『目の眼』リレー連載|美の仕事

橋本麻里さんが訪ねる「美の仕事」 大陸文化の網の目〈神 ひと ケモノ〉

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神 ひと ケモノ の不思議な磁力

 

表にアテナ女神、裏にフクロウを表した、ずっしりと重い紀元前5世紀頃のギリシアの銀貨テトラドラクマ。紀元3000年頃の北メソポタミアで制作された、何を象ったとも言い難い、虚ろな穴から目が離せない《目の偶像》。エジプトの複合冠(下エジプトと上エジプトの統合を象徴する王冠)を戴く、青色も美しいホルスの護符。出土地はシベリアながら、ササン朝ペルシアの意匠から両者の交渉を予想させる、有翼の合成獣を浮き彫りにする胸飾り。毛涯達哉さんが主宰する〈神 ひと ケモノ〉が扱うものは、果てのない人類史をたどるロードムービーの登場人物たちのように思える。

 

 

 

 

工芸作家や骨董商を新たに知るきっかけのひとつ(というには割合として大きい)がSNSを通じて、という状況がもう何年も続いている。そこに微妙な抵抗もないではないが、古美術商が新しい顧客と出会うのに、不可欠なツールであることは間違いない。何なら私が〈神 ひと ケモノ〉を知ったのも、Instagramを通じて、だったからだ。

 

最初に見かけたのはコロナ禍の前後だったように思う。出かけることもままならないロックダウン期間中、不安を感じながら、見るともなく行きつ戻りつしていたSNSで、不思議な磁力を発するアカウントに引き寄せられた。忙しさにとりまぎれ、見ているだけの期間が長かったが、実際に展示に足を運んでみると、買いたいものがありすぎる。同時にその品揃えのユニークさにも興味が湧き、いったいどんな人が店主なのかと、今回取材の運びとなった。

 

 

 

 

 

 

 

ロシア古物の世界

 

「不思議ではない経歴」の骨董商もいないだろうが、毛涯達哉さんはひとしお奮っている。東北大学でバイカル湖集水域の古環境学、古生物学を専攻し、大学院中退後はクラシックピアノのコンクールを手がける会社に就職。東京で7年半を過ごした後、35歳にして退職金だけを持ち、ロシアのサンクトペテルブルクに渡った。現在はロシアと日本の二拠点を往復しつつ、テーマとする骨董の故地へ、遺跡や美術館・博物館を頻繁に訪ね歩いている。(一応)冗談で「情報機関からのスカウトですか」とお尋ねしてみたところ、あっさり否定された。

 

「情報機関ネタはたまに振られますが、もちろん違います(笑)。退職してサンクトペテルブルクへ行った時はノープランでした。クラシック音楽にとって重要な場所ですし、ロシアのピアニストも好きでしたが、だからといって音楽が目的だったわけではありません。あえて言えば、それ以前に旅行者として訪れた時の体験が面白かったからです。

 

最初は日本語の教師でもやろうかと思ったのですが、ビザがないと難しい。なんとか生活費を稼ごうともがく一方、日本の失業保険をもらうためには、毎月帰国しなくてはなりません。飛行機代でプラマイゼロになるけれど、動いた方が何か起こるだろうという期待もありました。そんなことを1年ほど続けるうちに、ロシアで仕入れたものを日本で売るようになったのです」

 

生活雑貨からロシア産のオーガニックコスメまで、思いつく限りのものを試す中で、反応がよかったのが骨董市に持ち込んだ古美術だった。

 

 

 

 

柱頭/2〜3世紀/ローマ

 

 

「最初はロシアのブロカント(ヴィンテージの生活雑貨など)を扱っていましたが、キンメリアやスキタイ、ギリシア、ローマ、ビザンツなど、ロシアの黒海周辺に展開した、複雑な歴史と文化に由来する遺物を扱うようになっていきました。なかでもスキタイは大きなテーマです。たまたまでしたが、日本の市場の中で、スキタイは既に価値が確立されていたのは幸運でした。ただ、オルドスのスキタイに関連するものはこれまでも結構入ってきていますが、黒海の方のスキタイは少ない。黒海からシベリアにいたる広大な地域で活動したスキタイの美術を網羅的に扱っている業者は、日本国内には他にいないのではないかと思います」

 

人間関係にも恵まれたという。日本とは長い軋轢の歴史を持つ北方の隣国に対して、私自身も偏見や先入観がないとは言い難い。ましてや近年はウクライナへの侵攻をはじめ、軍事的緊張も増している。

 

「行ってみたら、それまで持っていたイメージとは全く印象の違う国でした。人とのつながりを大事にするし、親身になってくれる。骨董の取引でも騙そうとする人はおらず、最初からこれはコピーだとか、ここが修復されている、とすべて教えてくれました。もちろん僕がしっかり買うからこそ、相手も信頼してくれて、という積み重ねの結果ではあるのですが」

 

とはいえ、骨董業界の知識や人脈、相場観はゼロ、という地点から始めた仕事だ。品揃えのオリジナリティや価格帯を戦略的に考えての選択ではなかったが、結果的に日本国内では取り扱いの手薄な領域を手がけることになったのも、よかったのだろう。発掘考古品に絞ってロシア、中東、ヨーロッパで仕入れたものを東京の骨董市で売る、というサイクルを4〜5年続けたところで、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが勃発。ロシア・東京の往復ができなくなったことで、販路を広げるために京都のギャラリーで催事を開催したり、Instagramを介した通信販売を始めたり、といった、新しい業態も試みるようになった。

 

蓄積がないということは、先入観なく新鮮な目でものが見られることでもある。毛涯さんは興味を持った分野から芋づる式に関心を広げた先──何しろユーラシアの文化交流の網の目はそれこそ大陸を超えて広がっている──のものを、まずはひととおり、大量に買う。そうして買い集めていくうちに、自分なりの好みや関心、集中すべき領域が見えてくると、テーマを設けキュレーションを効かせた「個展」を企画する。

 

 

バステト女神像/紀元前664〜332年 エジプト末期王朝

 

 

最初の「個展」は恵比寿のギャラリーを借りて行い、2019年には青花の会(新潮社)で「歴史のかけら:古代と中世の西洋骨董」展を開催。この時は古代(スキタイ、ギリシア、ローマほか)、キリスト教美術(ビザンツ、ロシア正教)のものを集めた。ロシアをフィールドに活動する毛涯さんの、いわば自己紹介のような展示だったが、流れが変わったのは2020年の「骨董と歴史:スキタイ」だ。

 

「自分からやりたいといったのか、主催者からのオーダーだったのか覚えていませんが、スキタイをテーマとすることになった2年目、展示と同時に開催する講座のために、日本語、英語、ロシア語の本を買い集めて読みました。そうしたら、『本に書いていないこと』がなんとなく想像できるようになってきた。本に書いてあるのは、『もの』を踏まえた知識というのでしょうか──考古学者の方は一級品の、それこそ金製品などをたくさんご覧になっています。でも実際には、僕が扱うような青銅製品の方が数としてははるかに多い。それをたくさん見ているからこそわかることがあると思うのです。もちろん正解かどうかはわかりませんが、ものに現れる様式の変化が途切れたところを、こう伝わって、こう変化して、と想像できるようになりましたし、やっていて満足感、達成感もありました。何よりお客さんがすごくたくさん来てくださった。途中入場制限をしなくてはならないほど人が並ぶというのは、僕としても初めての経験でした」

 

 

腕の残欠/紀元前2686〜2055年頃 エジプト

 

 

以来、テーマを絞った展示を志すようになった。漫然とした骨董の催事は新鮮味がなく集客に結びつきにくい。毎回鋭角なテーマを設定してくる毛涯さんだが、足を運べなかったことを今でも悔やんでいるのが、料理人の船越雅代氏が運営する京都・Farmoonで2024年に開催された展示「饗宴」だ。食器類を中心とする古代ギリシア・ローマの発掘品の展示だけでなく、Farmoon自体がカフェ・レストランでもあることから、その食器を使って料理も提供した。

 

実は私も〈神 ひと ケモノ〉で、アッティカの黒色土器キリクス(酒杯)を購入している。さすがにそれでワインを飲む度胸はなく、ナッツや果物を盛る程度だが、毛涯さんはワインを注いでみたという。白ワインは土臭くて飲めたものではなかったが、赤ワインなら、ものによっては飲めないわけではない……らしい。毛涯さんの場合、あくまでシャレとしてやってみたという程度。私も自慢の酒器を料理屋に持ち込みたい、というタイプの欲望はないが、ものに(物理的にも)近づく手段として、使ったり身につけたりはしたくなる。日常の食卓の上に、特に構えることもなく紀元前の器がのっているのは、なんだか愉快ではないか。

 

 

 

 

 

元型(アーキタイプ)を求めて

 

個展の開催を重ねる中で、毛涯さんの中にはっきりと焦点を結んできたテーマが、スイスの精神医学者、分析心理学者のカール・グスタフ・ユングが提唱した仮説的概念〈元型(アーキタイプ)〉だった。ユングは人類の夢や空想、神話・伝説・昔話などがきわめて類似性の高いイメージや主題を持つ理由として、人類共通の普遍的無意識が存在するからと考え、そのような普遍性の高いイメージを産出する普遍的無意識(集合的無意識)内に、元型の存在を仮定した。毛涯さんが扱う骨董の中では、地母神像などがその典型だ。2023年の「古代文物と精神分析」展、2024年「魂のかたちとゆくえ」は、まさにそこをテーマとしている。

 

「最近よく扱うようになったのがシベリアのシャーマニズムに由来するものです。エジプトやメソポタミアのものなどは『乾いて』しまっていて、生々しさが消えている。でも地域によっては、そうした社会が近世頃まで保たれてきたところもある。シベリアのシャーマニズムはそのひとつで、まさにユングの言う〈元型〉が発露したようなものが残っています。いまの自分にとっては、ただ美しいからという理由では買う、蒐める動機になりません。縄文の土偶とメソポタミアの地母神像に何か共通するものがある、そんな感覚を得られるものを積極的に選んで、紹介しています」

 

 

 

 

 

実用的でないもの、「使えない」ものほどいい、と毛涯さんはいう。人類の無意識を源泉とする信仰や儀礼の具、見て感じるためだけにつくられたものをこそ知ってほしいし、興味を持ってもらいたいのだと。付け加えるなら、毛涯さんが扱っているのは「もの」だけではない。遺跡や博物館を訪れて得た体験や知識、そこでしか得られない「熱」のようなものを、「もの」を通じて、あるいは講座などを介して買う側にもフィードバックしたい。だから仕事の本質はなんですか、という質問に対する毛涯さんの答えは、「売買ではなく紹介」だそうだ。

 

 

 

 

神 ひと ケモノ

今回ご登場いただいた毛涯達哉さんは現在もロシア・サンクトペテルブルグと東京の2つの拠点を行き来しつつ活動している。2019年から年に数回の企画展と下記HP上でコレクションの販売を行っている。(2025年7月時点)

 

住所:東京都中央区東日本橋3丁目

電話:070-4437-5502

※ショールームは要予約/不定休

 

Mail:tatsuyanov@gmail.com

https://kamihitokemono.jp/

 

 

 


 

 

〈掲載号〉 雑誌『目の眼』2025年8・9月号 リレー連載「美の仕事」

 

目の眼2025年8・9月号

目の眼2025年8・9月号「古美術をまもる、愛でる」

 

*目次や試し読みはこちら(紙版/デジタル版を販売中)

 

Auther

橋本麻里(はしもと・まり)

小田原文化財団 甘橘山美術館 開館準備室室長。金沢工業大学客員教授。一般社団法人 刀剣文化研究保全機構 業務執行理事。新聞、雑誌等への寄稿のほか、美術番組での解説、展覧会キュレーション、コンサルティングなど活動は多岐にわたる。近著に『かざる日本』(岩波書店)ほか、共著に『世界を変えた書物』(小学館)、『図書館を建てる、図書館で暮らす 本のための家づくり』(新潮社)編著に『日本美術全集』第20巻(小学館)など多数。キュレーションに「ラーメンどんぶり展」(21-21DESIGN SIGHT)ほか。

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