耕牛図 村上華岳 作 | 徒然なるままの夏の一日

桑村祐子

高台寺和久傳 女将

硯に向かう日。

 

水滴をうけて、石の表情が変わっていくのを眺めていると、不思議と穏やかな気持ちになります。ゆったりとした時間が流れていく中、墨を擦りはじめてしばらくの間は、美しい墨色がおりていくことだけに心を寄せます。漂う芳しい香りも、硯の鏡面から伝わる滑らかな感触も、夏の終わりの寂しさを和らげてくれるように思います。

 

京都の禅寺に、二年間ほど住み込みで置いていただいていたことがあります。お庭や裏勝手の拭き掃除、畑仕事にお三どん、誰にでも出来る簡単なことを、ただ単純に、真剣にさせていただくことで、一汁一菜をいただける、なんと贅沢で有難い時間であったかと、今更ながら思います。

 

家業を継ぐことを躊躇していた若いころ、ある禅宗のお坊様に、お遇いしました。一瞬で「月の光」を浴びたような凛とした空気に包まれ、ここしかないと、お寺の門を叩きます。門前の居候として置いてくださいと懇願する無謀者に、和尚さまは、すでにご高齢で身体も弱っておられたにもかかわらず、両親を説得できれば置いてやろうと拾って下さいました。お寺での不慣れな暮らしの中で、自分と向き合う毎日。ここに求めている答がある筈という思いが心の拠り所となっていました。

 

残暑も厳しい縁側で、大きな硯に墨を擦るようにと言われます。何も考えずに、と思えば思うほど様々な自分に囚われていくのがわかります。杖をつきながら、傍らを通り過ぎていかれる和尚さまに「ゆっくりとな」と言われた瞬間、何故か涙が溢れだし、止まらなくなりました。何があったのか自分でも解釈できないまま、泣き顔を見られたくないこともあり、ただ黙々と墨を擦り続けました。急いで答ばかりを欲しがるな、自分なりに出来ることをしなさい、と教えてくださっていたのかも知れません。情けないことに、そう気づいたのは、和尚さまが亡くなられて、何年も経ってからのことでした。

 

行く夏の名残りに、かけたくなるのが耕牛図です。本来の季節ではないものの、これに向き合うと、一行ものを目の前にしている時のように、素直な気持ちになります。そして墨色からは、和尚さまの一言を思い出すのです。ゆっくりと真面目に耕しなさいと、今も言ってくださっているようで、有難さが心に染みます。残る暑さの中、伝えきれなかった幾つもの感謝を硯にたくし、今年も夏の終わりを惜しみます。

月刊『目の眼』2013年9月号

Auther

桑村祐子(くわむら ゆうこ) 

高台寺和久傳 女将。京都の丹後・峰山で開業した料理旅館をルーツとし、現在は高台寺近くに門を構える料亭の女将として和の美意識を追求している。「心温かきは万能なり」が経営の指針。

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