BULOVA | アメリカンウオッチ 最後の栄光

大江丈治

時計評論家

アメリカがモノ造りの中心だったのは、もはや過去の事。

 

そんなアメリカもかつて、機械による生産体制を早くから確立した時計生産大国だった。

 

安価で大量な日本製のクオーツウオッチが世界の時計市場を席巻するまで、輝きを放っていたアメリカンブランドがブローバだった。

 

ブローバは、1875年にボヘミアからの移民であったジョセフ・ブローバがニューヨークで開いた宝飾店が始まりで、1911年から時計製造に参入している。

 

そして1940〜50年代には、他のアメリカンブランドと同様に、飛躍的に生産量を伸ばしていた。世界の中心はこの時アメリカだった。

 

しかし、ブローバは生産拠点を早々コストの安いスイスに移していた。

 

ここに1948年に入社した発明家マックス・ヘッツェルが、53年に時計の精度を飛躍的に向上させる画期的な特許を申請したことが、ブローバを一気にリーディングカンパニーへと押し上る。それは時計の歴史上革新的な技術、音叉を用いた調速システムだった。

 

機械式時計は時間制御にテンプやアンクルと呼ばれる部品を用いるが、約200年前からほぼ姿を変えていない。一方ブローバが開発したのは、電気的に駆動させた360ヘルツの音叉による安定した振動を時間制御に用いる「アキュトロン」と名付けられたシステムで、1960年に腕時計が製品化。

 

この当時、機械式時計の日差は15秒でも高精度とされた中、アキュトロンの日差2秒は驚異的な超高精度を誇る。音叉はプーンと蚊の羽音の様な音を発しながら、スムースに秒針を動かす。

 

そんな中、ブローバの会長に陸軍元帥オマール・ブラッドリーが就任したことから、この高精度時計は、アメリカ航空宇宙局「NASA」にも多くが納品された。宇宙船の計器時計として機内に装備され、アポロ11号によって月面の静かの海に設置したマスタータイマーに使われ、アメリカの宇宙計画を支えた。

 

超高精度時計は身近なものとなって、アキュトロンシリーズは累計4000万本販売され、他のアメリカンブランドが次々市場から消え去る中、ブローバは生産数で世界一の時計メーカーになっていた。

 

しかし、利益確保の為、このシステムのパテント公開や他社への供給は限定した。小型化などの更なる技術開発を単独で行わなくてはならず、セイコー等の競合他社をクオーツ時計開発へ向けさせてしまった。

 

その結果わずか10年程度で超高精度時計の座は、より精度の高いクオーツ時計に明け渡し、そして1977年、アキュトロンはついに製造中止となる。

 

写真は1970年代前半、クオーツと激しく競り合っていた頃のモデルで、決して高級時計ではない。一時代を築いた時計だが、今では忘れ去られている。

 

それはアキュトロンが電池式時計の走りで、今日の電池とは規格が異なってしまい、時計として作動させる事が極めて困難になってしまったからだ。本体の改造を行うか、特殊なパーツが入手出来た極僅かな個体だけが動態状態で残っている。

月刊『目の眼』2013年8月号

Auther

大江丈治(おおえ じょうじ) 

1964年生まれ。時計評論家。大学工学部卒業後、大手化学メーカー勤務などを経て趣味であった時計業界へ飛び込む。有名ジュエリーウオッチブランド数社でマーケティングなどを担当。またスイスの独立時計師達とも親交が深い。

RELATED ISSUE

関連書籍

2013年8月号 No.443

稀代の美術商 戸田鍾之助を偲ぶ

アメリカがモノ造りの中心だったのは、もはや過去の事。   そんなアメリカもかつて、機械による生産体制を早くから確立した時計生産大国だった。   安価で大量な日本製のクオーツウオッチが世界の時計市場を席巻するまで、輝きを放…