釈迦三尊 十六善神図 | 祈りの灯火

桑村祐子

高台寺和久傳 女将

夜露がおりた苔に足元を湿らしながら、露地行灯に蝋燭の火を点すとき、ふと鳴きはじめた虫の音に気づきます。小さく頼りなげな聲が、行灯の明かりに引き寄せられるように、ひとつふたつと日ごとに音色を重ねていきます。姿は見えなくても、秋の移ろいを知らせくれる虫たちが、とても愛しく思えてきます。炉開きを前にして、灯火に心が惹かれるのも、市中の紅葉が色づくのを待ち遠しく思うからでしょうか。

 

信長の焼き討ちの際、唯一残ったという比叡山瑠璃堂に、時折、お参りさせていただきます。このころの山の上は、一足はやい秋を迎え、錦のように色づいた紅葉の合間から望む琵琶湖が、どこまでも穏やかで、 静かな湖面を眺めていると、次第に心も整っていきます。この瑠璃堂を持佛堂とする正教坊をお守りしておられるのは、十二年間の籠山行を二度も修められた天台のお坊様です。下界と隔たれた境涯を、一日一日深めておられる山修山学の御方のまわりには、いつも清らかな空気が漂っています。写経をさせていただき、つづら折の山道を戻っていく私達にさえ、剃髪を深々と下げられたまま、ずっとお見送りいただくのが、勿体なく、有り難く思い、こちらも何度も頭を下げて手を合わせます。

 

そのお姿から、一木一草、人にも皆、仏性があるという教えを思い、そこに頭を下げてくださっているという尊さに気づかされるのです。

 

また荒行で知られる千日回峰行の百日ごとには、山中と京都の町を、読経と御加持をきりながら神仏三百箇所以上を巡拝し、最長で一日84キロを走るという行があります。八坂神社と清水寺の間に我家があることから、母が御縁をいただき、休憩の場所としてお手伝いさせていただくようになりました。あれから三十年近くが経ち、お二人の阿闍梨様が無事満行され、御所に参内なさいました。

 

今も年に一度、お立ち寄りくださる時には、お護摩火の代わりに、蝋燭の灯火で阿闍梨様をお迎えいたします。その日だけは、十六善神像をお祀りし、回峰行のご無事を陰ながらお祈りしております。十六善神さまに向かわれた阿闍梨様が、全身全霊を込めて唱えられる大きな読経は、あたり一面に響き渡り、お声の振動が地面から立ちのぼるように伝わってきます。浄められた空気の中、灯火に照らされた善神さまが、読経の力で生き生きとしておられるのがわかります。

 

何百万回、何千万回と唱え続けられる読経と、伝教大師から受け継がれてきた消えることのない灯火。この日を迎える度に、ひき継いでいくことの重みと大切さを受けとめています。

月刊『目の眼』2013年10月号

Auther

桑村祐子(くわむら ゆうこ) 

高台寺和久傳 女将。京都の丹後・峰山で開業した料理旅館をルーツとし、現在は高台寺近くに門を構える料亭の女将として和の美意識を追求している。「心温かきは万能なり」が経営の指針。

RELATED ISSUE

関連書籍

2013年10月号 No.445

煎茶の風儀(SOLD OUT)

夜露がおりた苔に足元を湿らしながら、露地行灯に蝋燭の火を点すとき、ふと鳴きはじめた虫の音に気づきます。小さく頼りなげな聲が、行灯の明かりに引き寄せられるように、ひとつふたつと日ごとに音色を重ねていきます。姿は見えなくても、秋の移ろいを知らせ…