根付 怪力乱神を語る

掌の〝吉祥〟を読み解く
根付にこめられた想い

Ornaments | 装飾・調度品

麒麟 象牙刻 18世紀 個人蔵

根付には森羅万象さまざまな対象が掌サイズにあらわされていますが、今回はそのなかでも英語圏の根付愛好家から〝イマジナリー・ビーイング〟と呼ばれている架空の動物をはじめ神仙など実在しないものたちを根付がどう表現し、またそこにどのような意味が込められているのかについて、現代人には欠けてしまった視点を補いながら紹介していただければと思います。提物屋代表の吉田ゆか里さんに解説していただきました。

 

 

武家の正装にも用いられた根付

 

── 根付には森羅万象さまざまな対象が掌サイズにあらわされていますが、今回はそのなかでも英語圏の根付愛好家から〝イマジナリー・ビーイング〟と呼ばれている架空の動物をはじめ神仙など実在しないものたちを根付がどう表現し、またそこにどのような意味が込められているのかについて、現代人には欠けてしまった視点を補いながら紹介していただければと思います。

 

まずは前提として教えていただきたいのですが、根付全体を見て、いちばん多く表現されたモティーフって何ですか?

 

吉田 それは……一概には言えませんね。というのも装身具である根付は、時代や地方によって、また用いられる場によって付け替えられていました。いくら気に入ってるからといってどこにでも身に付けて行っていいわけではないのです。

 

── なるほどTPOにあわせて用いるものなんですね。

 

吉田 はい、もしそれが上級武家社会の格式ある儀礼の場であったとするならば、中国の故事にちなんだ、例えば「張良と黄石公」とか「関羽」とか、中国の正史や四書五経などで活躍する名君や功臣をモティーフとした人物像が多かったでしょう。武家の礼装には印籠が必須アイテムでしたから、そうした先人の事績の名場面をあらわした印籠と根付を取り合わせて身に付けることで、対面する相手方への敬意や、忠義を示すわけです。

 

── 根付とはそういう格式の高いものでもあったのですか!?

 

吉田 また社交の場では、たとえば源氏物語とか伊勢物語などを題材とした根付も多く用いられました。武家というと武張ったイメージを持たれるかもしれませんが、平和な江戸時代にはそうした雅やかなイメージや、古典文学に対する造詣の深さとか教養を示したのですね。

 

── それはかなり高位の裕福な武家の場合ですね。

 

吉田 そうですね、でも江戸初期はそうした上級武士が身に付けるものでした。その後、煙草の爆発的な普及に伴い、武士は勿論のこと、あらゆる身分や階級の人々が煙草入が使い始め、ある意味憧れの品だった根付を身に付けるようになります。そうした人々の会合や酒席、宴席などでは持ち主の家柄や土地柄を示すようなモティーフだったり、その場の趣向に合わせた題材の根付が用いられました。これが幕末になるとさらにくだけて、人々の眼を惹く小洒落た愉快なモティーフ、見立てやパロディ的な要素が含まれた造形のものが好まれるようになります。

 

 

龍 木刻 銘 為隆 19世紀 径39mm

提物屋蔵 撮影:森仁

 

 

根付のなかの瑞獣・霊獣たち

 

── さて本題に入りますが、そうした根付の世界でイマジナリー・ビーイングを題材としたものにはどういったものがありますか?

 

吉田 いろいろありますが、最初に紹介した麒麟は友忠という京の根付師の傑作で、大型で芸術的にも価値の高い、世界的に有名な作品の一つです。麒麟は中国の神話では「獣類の長」とされたほど最上位の霊獣で、とくに仁徳にあふれた優れた為政者が最高の政治を行って、世の中がよく治まったときに現れる瑞獣とされています。10月22日の即位礼正殿の儀で、天皇陛下が御宣明あそばされた高御座の朱塗の欄干の下の段に麒麟と鳳凰が描かれていたことは記憶に新しいところです。

 

── 麒麟の姿はどこからきたのでしょうか。

 

吉田 霊獣は実在の動物の特徴を複数あわせもつことが多いのですが、語り継がれるうちにイメージがかたち作られていきます。麒麟は古代中国で紀元前から語られていますが、その姿形に言及されるのは後漢時代の『説文解字』あたりからで、明代の百科事典と呼ばれる『三才図絵』、それに触発されて江戸期に作られた『和漢三才図絵』には、いまの姿で描かれています。根付はこのように舶載されてきた古文献や粉本の挿絵のほか、神社や寺院に伝わる絵画や屏風絵、障壁画などを下敷きに造形されている例が多くみられます。なかでも麒麟は、鹿形ないし馬形で身体にはウロコ(麟)があり、霊獣の証でもある火焔や雲をまとっています。またたいへん優しい性格で歩くときも草花や虫を踏み潰さないそうで、それを象徴するように蹄は単蹄となっています。角は基本的に1本といわれていますが、根付やほかの像をみると2本だったり途中から複数に枝分かれしている作例も見られますので、そのあたりは作者の創意工夫も反映されているのでしょう。

 

飛龍 鹿角刻 19世紀 高45mm 巾47mm 奥行26mm  個人蔵

 

 

圧倒的人気の獅子

 

── 麒麟は稀少とのことですが、数が多いのはどんなものでしょうか?

 

吉田 数でいうなら獅子がいちばんですよ、ダントツです。

 

── それはなぜでしょう。

 

吉田 理由はいろいろありますが、一つは場を選ばないことでしょうか。先ほどもいいましたように根付は高級品で、普通は一人で何十個も誂えるものではありません。そうした制約の中でなにか一つ選ぶとしたら、やはり獅子なんですね。獅子というのはどのような場でも、相手がどんな立場の人でも付けて不都合がないんです。

 

── 無難であると……。

 

吉田 そういってしまうと獅子がまるで可もなく不可もないモティーフと勘違いされそうですが、逆に、獅子というのはそれほど人気ものだったということです。獅子が象徴するものは魔除けです。日本人は、魔除けということに関しては驚くほど気を使ってきた民族です。衣装をはじめ装身具類、調度品や道具にいたるまで、あらゆるところに魔除け、験担ぎ、吉祥を示す意匠や文様を施しています。また根付は刀装具との関わりが深いものでもあります。目貫や鐔など刀装具においても獅子は人気の定番で、後藤家から町金工までさまざまな獅子が彫られました。そうしたなかで根付の作り手たちが競ったのが獅子毛と呼ばれる、獅子独特の巻き毛です。主に頭と尾の周りに施されるのですが、その巻き毛をどう彫るのか、精巧さ、複雑さ、立体感、独創性といった部分が作り手の腕の見せ所でした。また筋肉の隆起部分の表現や体自体の毛彫など様々な工夫がありますので、獅子の根付だけでも見どころがいっぱいです。上方(京都、大阪)をはじめ各地の名手が根付の獅子の名品を残しました。

 

── 獅子根付にはいろんなバージョンがありますね。

 

吉田 そうですね、それだけメジャーだった獅子にはその造形によっていくつかの意味が込められています。親子獅子は子孫繁栄をあらわしたものでしょう。「獅子の子落とし」ということわざもありますが、本来は家族思いで情愛の深い生きものとしても知られていました。また玉獅子の玉は、宝物や蓄財をあらわし商売繁盛の象徴でしょう。また獅子吼といって、獅子が吼えている姿は釈迦の説法になぞらえて百獣や魔を恐れさせる力を持つと考えられていました。なお印章根付という判子形の根付も17世紀頃のからずっとつづいてみられるのですが、押印した文書に悪いことが将来生じぬよう、祈りが込められているのかもしれません。

 

獅子 個人蔵

 

 

日本で育まれた天狗、狛犬、水犀、貘

 

── 卵から生まれてくる獅子の根付がありましたが?

 

吉田 それは繍珠(球)といいまして、一説によると、雌雄の獅子が戯れるうちに互いの毛が絡みあって珠になり、その中から子獅子が生まれるという中国の故事を造形化したもので、夫婦和合と子孫繁栄をあらわしているそうです。今回紹介した中に親子ではない二匹の獅子が抱き合った根付(21頁上段)がありますが、それは雌雄が戯れている場面かもしれませんね。

 

── 卵じゃなかったのですね。

吉田 卵から生まれてくるのは、日本でおなじみの天狗ですね。天狗とはもともと古代中国では流星の名前だったのですが、日本に伝わった際に、山の怪と結びついて鳥の姿を与えられ、やがて山で修行する修験者と融合して烏天狗のイメージで定着したものです。

 

── 天狗って妖怪というよりも神様に近い存在かな、と考えていたのですが、思ったよりも複雑なんですね。

吉田 ですからイメージも重層的で、烏の眷属だから嘴も尖っていて卵から生まれてくるだろうと、こうした造形が出てくるのですが、日本初の挿絵付き根付師人名録ともいうべき『装剣奇賞』では「啐啄」の象徴として紹介されています。

 

── 啐啄(そったく)とはなんですか?

 

吉田 卵の中の雛鳥が生まれ出ようとして、卵の殻を内側から雛がつつくことを「啐」といい、それに合わせて親鳥が外から殻をつつくのを「啄」というんですね。そうして雛鳥と親鳥が、内側と外側からつつくタイミングが一致することで、殻が破れて中から雛鳥が生まれ出てくる。このように、両者が阿吽の呼吸で目的が達せられることを「啐啄の機」といってめでたいこととされたようです。

 

── いくつか、麒麟なのか獅子なのか判断のつかないものがあるのですが……。

 

吉田 これは狛犬、これは貘ですね。狛犬は、平安時代のころから獅子と一対で、寺社に奉納されたりしていたようで、一角と口を結んだ姿であることが多いのですがこの作品は若干開いていますので他の架空動物の可能性もあります。獏は悪い夢を食べてくれる存在として知られ、室町時代頃から縁起物としても珍重され、江戸時代には広くそのイメージが流布されたようです。

 

烏天狗 木刻 18世紀 高12mm 巾13mm 奥行29mm 個人蔵

 

 

左 獏 象牙刻 18世紀 高30mm 巾36mm 奥行21mm 個人蔵 / 右 狛犬 象牙刻 18世紀 前半 54mm 提物屋蔵

 

 

水をつかさどる龍と火防

 

── 獅子に続く人気ものが龍でしょうか。

 

吉田 龍の根付は確かに今でも人気です。でも制作が難しかったのか形彫の龍の根付はそれほど数は多くありません。中国では麒麟と同じく紀元前から紹介されていて、漢帝国以降は皇帝の象徴ともされる霊獣で、四神の一つにも挙げられています。日本でも龍神が各地で祀られていますので、古くから親しまれていました。龍神というと水との関わりが重視されます。「火事と喧嘩は江戸の華」といわれたように江戸時代はしょっちゅう火災に見舞われていましたから火防、火の用心というのはたいへん重要なことでした。火消の火事装束にも龍の絵が描かれていたように、龍は火防の象徴でもあります。例えば煙草入は火を使う道具ですよね、それに龍の根付を合わせるというのは、火の事故を起こさないようにという御守りのような意味合いなのかもしれません。また今回のテーマからは外れますが、雪輪の意匠も同様で、江戸後期に刊行された『北越雪譜』に掲載され一大ブームとなった雪輪文様は、灰落しと呼ばれる灰皿の役割をした根付、煙管、煙草入をはじめ火事装束などにもあしらわれました。

 

── 今回紹介していただいた龍の根付はいろんなパターンがあって楽しいですね。

 

吉田 根付なのでどうしても全体的に丸みを帯びた形になるのですが、龍のイメージは広く浸透していましたからさまざまなバリエーションが存在します。身体に火焔や雲をまとっているのは麒麟と同じく霊獣の象徴ですが、飛龍や雲龍、雨(螭)龍など、龍の祖形を保ちつつ作者の創意工夫が施されています。なかでも亮長の龍はこれまでこの一点しか見たことのない作例です。また雨龍の優美で華麗なデザインは、初期では18世紀の堺の唐物屋久兵衛の唐金製の根付が有名ですが、明治の谷斎や白斎に到るまで息の長い人気の意匠で、獅子同様、技術の優れた彫師たちがいつの時代も挑戦してきたテーマだと思います。こういう大胆な造形が楽しめるのも、想像上の生きものだからこそですね。

 

── 鳳凰もありました。これは四神の一つとみてよいのでしょうか?

 

吉田 四神といえば、よく知られるのは青龍・朱雀・白虎・玄武ですが、『淮南子』などには応龍・麒麟・鳳凰・霊亀という四種が「瑞獣の四霊」とされ、四神と対応する存在です。ただ根付の世界でどこまできっちり分類されているのかは不明です。今回は玄武と霊亀に相当する造形の珍しい根付を、収蔵家のかたに御協力いただき、並べて御紹介させていただきました。

 

── どれもユニークな造形ですね。これをみると、確かに玄武と霊亀はきちんと区別して表現されているように見えます。

 

吉田 亀は「長寿」の象徴、蛇は「生命力」の象徴ですから、玄武も霊亀も長寿と繁栄をあらわしているのでしょう。でも龍にくらべると他の朱雀、白虎、玄武は圧倒的に少ないです。

 

── それはつまり四神というものをあまり意識してないということでしょうか。

 

吉田 ええ、四神ということを意識していたなら、もう少しほかの三神もバランスのよい数が作られていたと思いますが、実際は龍が飛び抜けて多く、朱雀(鳳凰)も玄武(霊亀)も少なく、白虎に関してはリアルな虎はたくさんあっても霊獣として表現したものは滅多に見ないので、根付の意匠としてはそういう意識があまりなかったのではないかと推測します。

 

 

 

神仙と異人

 

── 最後に神仙や異人など人の姿をしたイマジナリー・ビーイングを見ていきましょう。根付の本をみると手長・足長がよく登場しますが、江戸時代はそんなにメジャーな存在だったのですか?

 

吉田 いえいえ、それは稀少だから紹介されているだけで、たいへん珍しいものです。これも何種類かの説話がありますが、根付に採用されているのは主に九州などで伝えられた南洋にあるという「手長国」「足長国」の伝承で、海で漁をする際に足長人と手長人が協力して海へ出て、足長人が手長人を背負い、手長人が獲物を捕らえるという平和的な構図が表現されています。

 

── 確かにこの根付はみな笑顔で楽しそうですね。こちらの馬を背負った老人は?

 

吉田 張果老という仙人です。彼は中国ではたいへん有名な八仙の一人で、白い驢馬に乗って移動するのですが、その驢馬を自由に出し入れしたと伝えられ、この根付はその場面をあらわしています。

 

── なるほどちゃんとその特徴を知っていればわかるように作られているんですね。となるとこちらは蝦蟇仙人ですか?

 

吉田 そうですね、その隣が獅子仙人。

 

── 蝦蟇仙人は知っていますが獅子仙人は知りませんでした。

 

吉田 蝦蟇仙人は中国ではマイナーですが、日本では鉄拐仙人とともに非常によく画題に採り上げられているため有名です。ただ獅子仙人は詳細がよくわかりません。類品に龍を抱いた龍仙人というのもあって、根付の世界でバリエーションが生じたのか、あるいは現代の私たちが忘れてしまった物語がどこかに眠っているのかもしれませんね。

 

── こうしてみてくると、根付師の彫技だけでないレベルの高さに感心します。

 

吉田 よく誤解されるのですが、根付はお店に完成品が並んでいて気に入ったものを購入するというスタイルではなく、特別な注文で誂えるものなんです。大きな藩でしたらお抱えの細工職人がいて藩から扶持をもらい、藩主や藩士の注文に応えます。町では高級な小間物屋か唐木問屋、象牙なら象牙細工専門の細工屋などが注文を受けて作ります。材料も厳選され、たとえば欄間師が注文を受けて欄間を作った予備の材木で根付を作って余録として注文主に納めることもありました。ですから実は「根付師」という専門職がいるわけでなく、幕府や藩の御細工所の人々をはじめ、絵師、金工、仏師、挽物師、入歯工など様々なプロフェッショナルが注文を受けてそれぞれの分野の材料と類まれな技術で制作していたのです。ここにご紹介申し上げた根付も、各々大勢の心血を注がれたすぐれた作品ですので、今後も人々を魅了しづけ、大切に引き継がれていくことでしょう。

なお今回、読者のみなさまにわかりやすいよう敢えて「根付師」と呼びましたが、職人といっていいのか、工人、匠、作家、何と呼ぶのが正確なのかは議論の余地がありますね。

 

── ありがとうございました。

 

 

張果老 象牙刻 銘 吉友 18世紀 提物屋蔵

 

 

左 獅子仙人 象牙刻 18世紀 / 右 蝦蟇仙人 象牙刻 18世紀  提物屋蔵

 

 

 

『目の眼』2019年12月号 特集〈根付 怪力乱神を語る〉

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