雪山酔夢|形見分け

近衞忠大

クリエイティブ・ディレクター

*この連載は、雑誌『目の眼』2024年3月号に掲載されました。

 

宮中歌会始が1月19日に執り行われた。今年は諸役控えだったので、陪聴者の後ろで聴いていただけだったが緊張することには変わりない。

 

実はその緊張を和らげるために、お守り代わりに身に着けていくものがある。ルイ・ヴィトンのタンブールという腕時計だ。この時計は2002年に薨去された高円宮様のお形見として頂いたもの。それを頂いたのには理由がある。このモデルはルイ・ヴィトン初の腕時計として、奇しくもその年に発表され、東京での発表イベントには私が関わっていた。そこに来賓でいらしていたのが高円宮様だった。

 

東京での発表イベントは2002年夏に行われたが、それに先立って5月に行われたパリでの世界最初の発表会を視察に行った。メールもインターネットも今ほど普及していない時代で、コミュニケーションは主に国際電話。職人とは直接会わないとまともに話もできない時代だ。日本での発表会を同じようなクオリティーで行うには、細かい仕上げや、素材の雰囲気を現場で見ておく必要があった。

 

一人だけでの出張で、早朝パリに到着。ホテルに荷物だけ置いてとりあえず会場に行くとまだ工事は始まったばかり。そこから結局次の日の朝方まで施工に付き合い、一度ホテルに戻って、着替えてすぐ本番に立ち会った。しかし徹夜までして現場にいたことで、制作スタッフや職人たちと信頼関係が出来、連絡が取りやすくなった。

 

その数カ月後に日本での発表会は恵比寿ガーデンプレイスで行われた。パリの発表会の制作に関わったイギリス人が来日して施工に関わってくれたが、これがなかなかの頑固者。彼は電気系のエンジニア出身で、電気関係に非常に詳しい。

ところが日本の電源にはアースがないことを理解できず、安全性の観点から必ずアースを設けないといけない、と譲らない。日本は電圧も低く、漏電を防ぐ装置が有り、ヨーロッパとは違うと言っても全く納得しない。怒鳴り合いを繰り広げた挙げ句、最後の妥協策として鉄の杭に針金を巻き付けてアース代わりにしろという。電気屋さん、照明さん一同苦笑しながら、窓を開け、植え込みに1メートルほどの鉄杭を打ち、半開きの窓に針金が挟まった状態のまま本番を迎えた。後にも先にもそんな話を聞いたことがない。

 

その腕時計をしていると、そんなエピソードを思い出し、緊張など吹っ飛んでしまう。

 

 

*近衞忠大さんの連載「雪山酔夢」は雑誌『目の眼』で連載中。過去のコラムはこちらからご覧いただけます。

月刊『目の眼』2024年3月号より

Auther

雪山酔夢

近衞忠大(このえただひろ)

1970年東京生まれ。公家、五摂家筆頭・近衞家の長男として生まれ、スイスで幼少期を過ごす。 武蔵野美術大学卒業後、テレビ番組、ファッションブランドの大型イベント制作などに関わる。特に海外との国際的な制作現場を数多く経験。伝統と革新、日本と海外といった違いを乗り越え 「文化とクリエイティブで世界の橋渡しとなる」ことを目指し、クリエイティブ・エージェンシーcurioswitch及びNPO法人七五(ななご)を設立、代表を務める。

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