大阪近代数寄者列伝

事業と美で大阪を支えた人たちの足跡

People & Collections | 人・コレクション

国宝 飛青磁花生 鴻池家伝来
大阪市立東洋陶磁美術館(住友グループ寄贈 / 安宅コレクション)
写真:西川茂

幕末から明治にかけて関西から日本の経済と美術界を支え、東京以上の規模と密度を誇った大阪の近代数寄者たち。
そんな近代数寄者たちによる、近代大阪を舞台に形成されたユニークなアートコレクションの概要を大阪市立東洋陶磁美術館の館長に就任した守屋雅史さんに解説していただいた。

*この対談は『目の眼』2022年9月号に掲載されています。

 

 

守屋雅史

大阪市立東洋陶磁美術館館長

 2022年、大阪市立東洋陶磁美術館の館長に就任した守屋雅史さんは、長らく大阪市立美術館に勤務し、2013年には「再発見 ! 大阪の至宝」展を手がけるなど関西の美術コレクションの成立と展開にも興味が深い。

 

 

❖町衆が作った大阪文化の気風

 

 大阪のコレクターといっても、大阪で生まれ育った人だけでなく、他所から大阪に進出して成功した人、さらに大阪から転出して京都や神戸などで美術館を作った人など様々なパターンがあります。ここでは主に大阪を舞台に形成されたコレクションと、大阪の美術館や博物館に収蔵されている個人由来のコレクションについて紹介していきましょう。

 

このなかには数寄者以外の人も多く含まれ、実に多様で個性的ですが、近代大阪で形成されたコレクションについて一つ特徴を挙げるとすれば〝中国文化への憧れ〟というものが出発点にあるということです。今回特集されている藤田美術館も茶の湯道具や仏教美術が有名ですが、中国美術もベースの一つとしてありました。住友家の泉屋博古館も青銅器のほか京阪の文人文化の中で育まれた名品がたくさんあります。当館の安宅コレクションも韓国陶磁が中心とはいえ、中国陶磁の系譜もしっかりと収められています。そして私が勤務していた大阪市立美術館では、関西ゆかりの蒐集家の個人コレクションを寄贈あるいは一括購入させていただく形で数多く受け継いできています。なかでも阿部コレクションは東洋紡の社長を務めた阿部房次郎氏が蒐集した中国書画160件から成り、重要文化財4件をはじめ、燕文貴「江山楼観図」ほか希少な優品が数多く含まれています。また、中国書法の展開を知ることのできる岡村蓉二郎氏の中国拓本による師古斎(しこさい)コレクション400件も学術的でユニークな収集品です。さらに、関西の銀行業界の重鎮の一人である山口謙四郎氏が収集された山口コレクションには、中国の単独仏を中心とした石造彫刻や金工品・陶磁器などの工芸品計224点が収められています。近年では小野薬品工業株式会社の社長・会長であった小野順造氏が蒐集した中国石窟将来の仏頭などからなる小野コレクションも加わり、中国石造彫刻の収集は大変充実してきました。

 一方で、古来より朝鮮半島との交流の窓口でもあった大阪には、韓国陶磁の優れたコレクションもあります。それが当館の安宅コレクションと、在日韓国人である李秉昌(イ・ビョンチャン)博士が日本で収集した韓国陶磁301件、中国陶磁件を中心としたコレクションで、韓国陶磁の個人コレクションとしては世界的な質と量を誇ります。李秉昌博士は東京で活躍された方ですが、在日韓国人の多い大阪で、祖国の誇りであるやきものに触れていただきたいとのご意思によって当館にご寄贈いただきました。

 

 日本美術では、徳川家康の愛蔵品として知られる重要文化財「関ヶ原合戦図屏風」をはじめ重要文化財2件と重要美術品1件を含む書画・工芸・刀剣・考古資料など220件からなる前田維(ただし)氏による前田コレクションが大阪歴史博物館に、また、南木芳太郎氏による江戸~明治の浮世絵などの木版印刷物による膨大な南木コレクションが大阪城天守閣に収蔵されています。大阪市立美術館にも、衆議院議員・弁護士として活躍した田万清臣(たまんきよおみ)氏が、明子(あけこ)夫人とともに集められた615点におよぶ仏教美術・近世絵画を中心とした田万コレクション、実業家・武藤山治氏の子息、武藤金太氏より大阪市立美術館に寄贈された小西家伝来・尾形光琳関係資料(京都国立博物館収蔵の257件と一括して重要文化財に指定)、枚方の耳鼻咽喉科の医師・田原一繁氏が元子夫人とともに収集に励んだ鍋島焼118件、明治末年の来日以来、昭和年に亡くなるまで神戸に在住して日本文化を研究したスイス人U・A・カザール(Ugo AlfonsoCasal )氏による、根付や蒔絵を中心とした漆工品など3000件を超えるカザールコレクション、十六代住友吉左衛門友成氏による関西の作家を中心とした近代日本画の住友コレクション、廃館となった奈良の富本憲吉記念館の館長だった辻本勇氏が収集した富本憲吉作品の辻本コレクションなど、多様で個性的なコレクションが集っています。

 また大阪といえば、江戸期の高僧の墨蹟、更紗などの染織、佐伯祐三などの近代絵画約600点を擁し、大阪中之島美術館設立の発端となった山本發次郎コレクションも外せませんし、大阪中之島美術館にも数多くの個人コレクションが集積しています。こうした民間からの寄贈や譲渡によって成り立っているのは、町人文化の街・大阪ならではと思います。

 

 

❖実業家たちの個性際立つ私立美術館

 

 ここまでは主に大阪市が所蔵するコレクションを挙げましたが、実業家たちによる私立美術館も多彩です。先ほど話した住友家の泉屋博古館や藤田美術館のほかにも、大阪で証券業を営んでいた実業家・黒川家が3代にわたって収集した黒川古文化研究所の所蔵品、白鶴酒造7代目・嘉納治兵衛(鶴翁)収集による白鶴美術館、山口銀行の頭取として大阪財界でも活躍した山口吉郎兵衛氏の滴翠美術館、阪急グループの創始者・小林一三氏による逸翁美術館、綿業で財を成した久保家の和泉市久保惣記念美術館、同じく泉南の素封家・正木孝之氏による正木美術館、日本料理店「𠮷兆」創業者湯木貞一氏による湯木美術館、朝日新聞社の創設者のひとり村山龍平(りょうへい)氏による香雪美術館など多彩です。また、廃館となったものの実業家萬野裕昭氏による萬野コレクションは、その一部が京都の相国寺承天閣美術館に寄贈されましたし、野村證券の創業者野村得庵氏のコレクションも京都の野村美術館に結実しましたが、はじまりは大阪からであるといえます。

 一方、大阪を代表する富豪だった鴻池家のコレクションの一部は、京都国立博物館に永楽家の制作にかかる陶磁器コレクションが、大阪歴史博物館には鴻池男爵時代の豪奢な生活遺品が所蔵されています。むかし、ある古美術商の方から、鴻池家の美術品の売り立ての時に、古九谷の大皿を数枚購入したら、作品の緩衝材に浮世絵の本刷りのオリジナルが何枚も使われていて、3倍ぐらい儲けさせていただきました、などといった逸話も聞かせてもらいました。一方で、大阪博物場の館長を長くつとめていた数寄者である平瀬露香のコレクションは散逸して、諸所に分蔵されてしまいましたが、個人コレクションの多くはそうした運命をたどります。

 

 以上、ざっと主なところを紹介しましたが、大阪は、武家ではなく、町衆の活発な経済活動から文化が育っているところが特徴です。なかでも華やかだったのが金融業と繊維業です。大阪は江戸の頃から米相場が盛んで、そこから大名貸しが始まり、両替商が最も大きなお金を動かしていました。その筆頭が鴻池家や天王寺屋といった十人両替で、平瀬家も両替商でした。いっときは彼らのところに日本の富が集中していると言われたほどです。そんな彼らが遊興や飲食、服飾などにどんどんお金を使うことによって街全体が繁栄していく。とはいえ衣食住はどれだけ贅沢したといっても莫大にはなりませんから、ありあまるお金は最終的に美術工芸品の収集へと行き着きます。その美術工芸品を披露し、使う場が茶の湯の茶会や煎茶の大寄せの茶会だったのです。しかも江戸末から明治にかけての大阪は茶の湯よりも煎茶が主流でした。そのため大寄せの煎茶会(茗讌 めいえん)が当時の有力者たちの社交場となったわけです。そして旧家・名家の大旦那と明治以降の新興の実業家たちを茶会や道具で繋いだのが、美術商たちでした。もちろん能や文楽といった芸事を身につけることは、当時の旦那衆には必須のことでしたから、その志向の違いによってコレクションにはそれぞれ個性があらわれてきます。

 

 

❖江戸の煎茶と明治の煎茶、そして茶の湯へ

 

先ほど煎茶と一括りにしましたが、江戸時代の煎茶と明治以降の煎茶は、かなり様相が違います。江戸中期に、売茶翁(ばいさおう)などの活躍によっていわゆる中国ブームが起こるのですが、本流の中国文化は日本の知識人たちでさえあまり体験できませんでした。盧仝(ろどう)や蘇東坡(そとうば)(蘇軾そしょく)などの唐宋の詩人に憧れたりはしましたが、長崎から入ってくるのは福建などの南の系統、本流ではない中国文物が中心でした。その僅かな文物や道具を通して、針の穴から見える中国文化を妄想し、個人の理想郷を詩書画で楽しんだのが江戸期の文人たちであり、そのかたわらには煎茶という喫茶があったのです。

 ところが明治になると外来文化がどんどん流入してきます。中国からも、黄河流域の中原や長江下流域の江南を所産とする本流の中国文物が大量に手に入るようになりました。その一つが殷周の青銅器です。中国文化のなかでも最もエキスの濃い文物ですね。これらを煎茶道具として売ったのが当時の美術商たちで、明治初期の大寄せの煎茶会(茗讌)では、中国書画を床の間に掛けて、青銅器を火炉にしたり、玉壁をその炉台としたりといった道具立てが記録に残っていたり、展観席には、中国書画や日本の文人画(南画)、青銅器や盆栽などの文物がひしめいていました。この時期に、住友家をはじめ嘉納家、黒川家などに大量の青銅器コレクションが形成されたり、中国書画や日本の文人画(南画)のコレクションが関西に多いのにはそうした時代背景があったのです。

 しかしこうした傾向も、大正期を迎えると変化していきます。余白が顕著となって道具立ての洗練が展開し、日本的な文人趣味が表に現れ、茶の湯席の風情も感じられるようになります。これは、白文素読(はくぶんそどく)世代がリタイアし、日清日露戦争の戦勝を経験したことによって、中国への憧れが変化しながら影を潜め始めたからではないかと考えています。美術史的にみても、美濃焼や唐津焼の桃山茶陶や大名道具の鍋島焼などの和様の器物の賞玩が隆盛し、琳派人気の上昇など、大正期ごろから日本美術への回帰が始ります。そしてその嗜好の変化は、近代数寄者たちの煎茶から茶の湯への移行という形でもあらわれ、やがて煎茶道具が売られて、茶の湯道具の大きなコレクションが形成されていくことになります。

 このように大阪の美術コレクションを見渡していくと、江戸期から明治、大正、昭和に至る美術品移動の歴史が浮かびあがってきます。当館は来年秋ごろ(2023年)のリニューアルまで休館しておりますが、関西にいらっしゃる機会がありましたらぜひ、そうした視点で美術館の展示を見直してみると新たな発見があるかもしれません。

 

 

大阪市立東洋陶磁美術館

リニューアルオープン記念特別展「シン・東洋陶磁―MOCOコレクション」

会期:開催中~令和6年9月29日(日)

所在地:大阪市北区中之島1-1-26

開館時間:9時30分~ 17時(入館は16時30分まで)休館日:月曜日、年末年始、展示替え期間

問合せ:06-6223-0055

アクセス:京阪中之島線「なにわ橋駅」1号出口すぐ

地下鉄御堂筋線・京阪本線「淀屋橋駅」1号出口、 地下鉄堺筋線・京阪本線「北浜駅」26号出口各駅から約400m 大阪市中央公会堂東側

 

 

『目の眼』2022年9月号〈藤田美術館をあるく〉より

Auther

守屋雅史

大阪市立東洋陶磁美術館館長

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藤田美術館をあるく

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