展覧会情報|福岡市美術館 知られざる目利き・吉村観阿の展覧会開催 Ceramics | やきもの 11月27日より、福岡市美術館の古美術企画展示室にて、「生誕260年 世を観る眼 白醉庵(はくすいあん)・吉村観阿(よしむらかんあ)」が始まりました! この企画展は、江戸後期の茶人吉村観阿を取り上げた初の展覧会。目の眼2024年12月号の特集「松平不昧(ふまい)が愛した茶人 吉村観阿」でもご紹介しました。目の眼でもご協力いただいた宮武慶之さん(同志社大学京都と茶文化研究センター共同研究員)が吉村観阿の研究者として監修されています。 松永耳庵も一目惚れ 観阿が愛玩した茶碗 なぜ、福岡市美術館で開催されるのかというと、福岡市美術館には、「電力の鬼」として知られた実業家であり数寄者として有名な松永安左エ門(号:耳庵)のコレクションを所蔵しており、耳庵が一目惚れしたという雨漏(あまもり)茶碗(朝鮮王朝時代 15-16 世紀)が吉村観阿旧蔵というご縁から。 展覧会では、観阿がととのえたという雨漏茶碗の箱、更紗の風呂敷、袋とともに展示されています。 雨漏茶碗 朝鮮王朝時代 15〜16世紀 福岡市美術館蔵 松永耳庵コレクション 福岡市美術館 企画展「生誕260年 世を観る眼 白醉庵 吉村観阿」での展示風景 実家が倒産! 松平不昧が観阿に与えた「楽中苦 苦中楽」の意味とは 吉村観阿は、初めは太郞兵衛といい、江戸時代後期、1765年(明和2)に江戸の両替商を営む家に生まれました。ところが、仙台藩に貸していたお金が焦げ付き商売は火の車。立て直そうと奔走しますが叶わず、34歳の時に店をたたみました。家財や茶道具はすべて処分し、唯一「元久二年重源上人勧進状」だけを手元に残して出家します。 苦楽翁寿像控図 典拠:溝口直諒『戯画肖像 並略伝』 嘉永6年 東京大学史料編纂所蔵 (「生誕260年 世を観る眼 白醉庵・吉村観阿」展ではパネル展示) その後の活動を知ることができるのは40歳のころ。出雲国松江藩10代藩主・松平治郷(はるさと 1751-1818 号:不昧)の茶会に客として出席した記録です。松平不昧は大名茶人として当時から名を馳せており、現代でも大茶人のひとりに数えられています。 観阿は不昧に大変気に入られ、不昧が催す茶会に40回も出席。茶席の亭主を務めることもありました。不昧から「楽中苦々中楽」の扁額を与えられ、「苦楽翁」とも名乗っています。不昧が書いた原本は発見されていませんが、現在の新発田(しばた)藩10代藩主・溝口直諒(なおあき 号:翠濤(すいとう)1799-1858)や遠州流茶道8世・小堀宗中(1786-1867)が写したものが残っています。 展覧会の第1章は「松平不昧との交流―目利きを学ぶ−」として、上記の雨漏茶碗をはじめ、不昧作の茶杓 歌銘「曲直」、菊桐蒔絵棗(高台寺蒔絵)北村美術館蔵、小堀宗中が書いた「楽中苦々中楽」などが展示されています。 「生誕260年 世を観る眼 白醉庵・吉村観阿」展でのパネル展示 観阿、茶道具の目利きとして名を知られる 溝口翠濤が「楽中苦々中楽」を臨書したわけは、不昧の没後に、観阿が翠濤の信頼を得て、所蔵の茶道具を鑑定し、親しく交流する機会があったためです。溝口家旧蔵品には観阿が箱書したものが多く遺されています。展覧会第2章では、「不昧没後の観阿-溝口家との交流-」として、目の眼の表紙も飾ってくれた愛らしい「白呉州獅子蓋香炉」などの溝口家ゆかりの作品を見ることができます。 白呉州獅子蓋香炉 明時代 17世紀 個人蔵 溝口家旧蔵 (「生誕260年 世を観る眼 白醉庵・吉村観阿」展にて展示) 展覧会の第3章は「目利きのこころとまなざし」と題して、観阿の茶人としての好みや篤い仏心がわかる展示。参考出品として、松永コレクションから東大寺二月堂練行衆盤や東大寺南大門古材を用いた炉縁も出品されています。というのは、観阿は、唯一手元に残した重源上人勧進状を東大寺に寄進し、生前53歳(1814年)の時に自身の墓(寿塔)を東大寺に建てているのです。その墓碑銘は近年も人気の高い江戸琳派の絵師・酒井抱一(1761-1829)が書いています。江戸の数寄者や文化人とも多く交流をもっていたのでしょう。 生前墓である寿塔を建立してから27年、当時としてはとても長寿と言える80歳になった観阿は、八十賀茶会を開きます。その時、江戸時代の蒔絵師として今も人気の高い原羊遊斎(1769-1846)に依頼し、桃蒔絵細棗を125個作って知友に配ったそうです。 桃蒔絵細棗 原羊遊斎作 江戸時代 19世紀 個人蔵 (「生誕260年 世を観る眼 白醉庵 吉村観阿」展にて展示) また、嵯峨柳蒔絵大棗(さが やなぎ まきえ おおなつめ)を濃茶、薄茶席ともに用いていて、松平不昧もまた高台寺蒔絵を濃茶に用いていることから、不昧の薫陶を知ることができます。そうした不昧と観阿の茶について、目の眼12月号特集では、北村美術館のご協力をいただき、道具の取り合わせを撮影。館長の木下收さんと宮武慶之さんに対談していただきました。 左:嵯峨柳蒔絵大棗 木胎漆塗 江戸時代 17世紀 個人藏 右:芦屋浜松舟地文釜 鉄 室町時代 15世紀 福岡市美術館(松永コレクション)参考出品 (「生誕260年 世を観る眼 白醉庵 吉村観阿」展示風景) 江戸後期の文化を体現した観阿の生涯 観阿は自身でも楽茶碗や茶杓を作っています。展覧会第4章「江戸における観阿の交流と周辺」では、観阿作の楽茶碗が4点、茶杓1点が展示されています。また酒井抱一、原遊羊斎の門人である蒔絵師中山胡民の香合などが展示され、その交遊を知ることができます。 白楽茶碗 銘「霜夜」 吉村観阿作 江戸時代 19世紀 北方文化博物館藏 (「生誕260年 世を観る眼 白醉庵 吉村観阿」での展示風景) 最後の第5章「冬木屋旧蔵品と観阿の周辺」は、茶道具の名品を数多く所持していたことで知られる豪商冬木家(冬木屋)との関わりについて。 観阿が唯一持っていた名物道具と推測される本阿弥光悦(1558-1637)作の瓢箪(ひょうたん)香合は、もとは冬木屋が所蔵していたものでした。文化9年(1812)に松平不昧が口切茶会の床に掛けた千利休の古田織部宛て書状「武蔵鐙の文」も冬木屋旧蔵品として知られています。展示では、不昧が写した「武蔵鐙の文」が掛けられています。 吉村観阿は1848年、ペリーが黒船に乗って浦賀にやってくる5年前に82歳で亡くなりました。太平の世ながらも世知辛い江戸の浮世を、茶人として生き抜いた苦楽斎・観阿。 吉村観阿をひもとくことで、江戸時代後期に花開いた文化のふところの深さとネットワークを知ることができます。ぜひ展覧会に足を運んでみてください。 福岡市美術館 企画展 生誕260年 世を観る眼 白醉庵・吉村観阿 会 期 2024年11月27日(水)〜2025年1月19日(日) 開館時間 午前9時30分~午後5時30分 ※入館は閉館の30分前まで 休館日 月曜日、12月28日(土)~1月4日(土) ※1月13日(月・祝)は開館し、1月14日(火)は休館 会 場 1階 古美術企画展示室 Information 生誕260年 世を観る眼 白醉庵・吉村観阿 11/27(水)〜2025.1/19(日) 会場 福岡市美術館 住所 福岡市中央区大濠公園 1-6 URL https://www.fukuoka-art-museum.jp/ TEL 092-714-6051 RELATED ISSUE 関連書籍 目の眼2024年12月号No.578 吉村観阿 松平不昧に愛された茶人 11月27日より、福岡市美術館の古美術企画展示室にて、「生誕260年 世を観る眼 白醉庵(はくすいあん)・吉村観阿(よしむらかんあ)」が始まりました! この企画展は、江戸… 試し読み 雑誌/書籍を購入する POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 東京・京橋に新たなアートスポット誕生 TODA BUILDING Others | そのほか スペシャル鼎談 これからの時代の文人茶 繭山龍泉堂 30年ぶりの煎茶会 龍泉文會レポート People & Collections | 人・コレクション 古美術店情報|五月堂 東京・京橋から日本橋へ 五月堂が移転オープン Others | そのほか 骨董の多い料理店 目利きの京料理人|ごだん宮ざわ Vassels | うつわ 書の宝庫 日本 人の心を映す日本の書 Calligraphy & Paintings | 書画 新しい年の李朝 李朝の正月 青柳恵介 People & Collections | 人・コレクション 名碗を創造した茶人たち Vassels | うつわ 展覧会情報 今秋、約50年ぶりのはにわ展/東京国立博物館 Ceramics | やきもの 連載|真繕美 唐津茶碗編 日本一と評される美術古陶磁復元師の妙技1 Ceramics | やきもの 茶の湯にも取り入れられた欧州陶磁器 阿蘭陀と京阿蘭陀 Ceramics | やきもの TSUNAGU東美プロデュース 古美術商が語る 酒器との付き合い方 Vassels | うつわ 昭和時代の鑑賞陶磁ブーム 新たなジャンルを作った愛陶家たち People & Collections | 人・コレクション