眼の革新

鈍翁、耳庵が愛した小田原の風

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松永記念館内にある老欅荘(旧松永安左ヱ門邸宅)の松下亭露地門

小田原は明治時代から風光明媚な保養地として、多くの政財界人、文化人が別邸を構えていた。

 

 

益田鈍翁が小田原の高台に位置する板橋に掃雲台を構えたのは1913年(大正2)年頃のこと。2万坪という広大な敷地には邸宅と10庵の茶室のほか、ミカン畑、缶詰工場、鶏舎などあった。近隣には第3・9代内閣総理大臣山縣有朋の古稀庵、大倉財閥を設立した大倉喜八郎の共寿亭(現・山月)があり、小田原詣でをする財界人が絶えなかったという。

 

 

小田原三茶人とよばれる益田鈍翁、松永耳庵、野崎幻庵(広太)をはじめ、横井(半三郎)も茶室を設え、互いに茶会に招いては一服の交歓と逸品の眼福を愉しんだ。現在では掃雲台があった往事の景観を見ることはできないが、松永記念館に一部移設された遺構から偲ぶことができる。

 

下り龍/益田鈍翁旧蔵

かつて掃雲台の不動龍に配されていた。松永記念館蔵

 

 

 

 

『目の眼』2024年1月号

Information

収蔵資料展「春の書画」

名称

収蔵資料展「春の書画」

会場

小田原市郷土文化館分館 松永記念館別館

住所

神奈川県小田原市板橋941-1(箱根登山鉄道「箱根板橋駅」下車徒歩10分)

URL

TEL

0465-22-3635

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