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連載|美の仕事・茂木健一郎

テイヨウから、ウミガメに辿りついたこと(壺中居)

Ceramics | やきもの

『目の眼』2013年4月号よりスタートしたリレー連載「美の仕事」は、現在も誌面で続いているロングラン連載です。各界の第一線で活躍されている方々が、骨董・古美術の名店を訪ね、そこで見聞きしたモノ・コトについて執筆しています。

 

記念すべき連載第1回(『目の眼』2013年4月号)の執筆は、脳科学者の茂木健一郎さん。当時、骨董・古美術に興味をもち始めたばかりの茂木さんを、多くの名品を扱ってきた東京日本橋の壺中居にお連れし、最高級のモノたちと対峙・格闘していただきました。その真剣勝負の様子をお楽しみください。

 

 

異境でいきなりの頂上作戦?

 

「骨董」といえば、もちろん観念としては知っていたが、それが実体となって目の前に姿を現したのは、白洲信哉と呑んだ時だった。

 

都内の信哉行きつけの鮨屋を指定されて、奥の席で、座るといきなり、信哉がおちょこととっくりを出した。その時の品物が、信哉の愛蔵品で、うらやましいな、と私がこの頃心底思っている、無地の唐津だったかどうかは、今となっては記憶が定かではない。

 

へえ、店に来るのに、自分の骨董の酒器を持ち込むやつがいるのか、と思った。それは、見たこともない「異境」と、そこに棲む「奇人」との出会いだった。その新世界の縁で、私は、泳ぎ方も息継ぎの仕方もわからず、相変わらず右往左往している。

 

日本橋にあるは、小林秀雄さんが、青山二郎さんと一緒に骨董を眺めている、有名な写真のお店である。前に一度、信哉が連れていってくれた。細川護煕さんの展覧会をしていた。その際に、信哉が、店の人たちと気安そうに言葉を交わしているのを、ちら、ちらと横目で見た記憶はある。

 

そんな壺中居に、本格的に行くことになった。いきなりの頂上作戦、とでもいうべきなのだろうか。何しろ、右も左もわからない世界なのだから、ゆっくりと、謙虚に進むしかない。

 

 

いよいよ、壺中居という虎穴に入る。そのあたりを目指して、東京駅から髙島屋への道を歩きながら、私は、実は胸のうちで考えていたことがあった。

 

私は、骨董についてはまさに素人だが、唯一のとっかかりだと思っていることがある。それは、「クオリア」を基準とすること。ここに、「クオリア」とは、意識の中でとらえられる質感のことであり、「感覚質」と訳されることがある。

 

クオリアは、人類に残された最後の謎だとされている。意識を生み出すのは脳。一千億の神経細胞から、いかにクオリアが生み出されるのか。その解明に、全世界の研究者たちが取り組んでいる。

 

骨董も、その本質は一つのクオリアなのではないかと思う。そして、クオリアは、何しろ言葉にできないものだから、体験の中で、向き合うしかない。ある品物を巡る故事来歴、現代美術で言うところの「文脈」をいくら辿ったとしても、本質には到達できない。ある品物がどの時代に、どこで創られたどのようなものか、市場での評価はどうか、誰の旧蔵で、どんな箱書きがあるのか。そんなことをいくら並べ立てたところで、理解の助けには確かになるが、クオリアそのものには到達し得ない。

 

結局、たくさん見て、たっぷり触れる、ということしかないのだと思う。美術館と、壺中居のような骨董屋さんの最大の違いは、実物に触れることができるという点にある。(もちろん、買うこともできるのであるが。)言うまでもなく、触覚も、「クオリア」の大切な要素の一つである。美術館で、ガラスの向こうに器を見ているだけでは、脳の中でつくられるクオリアが深まらない。

 

 

ブインとテイヨウ

 

そんなことを考えているうちに、信哉に誘われ、いよいよ、壺中居に入った。応対して下さったのは、社長の井上繁雄さん(2023年時は壺中居相談役)。座って、まずは、床の間においてある白い壺を拝見する。

 

李朝のもの、くらいはわかる。用途は、花活けかな、と思う。いずれにせよ、きれいな姿をしている。

 

「これはいつぐらいのものなんですか?」

 

「18世紀後半……」と井上さん。「最盛期のものですね」と信哉が口を挟む。「これは、ブンインですね。」「ブイン?」「分院というのは、李朝の、はっきりとした官窯を指すのです。」「固有名詞が、そもそもわからないな。」「わからなくていいんです。」と、またもや信哉。「これは、もともと花活けとしてつくられたものですか?」「いや、むしろ、酒器でしょう。」「酒器?」「お酒といっても、向こうは清酒じゃなくて、濁った、どぶろくのようなものだから。寒いところですから、お酒が必要なんじゃないですか。」

 

出だしから、面白いものだなあ、と思う。骨董とは、ともすれば、ひんやりとした距離を感じさせるものである。何しろ、時代を超えて、持ち主から持ち主へと、受け渡されていく。「私は、ただ、一時的に預かっているだけですから」とは、骨董の名品を所有している人がしばしば漏らす言葉。そこには、素晴らしいものを持っているという喜びとともに、自分の命の限りあることについての、寂しい諦念を含んだ微笑みがあるように思う。

 

ところが、骨董をめぐる人間の話になると、とたんに日が差してくる。人心地がする。手にとった骨董を真剣に眺める小林秀雄、その様子を、顎に手を当てて眺める青山二郎。友人でいながら、なれ合わない、真剣勝負でありながら温かい。そんな人と人との混じり合いが、骨董というもの。 

 

白磁壺 朝鮮王朝時代 高30.0cm 最大胴径28.3cm

 

 

そうこうしているうちに、井上さんが、もう一つ李朝を出してくる。信哉が、へえと身を乗り出したところを見ると、どうやら素晴らしい出来らしい。「秋草ですね」「秋草?」「この文様がね」「どうして、秋草と言うのですか」「なんだか知らないけれども、日本人は、昔から秋草と呼んでいるのです」

 

乳白色の肌に、印象的な草の絵。これは見たことがない、などと言っているから、珍しい作例なのだろうということはわかるが、私自身が、乳白色の五里霧中にある。

 

 

続いて、途轍もなく薄い鉢が出て来た。持ってみると、驚くほど軽い。それでいて、しっかりと硬い。骨董のクオリアという「スペクトラム」の中でも、これは尋常ならざるものだと直覚する。

 

「これは何ですか?」「テイヨウですよ。」「テイヨウ?」「宋の時代のものです。特に、高い技術で知られている。」

 

紙の上に記してもらって、初めて「定窯」という字を書くのだと知った。「どうです、この技術。日本や朝鮮の磁器には、これはない。これこそが、中国なのです。」

 

定窯のお皿を触っていると、そこに今までに感じたことのないクオリアがある。その薄さと、凛とした粘りのようなものに触れているうちに、思いだしたことがある。突飛もない連想なのだが。

 

冬に、屋久島に行った。海岸を歩いていたら、たくさん、白い花びらのようなものが落ちていた。おや、これは何だろう、それにしても季節はずれな、と思っていると、どこまで進んでも、花びらが落ちている。

 

一つ、拾って手の上に置いてみた。卓球の玉が破れて、皮がはがれた時の感触に似ている。もっとも、あれよりもよほどしなやかで、どこかしっとりとしている。ひょっとしたら、と確認したら、やはりそうだった。ウミガメの卵の殻だったのである。その浜は、季節になるとウミガメが産卵に訪れる場所として有名で、孵化して、殻を破って出ていった、その跡が残っていたのだった。

 

ウミガメの卵の感触は、それまで触ったどんな卵のそれとも違っていた。そして、定窯のお皿の感触には、どこか、あの時のウミガメの卵を思わせる優美さと力強さがある。思うに、ウミガメの卵の感触は、長い歴史の中で自然の必要に従って進化してきたものであろう。同じように、定窯のお皿も、文明史の中で需要と美意識に従って造形されてきた。そこには、生物の進化と同じような偶然や必然が関わっていたことだろう。

 

定窯白磁刻花文鉢 宋時代 高8.6cm  口径23.6cm

 

 

脳科学者、知恵熱を出す

 

ブインだとか、テイヨウだとか、いろいろな言葉を聞いて、それを吸収しようとしているうちに、何だか頭が熱っぽくなってきた。「ダメだ、知恵熱が出て来た。骨董は、素粒子物理学よりも難しい。」そのように言うと、信哉が笑っている。井上さんも笑っている。要するに、何百年という時間の中でつくられてきた作品群を、ぎゅっと凝縮して「骨董」という「箱」に入れようというのだから、少々難しくなるのは当然だろう。

 

一つひとつの作品の背後に、その時代、土地の背景がある。それを受けついで来た人たちの、思いがある。「力がないものは、自然に壊れたり、散逸したりするんじゃないでしょうか。何百年にもわたり、大切に受け継がれてきたものは、それだけ良いものだということです。」これもまた、骨董を愛する人からしばしば聞く言葉である。壺中居でブインだとか、テイヨウだとかをいじっていると、そんな言葉も説得力を持ってくる。

 

そういえば、壺中居に入ってすぐに、信哉が、「へへへへ。ロンジン持ってきましたか」と聞くので、何のことかと思ったけれども、小林秀雄は、壺中居で「葱坊主」が気に入って、買ったばかりのロンジンと交換したのだった。そんなことも忘れてしまうくらい、緊張していた。

 

気になるのは、「狐がつく」ということ。どうやら、小林秀雄には、狐がついたらしい。つまりそれは、骨董のクオリアが身体に入り込んで、染みつくということだろう。定窯のお皿から、ウミガメの卵までにはたどり着いたけれども、骨董の大海は、まだまだ未知のまま、目の前に広がっている。そんな私にも、壺中居は温かい。

 

 

『目の眼』2013年4月号 特集〈円空の微笑みと白〉

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