斎が活躍した時代というのは日本の美術と言われるものがどんどん大きく変わっていく。その過中にあったというので、まず面白い人たちだと思いますし、代々続く店が多い中で、不孤斎が西山南天子という血 縁者ではない、しかも元々別のお店に勤めていた人と一緒に2人で始めたというのが、他の美術商の方々とは違っていて、その点も興味をもつ理由にはなりましたね。

 

目の眼__確かに珍しいパターンですね。しかも創業 した壺中居は今も名店として知られています。

 

澤田 いろいろなお客様が早くから通うようになったのは、やはり信頼できるお店だったからだろうと思います。

 

目の眼__連載を読ませていただいていて意外なのは、どちらかと言うと南天子目線なんですね。

 

澤田 ああ、確かにそうなっちゃいましたね。

 

目の眼__ですが読者的にも西山の方に感情移入しやすいとわかりました。それは、やはり不孤斎は 他の人から見ると特異な人だからでしょうか。

 

澤田 どうなんでしょうね。不孤斎の方がやっ ぱり天才肌だったのかなと思います。不孤斎自身は南天子が天才肌だったと書いているんですけど。おそらくデコボコぶりが噛み合う人たち だったのではないかなという気はします。

 

目の眼__たくさん資料をお調べになったと思いますが、調べていて難しい事などはありましたか。

 

澤田 そうですね。本当はもうちょっと書きた いんですけどページが足りないです(笑)。戦後の話ももっと書きたいんですけどね。戦後に 不孤斎が中国に行く時に周囲が止めるんですよ ね。彼は中国美術の持ち出しに関わっているから逮捕されるかもと心配されて。でも大丈夫だろうと行ったら、意外と引っかからなかった話 とか。繭山龍泉堂さんとのお話も面白いと思いますので、そちらも書きたかったんですけど、 書き尽くせなかったところはあります。それと、 関係者の方がご存命だったりしますので配慮が必要ですし、その辺は気を付けています。

 

目の眼__ところで、直木賞を受賞された『星落ちて、なお』にちらっと不孤斎を出されていましたね。 時代的に「暁を踏む馬」と地続きですが、美術的な視点から、この不孤斎の生きた時代はどん な風に感じられますか?

 

澤田 私たちが今見ている日本美術の基礎はやっぱりこの時代に集中しているんだなと思います。見ている作品自体はもっと昔に作られた ものですが、美術館や博物館で鑑賞するといった美術への意識、態度はやっぱり明治から昭和 の初めにかけての時代が基礎だと思いますね。

 

目の眼__なるほど。ここで「日本美術とはどういうものか」が形作られたということですね。

 

澤田 そうですね。展覧会で見ることが始まって、しかも中国陶磁が日本に入ってくるという、 鑑賞の条件が整った時代ですね。そして愛好家がどーんと寄贈したものを現代の私たちもまた鑑賞できるという。

 

目の眼__近代の愛好家は一般に公開しようという方 が多かった気がしますね。

 

澤田 そうですね。何か意識があったんでしょ うね。博物館学や美術史といった視点がまだ一 般的に普及していなかったからこそ「ちゃんと 教育しなくては」という意識ももっと強かった んだと思います。私たちは今は美術の鑑賞が逆 に当たり前になってしまっているから、そこま で大事にしないみたいなところがあると思います。そして、今でももちろん美術店がたくさん ありますけど、おそらく、もっと入りやすく、誰でもフラッと入れるような骨董店も多かった ような気はします。不孤斎のエッセイとか読ん でいても結構持ち込みが多かったと書いてある ので、あ、持ち込めるんだって。古美術店って、 何のツテもないと怖くて持ち込みできない印象 だったんですが。

 

目の眼__澤田さんにとって古美術とはどういうもの に感じられますか。

 

澤田 歴史の蓄積そのものという感じですね。この時代に、例えば江戸時代のものがある。その何千年も前のお墓の中から出てきた壺がある。本当は時代的には一緒にあるはずがないものを存在させてくれるのは美術商さんなんだなと。不孤斎のセリフそのままですが(笑)。ですが、私たちは自分の時代しか本来生きられな いはずなのに何年も前の時代から何か物を連れ てきてくださる。それはなんか本当に面白いお 仕事だなと思います。

 

目の眼__不孤斎も本当にそう思っていた気がします。

 

澤田 そうですね。不孤斎は人間関係も非常に 濃密ですし、著名なお客様が山のようにいて、 本当に彼は色々な人たちの結束点というか、この人を通すと色々なストーリーが書ける人だと思います。

 

目の眼__では、連載がそろそろ終盤というのがもっ たいないですね。

 

澤田 本当、もうちょっと書きたいです(笑)。

 

目の眼__完全版の刊行をお待ちしています ! ありが とうございました。

 

 

 

澤田瞳子さんと壺中居代表取締役の松浪幸夫さん 2020 年3月壺中居にて。扁額は川端康成氏の揮毫。 (目の眼2020 年6 月号連載「美の仕事」)

澤田瞳子さんと壺中居代表取締役の松浪幸夫さん/2020 年3月壺中居にて。扁額は川端康成氏の揮毫。 (目の眼2020 年6 月号連載「美の仕事」)

 

 

 

インタビューを掲載した『目の眼』2025年12月・2026年1月号では、リレー連載「美の仕事」も澤田瞳子さんに綴っていただきました。「暁を踏む馬」の連載をきっかけに中国美術を勉強中の澤田さんが、東京銀座の千秋庭を訪れました。

 

『目の眼』2025年12月・2026年1月号は、紙版とデジタル版(デジタル読み放題サービス、Amazon kindle、honto)をご購読いただけます。

 

 

 

▷ 澤田瞳子さんのリレー連載「美の仕事 澤田瞳子さんが選んだ古伊万里」は、こちらでもご覧いただけます。

 

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新しい美の発見者

廣田松繁(不孤斎 1897 〜1973)は、東京・日本橋に西山保(南天子)とともに壺中居を創業し、国際的評価の高い鑑賞陶磁の名店に育てました。今号は小説家の澤田瞳子さんをはじめ、不孤斎本人を知る関係者の方々を取材。旧蔵品や資料から、不孤斎が見出した美を特集します。 そのほか宮武慶之さんと陶芸家の細川護熙さんの対談や、デザイナーのNIGO®さん、起業家の伊藤穰一さんへのインタビューなど、現代数寄者やクリエイターの方たちを紹介します。

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