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Bentley | ロールス・ロイスの光、ベントレーの風に魅せられて 2

涌井清春

ワクイ・ミュージアム館長

白洲次郎が1920年代に英国で乗っていたベントレーが現存している、と教えてくれたのは日本で自動車評論の始祖ともいえる小林彰太郎さんでした。英国のBDC(ベントレー・ ドライバーズ・クラブ)というマニアの総本山のようなクラブがありますが、そのメンバーが長年手入れをして所有しているとのことでした。

 

戦後GHQとの交渉にあたり、日本国憲法の翻訳チームを率い、吉田茂首相の片腕として活躍した白洲次郎は1920年代、綿貿易で財をなした父からの潤沢な送金を受け、ケンブリッジ大学に留学し寄宿舎で学生時代を過ごしました。日本で中学時代からアメリカ製のクルマに 乗っていた次郎は、英国でもオイリー・ボーイとよばれるほどクルマいじりをしながら走り回っていたそうです。このベントレーで親友で伯爵子弟のロビン・ビ ングと欧州をドライブ旅行した記録は次郎についての伝記本によく出てきます。

 

次郎がこのクルマを買った1924年にベントレーは同じ型である3リッター車でフランスのル・マン24時間耐久レースで英国車として初の優勝を飾り、その後の’27年から’30年は4連勝と一躍英国のプライドとして憧れの車になりました。

 

次郎が愛用した登録ナンバーXT7471もそのままに、第二次世界大戦を超えて英国で大切にベントレーファンが動態保存してくれていたのは、日本の私から見 れば奇跡でした。ベントレーという乗り手を魅了する英国のプライドを背負ったスポーツ車であったこと、そして戦勝国であり、古いものを愛し戦前から自動車 趣味が根付いていた英国人ならではの心のゆとりでしょう。古い車が出てくるたびに、私はこの心のゆとりについて教えられるように感じます。

 

「この車は日本にあるべき意義があり、しかもミュージアムなどで死蔵展示せずに涌井さんが活発に動かして動態保存してはどうか」と小林彰太郎さんに言われ、半ば義務感に駆られるように交渉が始まりました。

 

「トヨタや(次郎が会長を勤めていた)東北電力からも買いたいと言って来たが売らなかった。」海の向こう、特に日本に車が渡ると行方知れずになってしまうという気持ちが欧米人にはあるのです。しかもビンテージ・ベントレーのファンでもない会社相手に売りたくないというのは正直な思いだと感じます。自分の趣味や 熱意を証明して見せるような10ヶ月の交渉ののち、この車は特別に空輸でコレクションに入りました。

 

オーナーであった方からは奥様とこの車でイタリア旅行をしたり、レースに出たりとさまざまな思い出があるとの手紙を受け取りました。日本でも次郎の愛娘である桂子さんを次郎の旧宅である武相荘を訪ねて乗っていただき、また孫である信哉氏と元気にミッレ・ミリアで1600キロを走りました。今、毎週末私のミュージアムでエンジンをかけるたびにいつも次郎の青春の息吹を感じています。

 

人生の長さを越えて物は残る。故人の愛用品がそのままに残されることは物悲しくもあるけれど、ありがたいことと思います。

月刊『目の眼』2013年5月号

Auther

涌井清春 ◆ わくい きよはる 

1946年生まれ。時計販売会社役員を経て、古いロールス・ロイスとベントレーの輸入販売を主とする「くるま道楽」を開く。海外からのマニアも来訪するショールームを埼玉県加須市に置き、2007年からは動態保存の希少車を展示した私設のワク井・ミュージアムを開設。

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