眼の革新  大正時代の朝鮮陶磁ブーム

李朝陶磁を愛した赤星五郎

History & Culture | 歴史・文化

 

この日本人の眼がなかったら、

李朝のやきものは、

永久にただの雑物として、

この世から姿を消して

しまったであろう。

 

参考:赤星五郎  中丸平一郎『朝鮮のやきもの 李朝』  新淡交社 1965年

 

 

李朝を蒐めたコレクター

 

鉄砂虎鷺文壺 17世紀後半 高31.1㎝  赤星五郎旧蔵

大阪市立東洋陶磁美術館蔵(住友グループ寄贈/安宅コレクション)   撮影:六田知弘

 

李朝の美と民藝にいち早く反応したのは山中商会の山中定次郎だった。「民藝」と銘打った展示会をたびたび開催すると、天下の古美術商山中がゲテモノを扱ったと話題になり「民藝」という言葉も広まっていく。研究者の奥田誠一、中尾万三、陶芸家の富本憲吉はもちろん、小森忍も宗悦の論考を読み、李朝陶磁を取り上げている。当然ながら李朝陶磁に魅力を感じ、蒐集するコレクターも現れた。現在、東京国立博物館にある小倉コレクションで有名な小倉武之助(1870〜1964)は李朝だけでなく膨大な朝鮮美術を蒐集したが、集め始めたのはやはり1922〜23年頃からだという。民藝運動に一時賛同した青山二郎も独特の朝鮮陶磁論(『世界美術全集別巻第16巻 昭和5〜7 平凡社)を書き、柳宗悦『工藝の道』に銅絵葡萄文壺を出している。

 

 

赤星五郎と赤星家

 

赤星家の家族写真  2列目右から2人目が五郎。五郎の左より兄の喜介、長兄の鉄馬。

与那原恵『赤星鉄馬 消えた富豪』(中央公論新社)より転載

 

 

そして、当時から知られた李朝陶磁のコレクターといえば赤星五郎(1897〜1966)がいる。五郎の父赤星弥之助は薩摩出身の一代で財を築いた有名な古美術愛好家。ワニが大口をあけて飲み込むような豪快な買いっぷりから「道具界の鰐魚(がくぎょ)」と称され、有名な存在だった。しかし息子たちは五郎以外は古美術に興味がなく、長兄の赤星鉄馬はフィッシングで知られ、兄弟の四郎と六郎はゴルフで有名だった。そのためか父弥之助の所蔵品は、1917(大正6)年に3回にわけて売り立てられた。

 

赤星五郎の場合、大正の終わり頃、京城(現在のソウル)で淺川伯教(あさかわのりたか 1884〜1964)に会ったのが縁の始めで、「当時は李朝ものを観賞する人も、買う人もなく、染付の壺や辰砂の徳利など、五円くらいでよりどりみどりというありさまであった」そうで、5、6点買って東京の自宅に送ると、亡父の道具の処理に手を焼いていた母からつよく戒めてきたという。その後、五郎は勤めていた銀行が倒産し、朝鮮にある兄の農場を手伝うことになって朝鮮に渡った。遠縁にあたる藤島武二画伯も一緒で、ちょうど開催された朝鮮美術の入札会にいいものが並んでいたため、たくさん買ってしまったのが蒐集の始まりだという。

 

 

総辰砂桃形水滴 朝鮮時代  19世紀 高6.0㎝ 赤星五郎旧蔵 Museum李朝 蔵

 

 

幸運なコレクション

 

青花辰砂蓮花文壺 京機道・広州官窯(分院里窯) 高44.3㎝ 朝鮮時代18世紀後半

淺川伯教・赤星五郎旧蔵 大阪市立東洋陶磁美術館(安宅英一氏寄贈) 撮影:西川茂

 

 

赤星五郎は、幸運なことに淺川伯教という得がたい指導者と出会い、京城にたくさんあった道具屋を一緒にまわり、慶州から釜山、会寧まで美術行脚と掘り出し物あさりをしてまわった。『朝鮮のやきもの 李朝』に掲載したものそれぞれについて想い出を綴っている。

 

名品と名高い辰砂蓮花文壺(上掲)は、伯教が金が入用のため五郎に直接譲られた。五郎によると、よく似た染付の梅鶯文壺が京機道水原の竜珠寺に一対あり、宮廷画家の金弘道壇園が描いたと推察できるという。粉引徳利は下谷の吉村古物商の床下から伯教とともに見つけたもので、真っ白で堅手のようだったのが10年以上愛用しているうちに味がついた。鉄砂虎鷺文壺については動物園にいって朝鮮の虎を見た時に、長いまつげやひげが実は写実に描かれているのだと知って驚いた。五郎は楽しげに書いている。赤星五郎の旧蔵品はよい想い出に満ちていて、とても気のいいものたちに見える。

 

粉引徳利 全羅南道高敞郡雅山面膳岩里 朝鮮時代15世紀 高17.6㎝  赤星五郎旧蔵 Museum李朝 蔵

『目の眼』2024年1月号 特集〈眼の革新 時代を変えたコレクターたち〉

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