コラム|大豆と暮らす#5

消えかかる台湾との縁。台湾で生まれた祖父と、日本で生きた曽祖父の物語

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稲村ファミリー

 

実は、豆花の地である台湾は、私の母方の祖父の故郷でもあります。といっても、祖父は私が生まれる遥か昔に亡くなってしまい、会ったことはありません。祖母の家に麻雀や中国茶の茶器があったかな。そういうえば、お正月には角煮やちまきが食卓に並ぶな。そうしたおぼろげな記憶があるくらいで、その出自を意識せずに育ちました。

 

よくよく聞けば、祖父の生まれは台湾で、高校生の時に日本にやってきてからは、日本で暮らしていたそうで、祖父を在日二世とすると、母は三世、私は四世となるのかと思うと、あれこれ気になり始めました。台湾で生まれた曽祖父と秋田で生まれた曽祖母はどこで出会い、どう生きてきたのか。高校生の時に日本へ来た祖父はどんな思いで過ごしていたのか。台湾の文化はどこへ行ってしまったのか。母が大叔母たちに私の豆腐を贈ってくれたのがきっかけで、直接大叔母たちともやり取りする機会が増え、少しずつ話を聞くようになりました。

 

 

豆腐から始まったルーツ探しの旅

 

すると、次のようなことが分かりました。

 

  • 曽祖父は1908年に台南で生まれ、水道橋にある大学で歯学を学んだ
  • 曽祖母は1911年に秋田で生まれ、東京へ出稼ぎへ行った
  • 1933年に第一子である祖父が台湾で生まれた

 

1900年代、日本の統治下となった台湾で歯学の教育はおろか、歯科治療も始まったばかり。台湾人が歯科医学を学ぶには日本へ来る必要がありました。しかし曽祖父が大学生になる頃、関東大震災が起きて通うことになる大学の校舎は全焼。建て直しが完了したのは6年後の1929年。曽祖父の入学年は定かではありませんが、祖父が台湾で生まれたのが1933年とすると、震災後の東京で学んでいたのだと想像されます。

 

大叔母によると、曽祖父と曽祖母の出会いの場は教会でした。この時代、台湾から日本へ留学した学生のなかにはキリスト教徒が多くいたようで、曽祖父も例外ではありませんでした。これはただのこじつけかと思いますが、祖父の通っていた大学の近くに、関東大震災の影響で移転してきた教会がありました。台湾人の留学を支援していたとされる植村正久氏が牧師を務めた富士見教会です。曽祖父はこの教会に通っていた可能性もゼロではなさそうです。曽祖母は元々クリスチャンだったのか、たまたま礼拝に来ていたのかは分かりませんが、もしこの教会で出会っていたとしたら。地図を見ると、近くには小石川後楽園やお濠があり、授業が終わったあとに一緒に散歩でもしていたのかな。大震災の影響でそうしたこともままならなかったのか。そこまでは調べきれませんでしたが、いずれにしても想像が膨らみます。

 

 

震災後の東京で交わされた、曽祖父と曽祖母の縁

そして1933年、祖父が台湾で生まれます。1949年に四女を出産する時に、家族全員で秋田へ帰ってきたことがわかっていて、祖父もそれまでは台湾で暮らしていたようです。第二次世界大戦後、徐々に台湾社会の様相が変化するなかで、民間人の帰還が促されます。1946年2月から段階的に進み、曽祖父と曽祖母も「台湾で暮らし続けるか、日本へ行くか」の選択に迫られたことと思います。そして、日本に行くことを選んだ。台南にいたのなら港は高雄。家族みんなで “台湾引揚船”に乗ったのでしょうか。

 

約100年の間に、台湾の文化は私の家族からほとんど消えてしまいました。もしかすると、出自の文化を大切にしてはいられない、置かれた環境に順応しなければ生きていかれない状況、あるいは時代だったかもしれません。それでも、こうして振り返ろうとしたときに、記録や痕跡が残ってないのは寂しいものです。特に形のないものは “これは大切にとっておこう”と残そうとする人がいなければ、あっという間に消えてしまいます。

 

母は数年前、大叔母からちまきの作り方を教わり、お正月に作ってくれるようになりました。私も今のうちにできるだけ多くを教わっておきたいと思います。つたないリサーチで恐縮ですが、豆花をきっかけに、消えかかる台湾との縁に思いを馳せてみました。

Auther

稲村香菜

稲村豆富店 店主

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