対談|潮田洋一郎 × 宮武 慶之 江戸商家・冬木屋が育んだ数寄の系譜──「隠心帖」と茶の湯を語る RECOMMEND 左:潮田洋一郎/株式会社LIXIL グループ元会長。東京大学ヒューマニ ティーズセンター名誉フェロー。著書『数寄語り』、『数寄の真髄 茶に遊ぶ』 右:宮武慶之/同志社大学京都と茶文化研究センター共同研究員。著書『知 られざる目利き 白醉庵吉村観阿』、『酒井抱一のパトロン 永岡成美』 潮田洋一郎さんは現代の数寄者として稀有な存在。 宮武慶之さんは、江戸後期の商家の数寄者、茶人に スポットを充てる気鋭の研究者です。今回の対談は、潮田さん所蔵の重要文化財「隠心帖」 が江戸の豪商冬木屋の旧蔵であることを研究した宮武さんが「隠心帖」の拝見を切望し、潮田さんが快諾されたことで実現しました。冬木屋上田家は江戸の深川で材木商を営み、書画 茶道具の名品を多数所蔵していたことで知られます。 江戸文化の担い手となった商家の数寄から見えて くるものとは。茶の湯をよく知るお二人に語り合っていただきました。 ※従来、冬木家と表記されるが、本来の屋号は冬木屋、姓を上田氏という。 *この記事は、雑誌『目の眼』2025年6&7月号に掲載されました。 重要文化財 大手鑑「隠心帖」 上:第一巻冒頭の「賢愚経断簡」東大寺戒壇院に聖武天皇筆と伝えられた 古写経。通称「大聖武」。 左:第二巻冒頭は弘法大師空海筆の座右銘の一つ「隠心」が貼られている。 江戸時代から著名だった「隠心帖」 宮武 本日はよろしくお願い申します。貴重な古 筆手鑑「隠心帖」と酒井抱一の「雛図」を拝見さ せていただけるとのことで、楽しみに参りました。 潮田 こちらこそ、ご著書をいただきまして。「隠 心帖」は前田家旧蔵で、その後松下幸之助さんが 所持したと聞いていたので、冬木屋が持っていた ものとは知りませんでした。 宮武 私も冬木屋について調べているうちに知り ました。『宇米廼記(うめのき)』という史料がありまして、 嘉永3年(1850)に冬木屋で美術品を拝見し た記録があります。その中に記載された古筆手鑑 と「隠心帖」が一致します。江戸後期から明治頃 までは「冬木手鑑」と呼ばれ、有名だったようです。 潮田 『宇米廼記』とはどういった本ですか。 宮武 幕府に仕えた連歌師梅之坊教覚(うめのぼうきょうがく)の記録で、 読み方が同じで漢字が違う冊子が4冊あります。 現在は東北大学狩野文庫の所蔵です。『宇米廼記』 は冬木屋で所蔵品を拝見した記録で、書画と手鑑 に貼られた古筆の一部を模写しています。冬木 屋は所蔵品を数寄者や絵師に見物させることもあったようです。この手鑑ではないのですが、酒井抱一(1761〜1829 江戸琳派の絵師)や谷文晁 (1763〜1841 文人画家)も見物しています。「隠心帖」の拝見は、他に霞兄老人という茶人と思わ れる人物が書いた茶会や道具の見聞録『過眼録』にも記録があります。 潮田 冬木屋が古筆を蒐めて、この手鑑を作った わけですか。 宮武 古筆了音(こひつりょうおん )(1674〜1725 ※代々古筆を鑑定 する古筆家の6代目)の極めが多いので、了音と同時代の3代目政郷、4代目郡暠の頃に今のかたちに仕立てられたのではないかと思っております。こ のように多くの古筆に深い関心を寄せた上田家で すが、実は名物裂も同様でした。そこで冬木屋の 古裂帖を本日はお持ちしました。冬木屋は名物裂 も数多く蒐集しておりまして、裂手鑑「文龍」と、この「時代裂手鑑」があります。 潮田 当時でもこれだけの古筆を集めるには相当 掛ったでしょうね。手鑑のおきまり通り、聖武天 皇の大 おおじょうむ 聖武から始まっていますが、かなりの行数 がありますでしょう。今では1行でもかなりの値 段がします。他にも歴史的な人物の古筆が3冊に わたって集められているわけですから。 宮武 そうですね。冬木屋は家業が傾いて、持っ ていた名物は寛政年間(1789〜1801)に手放 したと言われていましたが、幕末の頃まで貴重な ものは持っていたようです。この大手鑑もその一 つと考えられます。私は東京大学史料編纂所から「隠心帖」の画像をお借りしましたが、本物を拝見するのはこれが初めてです。以前、潮田さんが 茶会に出された際のお写真も拝見しました。 潮田 そうですね。一度茶会にも出しました。開 いて置いただけですが。 宮武 冬木屋の旧蔵品は、松平不昧公もかなり入 手しています。潮田さんも不昧公のように名物を蒐めておられますが、古美術や茶道具をお求めに なる一つの基準のようなものはございますか。 潮田 私は自分の持っている道具類で欠落してい るなと思っているものが頭の中にあって、これを買って埋めると、こういう茶ができるなって、そ んな考えのもとに蒐めていますね。 宮武 道具のレベルを上げていくというのではなくて、育てていく発想に近いですね。 潮田 そうですね。お茶というのは工夫だと思う んですよ。そのための茶碗や道具ですね。 「時代裂手鑑」個人蔵 太子間道などの名物裂が蒐集されている。 冬木屋と琳派 宮武 今でも茶会記を見ておりますと、何々家伝 来とあるものが多いのですが、いざどういう家か というとわからない事が多いです。 潮田 名前だけ知っている家が多いですね。 宮武 冬木屋もわからないことが多くてですね、例えば、尾形光琳が描いた冬木小袖は有名ですが、他に冬木屋旧蔵の光琳や乾山の名作があまり見当 たりません。果たして本当に光琳が冬木屋に来て いたのか疑問に思っております。 潮田 冬木小袖は誰のために作られたんですか。 宮武 時代的には光琳が江戸にいた頃、三代目の妻女のために描かれたとされています。江戸後期になって、その冬木小袖を模写した喜多武清 (きたぶせい)(1776〜1856)という絵師がおりまして、谷文晁の弟子なんです。谷文晁は酒井抱一と親しくて、ご存知のように抱一は姫路藩酒井家の生まれですが、光琳は江戸で酒井家から禄をもらってい ました。先にお話した梅之坊覚教も武清と仲が良 いんです。周辺を知ることで、次第に冬木家につ いても見えてきました。 潮田 冬木屋を軸にした数寄者の交流関係が見え てきたわけですね。 酒井抱一 「紙雛図」三幅対 益田鈍翁旧蔵 左右の「桜図」、『犬筥図」は渡邊南岳筆 付: 池田孤邨書簡 上:池田孤邨「大黒天図」個人蔵 下:酒井抱一「紙雛図」三幅対に付された孤邨の永岡成美宛書簡 江戸の文化を牽引した酒井抱一と永岡家 潮田 今日ご覧いただいている抱一の紙雛図 は、目の眼の連載(目の眼2022年4月号)にも書きましたが、渡邊南岳の犬筥図と桜図で三幅に なっていて、抱一の弟子池田孤邨(孤村・1803〜 1868)の制作経緯を記した書簡があります。 宮武 はい。実際に拝見しまして、抱一も南岳も細かな線まで伸びやかさがある、とても良い作品だと思います。一番嬉しい驚きでしたのは、書簡 の宛名が永岡成美だったことです。目の眼に掲載 された写真では宛名部分が見えなかったものでから。永岡成美(1797〜1855)は、江戸で地廻り品を扱う富商鴻池屋の4代目で、古美術を蒐集し、酒井抱一と親交がありました。また鴻池屋 の本家筋は冬木屋の分家と親戚だったこともわかりました。 潮田 鴻池屋ということは大阪の鴻池ともつなが りがあるんですか? 宮武 大阪の鴻池とつながりはないようです。史料は少ないのですが、幸い永岡家の墓が今もありまして、系譜を確かめることができました。 潮田 その永岡成美が、永岡家では一番古美術を蒐集したんですか。 宮武 さようです。成美は抱一より 36 歳年下で す。抱一に導かれて美術品を蒐集していたと思います。抱一が成美に宛てた作品の斡旋や鑑定につ いての書状も残っています。 孤邨も永岡家に出入りしていまして、所蔵品の 縮図を 15 冊も描いたそうです。今日は、永岡家旧 蔵の孤邨筆「大黒天図」をお持ちしました。 潮田 師匠の贔屓筋に弟子も出入りしていたわけ ですね。 宮武 絵師は描き手と目利きを兼ね備え、数寄者と交流するように なったと思います。抱一からそう した関係が広がっていったのでは ないかと思います。 潮田 酒井抱一やその周辺の人た ちは実は面白いんですよね。江戸の数寄文化を教養として持つと茶会で作品を見たときに楽しめると思います。元々茶の湯は堺に陸揚げされた珍しいものを楽しむという動機があって、常にエキゾチズ ムというか知的好奇心をそそるものを取り込んできました。「驚く」 というのが茶の湯には必要だと思 いますね。 宮武 はい。それには著名な茶人 だけではなく江戸の数寄者を知る ことが大事ではないかと思ってい ます。研究を通して、茶の湯の発 展に繋がればと思っております。 本日はありがとうございました。 RELATED ISSUE 関連書籍 目の眼2025年6・7月号No.581 大阪・関西 美の祭典へ 大阪・関西万博が開催される2025年は、大阪を中心に京都、奈良の国立博物館で国宝、重要文化財が勢揃いする日本美術の展覧会が開催され、大阪美術倶楽部でも日本中の古美術商が出展する特別展が開催されます。まさに、関西・万博と同時に美の祭典となっている大阪。いま関西で見たい美の真髄、その見どころをご紹介。 雑誌/書籍を購入する 読み放題を始める POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 私家本拝見① |「島桑 江戸指物の世界」 受け継がれる美意識、指物師の魂が宿る「島桑」の美術工芸品をまとめた1冊 Ornaments | 装飾・調度品 小さな壺を慈しむ 圡楽窯・福森雅武小壺であそぶ Ceramics | やきもの 源氏モノ語り 秘色青磁は日本に来たか Ceramics | やきもの 目の眼4・5月号特集「浮世絵と蔦重」関連 目の眼 おすすめバックナンバー 1994年9月号「写楽二〇〇年」 Calligraphy & Paintings | 書画 眼の革新 大正時代の朝鮮陶磁ブーム 李朝陶磁を愛した赤星五郎 History & Culture | 歴史・文化 TSUNAGU東美プロデュース 古美術商が語る 酒器との付き合い方 Vassels | うつわ 大豆と暮らす#4 骨董のうつわに涼を求めて ー 豆花と冷奴 稲村香菜Others | そのほか 日本橋・京橋をあるく 特別座談会 骨董街のいまむかし People & Collections | 人・コレクション 『目の眼』リレー連載|美の仕事 村治佳織さんが歩く、東京美術倶楽部で愉しむアートフェア Others | そのほか 超! 日本刀入門Ⅰ|日本刀の種類について解説します Armors & Swords | 武具・刀剣 東洋美術コレクター 伊勢彦信氏 名品はいつも、 軽やかで新しい People & Collections | 人・コレクション 連載|真繕美 唐津茶碗編 日本一と評される美術古陶磁復元師の妙技1 Ceramics | やきもの