藤田傳三郎、激動の時代を駆け抜けた実業家の挑戦〈前編〉 People & Collections | 人・コレクション 稀代の事業家、藤田傳三郎のルーツと功績 藤田美術館の基を築いた藤田傳三郎とは、果たしてどのような人物だったのだろうか。 傳三郎は江戸末の天保12年(1841)、長州・萩の醸造家に生まれた。すぐ近所には幕末の志士として活躍した高杉晋作がいて、明治に入ってからは長州閥を築いた井上馨や山縣有朋、伊藤博文とも深く関わることから、一説には奇兵隊に入隊したとも伝えられるが幕末の動向はよくわかっていない。ただ後の活躍ぶりをみると、闘争や政治の表舞台よりもその舞台を整える、あるいは支援する側で才能を発揮したのではないだろうか。わずかな資料から垣間見えることは、実家の醸造業を手伝って利益をあげ、明治2年に大阪へ出たこと。実はこのとき傳三郎は長州の先輩や同僚を見習ってヨーロッパへ渡航しようとしたらしい。しかしその計画はうまくいかず、やむなく萩へ帰ったところに最初のビジネスチャンスが転がり込んできた。ちょうど長州藩の陸軍局が廃止されて不要になった大砲、銃器、弾丸などが払い下げになり、それを傳三郎は一手に引き受けて大阪で売却に成功、ひと財産を築いた。28歳の頃だ。 それで見所があると思われたのだろうか、萩出身で兵部省幹部となった山田顕義を尋ねたところ、軍靴の製造を勧められたという。当時の陸軍はいまだ草鞋を履いて戦っており、西洋式の革製軍靴の製造に着手することとなる。それに関連して他の軍需物資を調達する仕事も請け負ったことで、傳三郎を政商、武器商人と呼ぶ声もあったが、それは彼の事績の一部にすぎない。次に傳三郎が手掛けたのが土木工事。大阪市北区の中心部に架かる高麗橋が洪水で流されたので、鋼鉄製の橋を架け直すという大きな仕事で、請負責任者は英国の商社だったが、現場で施工したのは傳三郎率いる職人集団だった。それも当時まだ日本で2例しか成功例のない最先端技術を用いてのことで、現場の苦労が察せられるが、橋は無事、明治3年に竣工している。 この成功によって、さらに大きな事業が降りてくる。明治政府が推し進めていた鉄道建設の一大プロジェクトで、傳三郎は大阪─京都間を請け負うこととなった。この事業は明治6年から始まり、明治10年に完成した。と書くとあっさり済んだように感じるかもしれないが、ほんの数年前まで酒や醤油を作っていた若者が、まだ会社組織も立ち上げぬうちにこれだけの大事業をやり遂げるのは並大抵のことではない。 ちょっと想像してみればわかるが、まず、革靴も、鋼鉄製の橋も、鉄道建設もそれまでの日本では前例がほとんどなく、当然ノウハウもない。西洋の技術者を招いて指導を受けただろうが、前もって座学する時間などないだろうから、きっと現場で作業しながら学び、その学んだことをすぐ具現化したのだろう。加えて職人の手配も大変だ。当時の日本には職人や人足は山ほどいただろうが、それぞれ専門に特化した職人が多く、協調性の高い人ばかりではなかった。よほど上手く仕事を割り振り、効率的に動くよう調整しなければならない。しかも当時の建設作業員は日払いが当たり前の世界。政府が日払いで払ったとも思えないから傳三郎が立て替えたはずだ。これはよほどのコミュニケーション能力と指導力がなければできない芸当で、傳三郎は人づきあいが苦手だったという風評があるが、俄には信じられない。 この成果をもって傳三郎は、さらなる鉄道、土木、農林業、そして鉱山開発などへ事業を広げて巨利を得、大阪における財界のトップへ登りつめた。不幸にも明治12年に起こった贋札冤罪事件によって傳三郎の評判は一時地に堕ちるが、明治18年には五代友厚のあとを受けて大阪商法会議所の第二代会頭の要職も勤めた。これは人望がなくてはできないことだ。実際、大阪の実業界で紛争が起こると、傳三郎が呼ばれてその調停に奔走している記録は、その人となりを知る上で興味深い。傳三郎の成功には、きっかけとしては長州人脈があったかもしれないが、どれもカンタンに儲かるような楽な事業ではなかったことは明らかで、その実行力は凄まじいの一言だ。 〈後編「稀代の事業家、藤田傳三郎のルーツと功績」はこちら〉 掲載号 『目の眼』2022年9月号 目の眼2022年9月号「藤田美術館をあるく」 *目次・詳細はこちら(目の眼2022年9月号) RELATED ISSUE 関連書籍 目の眼2022年9月号 No.552 藤田美術館をあるく 附 大阪近代数寄者列伝 近代日本における大阪財界の重鎮であり、ビッグコレクターであった藤田傳三郎と長男・平太郎、次男・徳次郎によって築かれた、国宝9件、重文53件を含む数千点もの美術品を擁する藤田美術館。今春リニューアルオープンした同館の魅力と注目の展覧会を紹介します。 また当時、東京以上の規模と密度を誇った大阪の近代数寄者に注目し、関西から日本の経済界と美術界を支えた第一世代近代数寄者たちの足跡を、旧蔵品と併せ紹介します。さらに大阪美術倶楽部で9月に開催される大美特別展も取り上げます。 雑誌/書籍を購入する POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 骨董ことはじめ① 骨董と古美術はどう違う? History & Culture | 歴史・文化Others | そのほか アンティーク&オールド グラスの愉しみ 肩肘張らず愉しめるオールド・バカラとラリック Vassels | うつわ 展覧会情報|大英博物館 ロンドン・大英博物館で初の広重展。代表作「東海道五十三次」など Calligraphy & Paintings | 書画 夏酒器 勝見充男の夏を愉しむ酒器 Vassels | うつわ 連載|辻村史朗(陶芸家)・永松仁美(昂 KYOTO店主) 辻村史朗さんに”酒場”で学ぶ 名碗の勘どころ「井戸茶碗」(前編) Ceramics | やきもの 古美術店情報|五月堂 東京・京橋から日本橋へ 五月堂が移転オープン Others | そのほか リレー連載「美の仕事」|澤田瞳子 澤田瞳子さんが選んだ古伊万里 Ceramics | やきもの 大豆と暮らす#3 おから|大豆がつなぐ、人と食 Others | そのほか 加藤亮太郎さんと美濃を歩く 古窯をめぐり 古陶を見る Ceramics | やきもの 大豆と暮らす#2 うなぎもどき|日本人と大豆の長い付き合いが生んだ「もどき料理」 Others | そのほか 日本橋・京橋をあるく 特別座談会 骨董街のいまむかし People & Collections | 人・コレクション 骨董ことはじめ⑦ みんな大好き ”古染付”の生まれた背景 Others | そのほか