目の眼4・5月号特集「浮世絵と蔦重」関連

目の眼 おすすめバックナンバー 1994年9月号「写楽二〇〇年」

Calligraphy & Paintings | 書画

 

 

1994年9月号 特集 写楽二〇〇年

対談 写楽謎ときの二〇〇年

 

 

写楽をめぐる謎

 

——写楽には謎が多いといわれますが、具体的にはどんなものがあるのでしょう。

 

中右 絵と人物とにわけて、絵から見ると、

◎全くの新人が突如デビューしたということ。
◎それも、雲母摺りの豪華版で、浮世絵師の修業をしないとわからないきまりや癖を全部持ち合わせていること。
◎絵が面白く、悪癖というかちょっとデフォルメしすぎていたこと。
◎初めはうまいのだが、だんだんと迫力が落ち、感心しないものに変わり、十ヵ月後に、突然消えてしまうこと。
◎当時の役者絵とはプロマイドみたいなものですから、人気スターでないと売れないのに、コミック系の道化役者まで描いている。

中村此蔵なんか写楽だけでしょ。豊国も描いていませんね。

 

小林 普通、写楽の作品を順に並べて、一期から四期にわけて、大首絵といわれるのが一期、全身像になってくるのが二期、三期、四期なのですが、一期の雲母摺りでは、人気役者の六代目団十郎などは描いていませんね。

 

中右 三期に大首絵が一つあります。

 

小林 そういう意味では、役者絵の世界の常識をかなりひっくり返していますね。

 

中右 次に写楽という人物ですが、人物像がわからないという点では、歌麿だって、前歴や出身など、いっさいわからない。歌麿が死んだのも、後世の人が過去帖で文化三年というのをやっとのこと見つけだしたんですが、没年は五十三歳とも四歳ともいわれています。しかし謎は多いけれどだいたいは掴めますね。

ところが、写楽となると、そういった人物像が何ひとつ見えてこない。

◎当時何歳だったのか?
◎どこに住んでいたのか?
◎師匠は誰か?

それらの記録が、全くと言っていいほどにない。

この人は本職の浮世絵師ではないという人もいます。当時、鳥文斎栄之をはじめ、旗本がよく絵を描いていた時代ですから、高貴な人物が描いたということも考えられないこともない。ともかく、ミステリアスな魅力がありますね。

 

小林 ほんの僅か、十ヵ月ほどの間に、最盛期からずっと火が消えていくように経過が辿れるという点も魅力で、作家として捉えた場合、一時期に燃焼しきった画家でしょうが、人間として正体がつかめないんです。

 

 

写楽・謎ときの歴史

 

小林 正体探しという点では、写楽の記憶が遠ざかりつつある幕末から明治にかけて最初にやっているわけです。

斎藤月岑(げっしん)が、八丁堀に住んでいた能役者であると書いている。彼がどういうルートで探したのかはわかりませんが、一応突き止めているんですね。

 

中右 月岑の斎藤十郎兵衛説は、写楽が消えて五十年も経っているんです。その前に式亭三馬が書き直しをやって、最後に集大成のように、斎藤月岑が、「八丁堀に住んでいて、阿波侯の能役者、斎藤十郎兵衛」というところまでは探し出したんですが、なぜそこにいったのかというかとう過程がわからないわけです。

 

 

******  中 略  ******

 

 

重要文化財「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」 東洲斎写楽筆  版元 蔦屋重三郎 江戸時代・寛政6年(1794) 大判錦絵 東京国立博物館蔵

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

 

 

 

 

版元蔦屋重三郎の夢

 

中右 私は少年絵師説をとっております。清長の息子、清政が写楽に変身したのではないかとおもっております。「清長にそんな息子おった?」というくらい、ほんとうにマイナーな絵師で。

 

小林 私も青年だと思うんです。そんなに年が行っていなくて。

 

中右 写楽は若いと思うんです。

 

小林 今で言えば芸大や美術学校の若手が、かなりやんちゃな絵を描きますよね。もうひとつ、版元の主張もかなり強く出ていますね。

 

中右 それはやっぱりねえ、蔦屋は、単なる出版社ではなくって、プロデューサーで、相当ああしろこうしろと言った男だと思いますね。 そういう意味では才長けた人物で、自分は絵は描けなくても絵を理解できたことは事実だと思います。ですから「こういうふうに描け」とか、いわゆるディレクター的なことまでやっていたと思いますね。

いくら寛政の改革で潰されたとはいえ、力は持っていたし、最後の力を振り絞ってやったんだけれど、写楽が消えて二年ほど後に死んでしまいますね。かわいそうなんですが、ドラマチックな最期ですね。

 

小林 これだけ反響を残して、後のことだけれど海外でも評価を受ける企てを起こした蔦屋重三郎は出版人として成功者でしょう。

 

 

****** 続く ******

 

 

重要文化財「中島和田右衛門のぼうだら長左衛門と中村此蔵の船宿かな川やの権」

東洲斎写楽筆  版元 蔦屋重三郎 江戸時代・寛政6年(1794) 大判錦絵 東京国立博物館蔵

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

 

 

 

 

プロフィール(2025年現時点)

小林 忠  氏 美術史家 1941年生まれ 学習院大学名誉教授 国際浮世絵学会名誉会長

 

中右 瑛  氏 抽象画家 1934年生まれ 行動美術協会会員 浮世絵コレクター・エッセイスト 国際浮世絵学会常任理事

 

 

 

 

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