文化財はよきアンバサダー 矢野明子 大英博物館アジア部三菱商事キュレイター バイユー・タペストリー(Bayeux Tapestry)をご存じだろうか。1066年、イギリス南東部沿岸ヘースティングスでの戦いで、イングランド王ハロルド2世がフランスのウィリアム征服王に敗れて決着した「ノルマン・コンクエスト」の一連の出来事を刺繍によって表した一大絵巻で、現存の長さ70メートルにおよぶという。制作はヘースティングスの戦いをそれほど下らない時期と見られるというから、1000年近くも前になる。現在はフランス・ノルマンディー地方の博物館に蔵されるこの作品は、フランスの宝であるばかりでなく、イングランド(イギリス)にとってもまたかけがえのない意味をもつ。 このバイユー・タペストリーが来年、フランスからイギリスは大英博物館へ初めて貸し出されることが決定した。去る7月にフランスのマクロン大統領が訪英の際、イギリスのスターマー首相とともに記者発表した。以来、イギリスではこれを歓迎するニュースや新聞記事が続々と発表され、いかにこの作品が両国にとって意義深いものか、よくよく知る機会になった。さすがに1000年の時を経た染織作品であるだけに、保存状態の観点から、フランスのほうで貸出の可能性についてかなりの議論があったようだ。それを乗り越えた努力に敬意を表したい。バイユー・タペストリーと引き換えに、大英博物館からはイギリスの宝、7世紀頃のアングロ・サクソン王のサットン・フー古墳から出土した副葬品や、スコットランドで発見のルイス島のチェス駒が貸し出される。 さて大英博物館の日本コレクションから日本へ里帰りするのにふさわしい作品は何だろうかと仮に考えてみたときに、筆頭にあがるもののひとつはきっと「秋冬花鳥図襖」だろう。16世紀末から17世紀初頭の正系狩野派の筆になる豪奢な襖絵は、もとは奈良の談山神社の学頭屋敷にあったものが、20世紀初頭にはすでにそこを離れ、日本国内での所蔵やディーラーの手を経て海外に出た。昨年、青森県中泊町の宮越家にこれと対応する「春夏花鳥図襖」が蔵されていることが日本の研究者によってつきとめられたことは記憶に新しい。両者を一緒に展示することができれば、たいへん華やかな、そして歴史的なめぐり合わせになることは間違いない。 『目の眼』2025年10・11月号 連載コラム「てくてく大英博物館」 Auther コラム|てくてく大英博物館 矢野明子(やのあきこ) 大英博物館アジア部三菱商事キュレイター(日本コレクション)。津田塾大卒。慶應義塾大学院で博士号取得(日本美術史)。ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院(SOAS)研究員をへて、2015年10月から現職。 この著者による記事: みんな知っているもの|大英博物館三菱商事日本ギャラリーのいちばん人気アイテム COLUMN矢野明子 RELATED ISSUE 関連書籍 目の眼 電子増刊第7号 西洋骨董のある暮らし〜異国生まれの骨董しつらい デジタル月額読み放題サービス 特集「西洋骨董のある暮らし〜異国生まれの骨董しつらい」 日本では昔から外国産の文物をうまく取り合わせることが骨董あそびの極意とされています。今号は西洋をはじめとする異国生まれのアンティークをいまの私たちの暮らしに取り入れたしつらいやスタイル、うつわの使い方や遊び方のコツをプロの方々に教えてもらいました。 試し読み 購入する 読み放題始める POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 アンティーク&オールド グラスの愉しみ 肩肘張らず愉しめるオールド・バカラとラリック Vassels | うつわ 大豆と暮らす#3 おから|大豆がつなぐ、人と食 稲村香菜Others | そのほか ビンスキを語る ビンスキは どこからきたのか 〜その美意識の起源を辿る History & Culture | 歴史・文化 小さな煎茶会であそぶ 自分で愉しむために茶を淹れる 佃梓央前﨑信也History & Culture | 歴史・文化 書の宝庫 日本 人の心を映す日本の書 Calligraphy & Paintings | 書画 人材育成プロジェクト|東京美術倶楽部 千年の技と美意識を世界へ、KOGEIアート・プロデューサー育成始動 Others | そのほか 連載|美の仕事・茂木健一郎 テイヨウから、ウミガメに辿りついたこと(壺中居) Ceramics | やきもの 企画展紹介|銀座 蔦屋書店 日本刀・根付売場 春画と根付の世界をたのしむ Ornaments | 装飾・調度品 展覧会紹介|荏原 畠山美術館 畠山即翁×杉本博司 数寄者の美意識を体感する People & Collections | 人・コレクション 骨董ことはじめ⑦ みんな大好き ”古染付”の生まれた背景 Others | そのほか 『目の眼』リレー連載|美の仕事 橋本麻里さんが訪ねる「美の仕事」 大陸文化の網の目〈神 ひと ケモノ〉 橋本麻里People & Collections | 人・コレクション 箱根小涌谷 岡田美術館、2013年オープン時のコレクションを振り返る People & Collections | 人・コレクション