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煎茶と煎茶道

日本人を魅了した煎茶の風儀とは?

History & Culture | 歴史・文化

 

ときは江戸の中頃、人で賑わう京の名所で煎茶を売る老人「売茶翁(ばいさおう)」の登場により、相国寺の名僧・大典や伊藤若冲、池大雅、円山応挙といった当時の大物文人たちがこぞってこの老人と親交を求め、サロンが生まれた。煎茶はここから一大ブームを巻き起こす。日本人を魅了した煎茶の風儀とはなにか。煎茶道二條流家元の二條雅荘さんに「煎茶と煎茶道」についてお話を伺った。

*この対談は『目の眼』2013年10月号に掲載されています。

 

 

二條雅荘(煎茶道二條流家元・一般財団法人全日本煎茶道連盟理事長)

 

 

── 煎茶は現代の私たちにとって当たり前に飲んでいるもので、逆に身近すぎてよくわかっていないのですが、売茶翁という人から始まったのですか?

 

二條 お茶は中国が原産で、二千年以上前から飲まれています。日本にも平安時代以前から入ってきていたようですが、室町時代までは主に薬として使われていました。しかし具体的にどのように飲まれていたのか、記録がないのでわかっていません。たとえば茶葉を採ってきてお湯に放り込めば、いわゆるお茶はできるわけですが、それが「煎茶」か、といわれると、やはり違いますね。ではいつからかと申しますと、我々のいう煎茶というのは、急須を使ってお茶を飲むという喫茶法で、中国の明の時代に流行し、明末清初に日本へ伝わった飲み方が元になっています。

 

 

 

── それを伝えたのが売茶翁ですか?

 

二條 最初は隠元さんと言う人もいます。隠元隆琦禅師は1654年に来日した僧で、日本に宗という新しい禅宗を伝え、インゲン豆やスイカを持ち込んだ人としても知られていますが、明末の文人の間で流行していた煎茶を日本に伝えた中の一人というべき存在です。

 

 

── 隠元というと四代将軍家綱の時代ですね。売茶翁が活躍したのは八代将軍吉宗の時代ですから八十年ほど空いていますが、その間はどうだったんですか?

 

二條 隠元が開基となった京都・宇治の萬福寺を中心に黄檗宗の僧たちの間や、その頃に日本にやってきた明末清初の渡来人たちによって少しずつ広まっていきました。長崎では唐人(交易に関わる中国人)たちの間でよく飲まれていたようですから、佐賀で生まれ、長崎でも修行した売茶翁もその様子をみていたでしょう。しかし一般に大きく広がったのは、売茶翁が京の街なかで庶民に披露したことがきっかけです。

 

 

── だから売茶翁は煎茶道においてカリスマのような存在になっているんですね。

 

二條 茶店のようなところで茶を飲ませたり茶葉を売るということは京の街ですからわずかながらあったでしょうが、売茶翁が画期的だったのは、そこに清談を持ち込んだことです。単に茶を売るのでもなく、禅の修行だけでもない、庶民に最先端の中国式喫茶法と道具立てを披露しつつお茶とセットで文化的な話や新しい黄檗禅の話をした。また当時形骸化していた古い仏教や茶の湯の批判もしたでしょう。これが京の文化人たちにウケてサロンが生まれたんです。

 

 

── なるほど、京童たちの眼には、煎茶は最先端でお洒落なカウンター・カルチャーのように映ったわけですね。

 

二條 またこの頃に青製煎茶という、それまでの茶色い茶ではない美しい緑色の茶が出来たこともブームに一役買いました。元禄以降、農業・商業の発展とともに、日本人の生活スタイルも変化していきました。茶の栽培も自給自足だったのが商品として流通するようになり、すると競争が生まれて技術革新が促進され、さらに農村も都市も潤うようになる。また道具も、売茶翁のはじめのころは唐物、つまり中国で使っていた道具をそのまま持ち込んでいたのでしょうが、それでは追いつかなくなって急須や茶碗なども清水あたりの陶工たちがつくるようになり、日本的なデザインや工夫が加えられてどんどん広まっていきました。煎茶は、抹茶の茶道と違って自由ですから、数寄者は自分好みにアレンジしたスタイルを作り出し、それが幕末頃から流派となって細分化していきました。いまでは100を超える流派があり、私も全ては把握できないほどです。

 

 

── 近代以降はどうだったのですか。

 

二條 夏目漱石の「草枕」は明治三十九年に発表された作品ですが、主人公が煎茶を喫する場面が描かれています。

【濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へひとしずくずつ落して味わって見るのはのである。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違いだ。舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液は殆どない。ただ額郁たる匂いが食道から胃のなかへ泌み渡るのみである。歯を用いるは卑しい。水はあまりに軽い。玉露に至ってはかなること、淡水の境を脱して、顎を疲らすほどの硬さを知らず。結構な飲料である(編集部抜粋)】

これが実によく玉露の味わいを表現していますね。江戸末期ほどの隆盛はありませんが明治以降も文化人の間で煎茶道は親しまれていました。また、いまも煎茶の会は各地で開催されています。客として参加するなら難しいことは何もなく、初心者でも楽しめますから、ぜひ一度体験していただきたいですね。

 

 

『目の眼』2023年10月号 特集〈煎茶の風儀〉

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