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スペシャル鼎談 これからの時代の文人茶

繭山龍泉堂 30年ぶりの煎茶会 龍泉文會レポート

People & Collections | 人・コレクション

 

東京・京橋の老舗古美術店「繭山龍泉堂」にて、去る5月10日より3日間にわたり「龍泉文會」と銘打った煎茶の会が開催された。

鑑賞美術の専門店での煎茶会というのは昨今珍しいが、ここでは主催の繭山龍泉堂代表・川島公之氏と、一茶庵宗家・佃一輝宗匠、そして雑誌『目の眼』で「漢籍煎茶趣味」を連載中の蒐集家・潮田洋一郎氏によるスペシャル鼎談を掲載。あわせて当日の煎茶席のしつらいと、趣向を凝らした展示風景もたっぷりとご紹介します。

 

 

 

龍泉文會当日のしつらい

 

 

◆ 30年ぶりの煎茶会

 

── 鑑賞美術の名店である繭山龍泉堂で煎茶会とはなかなかユニークな企画と感じましたが、どのような経緯で始まったのでしょうか。

 

 実はね、煎茶が隆盛だった江戸末から明治にかけて、中国美術の名品は煎茶会で使うための道具として盛んに輸入されていたんです。当時、煎茶の世界を支えた資産家や大企業のオーナーたちは、文人趣味が高じてそうした器物を集め、煎茶会という場で披露しあったわけです。それを担っていたのが煎茶道具屋さんだったのですが、時代の変遷とともにブームが衰退してくると彼らは次第に鑑賞美術の店へと変わっていったという歴史があるんです。つまり今回は逆に、長らく鑑賞美術の枠組みで評価されてきた中国美術の名品を、あらためて煎茶という世界のなかでふれて感動していただきたい、という試みなんですよ。

 

潮田 そもそものかたちを復活させてみよう、ということですね。

 

 私は昔からそれを念願していたんですが、ようやく実現できたのが1994年にここ、繭山龍泉堂で開催した煎茶会。数えてみたらちょうど30年前なんですね。それから4年間で9回行いました。そしてそのとき、お客さんとして参加してくださったのが潮田さんなんですよ。

 

川島 潮田さんはそのときが煎茶初体験だったんですか?

 

潮田 そうなんです。茶の湯は当時から嗜んでいましたが、煎茶は生まれて初めての体験でした。いやぁ衝撃的だった。茶の湯はある程度、型にはまって流れていくのですが、こういう美との接し方があるのかと驚きました。

 

潮田洋一郎さん

 

── 茶の湯とはぜんぜん違うのですか?

 

 我々が行なっている「文人茶」は、いわゆる「煎茶道」とは違ってフリースタイルに近いものでして、茶や酒を喫しつつ、絵画や書作品をみなで鑑賞し、読み解きながら深く語り合うことを主としています。それにいちばん感動してくださったのが潮田さんで、その後自らも煎茶を始められていまに至ります。

 

── 「文人茶」の会だから「龍泉文會」なのですね。

 

川島 4年前にRYUSENDO GALLERYという場を作りまして、煎茶会をまた復活させたい、と佃さんから相談があったのですが、コロナ禍もあってなかなかできなかった。ようやく実現できました。

 

 今回は龍泉堂からすばらしい名品をたくさん出していただきましたので、それを受けて我々は何と何を取り合わせ、どう構成していくか、明治の文人たちが愉しんだ煎茶のおもしろさも取り入れて考えてみました。

 

川島 私たちはどうしても商品として一つ一つを見ますから、モノとモノを取り合わせるということはあまり考えたことがありません。佃さんと試行錯誤しながら、なるほどこういう見方があるのか、この作品にはこんな魅力があったのか、と違った視点での気づきがありました。

 

 

◆ 3つの王朝の美意識

 

── では今回の趣向について教えてください。

 

 最初はね、器物の持つ力をバランスよく取り合わせていくことだけを考えていて、あまりこちらでストーリーを作って主導していくつもりはなかったんです。そうしたら龍泉堂がこの青銅器を出してくださいました。

 

川島 殷(いん)代の鼎(てい)ですね。紀元前1500年くらいに祭器として用いられたもので、立ち姿は端正ですが、造形・文様ともに非常に力強いものです。

 

潮田 これを炉に見立ててボウフラを置いたわけですね。

 

── 素人目にはすごくショッキングな風景ですが・・・

 

 紀元前1500年と15世紀初め頃のもの、時代は3000年くらい離れてますが、取り合わせてみると意外にバランスがいいでしょ? 表現方法は違っても、どちらも力があって洗練されている。だから調和するんです。

 

川島 鑑賞でしかありえないと思っていたものが、こうやってボウフラを置いてみることで一気に道具として輝き出す。色合いも含めて不思議にマッチしていて新鮮に映ります。

 

 青銅器を炉に見立てるのは、実は幕末明治の煎茶の資料に記録されています。この取り合わせを考えた先輩がいたということです。当時の文人たちの美意識の高さには驚かされますね。中国古代の文物を日本人がいかに咀嚼して、サロンの仕掛けとして昇華させたか、という証拠でもあります。

 

 

 

 

 

潮田 日本人は室町時代頃からそれをやってきたという豊さですよね。日明貿易で堺から陸揚げされた文物が、当時の人々にとっても、いま我々がみるように衝撃的だったと思います。見た瞬間にハレの気分になるわけです。それを驚きで終わらせず、人を招いて饗応するという文化に昇華させる。いまの茶の湯はあまりにもそれがなさすぎます。いや煎茶も、流儀としてはないのかもしれないけど、今回こういう提示をすることで、発祥期の煎茶の高揚感がまた戻ってくるんじゃないかと期待します。

 

 ただこれだけでは青銅器が強すぎて突出してしまいます。それでなにか対抗できるものはないかと川島さんに相談したところ、朱元璋(しゅげんしょう)の時代、洪武の釉裏紅が出てきた。

 

 

 

 

 

川島 朱元璋というのは、中国の歴史上でモンゴル民族の王朝である「元」を打倒して、明という帝国を築き上げた創立者です。元の時代は西方から良質なコバルトが大量に入ってきたので染付(青花)が大きく進化したのですが、動乱期ということもあって明の初期には染付の原料となるコバルトがほとんど入手できず、代わりに銅を使った釉薬が使われました。銅を使うと赤や緑に発色するのですが、当時は技術的になかなか難しかったらしく大体グレーになってしまいます。赤く発色したとしても、色が黒ずんでしまったり、文様がぼやけてしまうことが多かったようです。そのなかでこの盤はきれいに赤く発色し、文様も崩れていません。もちろんもっと鮮やかに発色したものも世界にはあるのですが、これは発色と文様の美しさ、そして造形的にもシャープでバランスよく焼き上がっていて、このクラスの盤となると世の中に10点あるかないか、という代物です。ウチでも滅多に取り扱えないものなんですが、たまたまあったものですから(笑)。

 

 

繭山龍泉堂社長の川島公之さん

 

 

 たまたまあった、というのが龍泉堂のすごいところだよね(笑)。

潮田 これは洪武帝官窯ですよね。洪武帝官窯の釉裏紅なんてなかなかありませんよ。

川島 はい、朱元璋はのちに洪武帝と呼ばれますが、その主導で作られた官窯の作品です。現存数が少なく、史料的にも非常に貴重な作品ですね。

 おそらく使われたこともないでしょう

潮田 朱元璋が使ったんじゃない(笑)

川島 美術商としては美術館のように立てて鑑賞することに見慣れてますが、今回は平置きして、大きな葡萄を置いてみたのも迫力あって改めていいなあと感じました。

 ということで、この2つの名品でバランスをとって茶器を取り合わせて行ったのですが、開催前日になって潮田さんから「西太后の葡萄図」を使おうと提案がありました。

 

 

 

── これは西太后の直筆なんですか! 怖い女帝のイメージしかなかったのですが、達者ですね。

 

潮田 西太后の絵は何点か存在しているんですが、これは重臣の李文田(りぶんでん)が賛をしているのが珍しい。

 

 この葡萄図を見たことで、それなら子孫繁栄ですべてのテーマが繋がるぞ、と取り合わせをやり直しました。この龍泉文會はこれから文人茶を愛好してくださる方々を増やしていく目的もありますから、まさにピッタリだなと。殷代の青銅器と明の草創期の釉裏紅、清朝の最末期に権力を握った西太后の画という3つの王朝の美意識を体現する相当にフォーマルで力の強いトライアングルができました。どの時代も史料には記録されています。現代に生きる我々にはそこから想像するしかなかったわけですが、この3点を間近に見れば、それぞれの時代の空気感と美意識が如実に体感できます。

 

一茶菴宗家の佃一輝宗匠

 

 

川島 3つの時代の帝国を経営した人々の息吹がリアルに感じられて、説得力がぜんぜん違いますよね。

 

 当日朝になってまた少し道具を入れ替えまして、釉裏紅には大きな葡萄の房を盛るなど、西太后の画とイメージを交錯させました。

 

── ここにも鑑賞だけでなく、道具としての見方を加えたわけですね。

 

潮田 私たちの場合は、それぞれの価値・価格という前情報も入ってますから、この取り合わせの凄みも感じます。

 

 でも見てるうちにだんだんと値段を忘れて「ああ、いいものだねぇ」って、本質の良さが現れてきますでしょ。

 

潮田 そこが煎茶のおもしろさですね。

 

川島 最初の会が始まって30分後くらいかな、天窓からの直射日光が青銅器に当たったんです。ご存知の通り、青銅器は元々黄金色だったわけですが、ちょうど朝の光に包まれて輝く姿は幻想的でした。本来は太陽神のための祭器だったわけで、荘厳に見えました。

 

 呪術的な力が蘇ったようでしたね。

 

潮田 このしつらいだったら明治の人が見ても「いいね」って言うだろうね。

 

 喜んでくれるでしょう。このクラスの名品は、煎茶が盛んな頃でも揃えられませんでした。現代ならではですね。

 

 

◆ 美術館でも滅多に見られない特別展示

 

潮田 会場のしつらいもいいけど、今回は龍泉堂店内の展示も楽しませてもらいました。

 

 

 

 

佃 潮田さんから明代の文人・沈石田(しんせきでん)が柘榴を描いた水墨画をお借りしまして、龍泉堂の永楽期の同じ柘榴を描いた梅瓶を取り合わせました。また唐代の大きな加彩の駱駝俑をには明末清初の文人である傅山の書を合わせました。

 

 

 

 

潮田 書と陶磁器どちらも作品のレベルと時代の空気感がピタッとあってましたね。傅山は「一字千金」と評されたほどの能書家です。

 

 駱駝を見たとき、明末清初の文人・王鐸(おうたく)を合わせようかな、と一瞬思ったのですが、もっと柔らかな書がいいなと感じまして、あ、傅山(ふざん)だと気づいて潮田さんにお願いしたら大正解。書かれていた詩が、大きな未練を乗り越えてやっと旅に出た、という内容で、その先で隊商の駱駝と出会う場面へと繋げられました。

 

── これだけの器物がよく集まりましたね。

 

 

 

 

川島 昔のコレクターはなかなか他人に見せたがらなかったのですが、最近は気質が変わってきたのか、集めたものの喜びを共有したいという人が増えました。今回はそうしたコレクターのお客様も多く参加されますから、龍泉文會で感動してくださったら、今後いろいろと名品をお借りできるかもしれません。

 

 そうやって輪が広がっていけば、取り合わせも多彩になって、明治の頃のように美をたのしむ煎茶の世界が新たに生まれるかもしれません。それもこのRYUSENDO GALLERYという場があってこそですね。

 

潮田 いずれにせよこれからは、驚きと感動が茶の世界に必要ですね。

 

 

この鼎談は、会期初日の2024年5月10日に収録しました。

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