骨董ことはじめ⑦ みんな大好き ”古染付”の生まれた背景 RECOMMEND はじめに 骨董好きな人と話していると「古染付」という言葉を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。日本人が大好きなジャンルの一つで、定番から珍品まで様々な種類があり、値段も手頃なものがあって、オシャレですぐ日常的に使えるうつわです。 ただ古染付に関する解説を見ると、「中国の明末清初に景徳鎮の民窯で作られた染付磁器で、日本の茶人に喜ばれ、日本からの注文でも作られた」というようなことが書かれています。たしかにその通りなのですが、いま一つよくわからん、と感じる方も多いのではないでしょうか。それは古染付の生まれが、ちょっと複雑だったことに原因があります。 ここでは、「古染付」ってなに? とあらためてきかれた際に、その前提となる時代背景も含めて、できるだけやさしく説明してみましょう。 古染付ってなに? 骨董のうつわ、と聞いて思い浮かべたもののなかに、青い絵の具で絵を描いたやきものは出てきませんでしたか? それが「染付(そめつけ)」と呼ばれるものです。 ちなみに白く滑らかな「磁器」とよばれる器面に染付を施したうつわは、中国や韓国では「青花(チンファ・せいか)」、欧米では「Blue&White」と呼ばれ、世界中で人気を博した大ヒット商品でした。この染付のうつわが登場するまでは日本ではもっぱら木のうつわ、ヨーロッパではたとえ貴族でもピューターのような鈍い色の金属器を食器としていましたから、白く輝くような器面と、薄くて軽くて洗えばピカピカになる磁器の登場はまるで魔法のアイテムのようで、世界中の貴族やお金持ちが大金を払っても欲しがりました。 染付は中国の唐時代に作られはじめたそうですが、素体となる磁器の純白さ、染付の精度といった品質の向上に加え、輸出できるほど大量生産が可能になったのが元〜明の時代。この時代は世界でも中国大陸でしか生産できない最先端技術が詰まった商品として盛んに輸出され、大きな利益をもたらしました。そこで歴代王朝が専門の部署を置いて品質管理をしていました。このように国が管理下に置いて作らせたやきものを「官窯(かんよう)」、それに対して民間主導で生産したやきものを「民窯(みんよう)」と呼んで区別していました。※この呼称も骨董屋さんと話をするときによく話題にでますので覚えておくと良いでしょう。 やがて自分たちの国でも憧れの染付を作りたいと思う人が現れ、朝鮮半島ではいちはやく15世紀から、その後16〜17世紀にかけて日本では伊万里焼を、ヨーロッパではオランダがデルフト焼を作りはじめますが、それはまた別のお話。 さて肝心の古染付ですが、これはそんな染付が世界に広がった明時代末。 先ほども解説したように明の時代というのは、対外交易を盛んに行った時代でした。染付以外にも様々な種類のやきものを作り、ときには海外からの注文も受けて、ヨーロッパにはキリスト教にちなんだ文様のもの、中東にはイスラム文字やデザインを施したものなど何でも作っています。そのなかには日本の大名や商人の注文を受ける部門もあったようで、実に多彩なやきものが日本に輸入されました。まさに世界の陶磁器生産工場となっていた明王朝ですが、政治的には乱れ、内憂外患が頻発して次第に国力が衰えていきます。その最盛期が終わりを迎えるのが 14 代万暦帝の時代。万暦帝が崩御するとついに官窯を維持できなくなって閉鎖され、ここから明という王朝は末期に入り、続く天啓帝、崇貞帝で終焉を迎えます。 この混乱の時代に日本で大いに盛り上がっていたのが茶の湯でした。官窯はなくなりましたが、やきものの街・景徳鎮は民窯が支えており、その民間の窯の片隅で日本からの注文を受けて作られたのが、古染付、天啓赤絵、南京赤絵と呼ばれる一群です。注文は「切型(きりがた)」と呼ばれるデザイン画を切り抜いたものが使われたようですが、実際現場の陶工たちがどのように作っていたのか残念ながらわかっていません。国力が衰えたとはいえ、世界一の陶工の技倆は落ちていなかったと思われますが、古染付はその粗雑なつくりが特徴で、軽妙な造形と相まって他にはない独特のおもしろさがあります。これは日本の茶人の注文に忠実に応えたもので、「日本人は変なモノを作らせるなあ」と当時の陶工が首を捻っていたのではないかという話もききます。 古染付の、決して完成度は高くないものの、陶工の伸びやかで自由奔放、当意即妙ともいえる作風は、こうした時代背景から生まれてきたのです。 RELATED ISSUE 関連書籍 目の眼 電子増刊第6号 残欠 仏教美術のたからもの デジタル月額読み放題サービス 今特集では仏教美術の残欠を特集。 残欠という言葉は、骨董好きの間ではよく聞く言葉ですが、一般的にはあまり使われないと思います。ですが、骨董古美術には完品ではないものが多々あります。また、仏教美術ではとくに残欠という言葉が使われるようです。 「味わい深い、美しさがあるからこそ、残欠でも好き」、「残欠だから好き」 残欠という響きは実にしっくりくる、残ったものの姿を想像させます。そこで今回は、残った部分、残欠から想像される仏教美術のたからものをご紹介します。 試し読み 購入する 読み放題始める POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 東京アート アンティーク レポート#3 骨董のうつわで彩る”食”と”花” Others | そのほか 展覧会情報|大英博物館 ロンドン・大英博物館で初の広重展。代表作「東海道五十三次」など 山田ルーナCalligraphy & Paintings | 書画 古信楽にいける 花あわせ 横川志歩 Vassels | うつわ 大豆と暮らす#2 うなぎもどき|日本人と大豆の長い付き合いが生んだ「もどき料理」 稲村香菜Others | そのほか 書の宝庫 日本 人の心を映す日本の書 Calligraphy & Paintings | 書画 古美術をまもる、愛でる 生糸染めから手機織りで受け継がれる、真田紐師 江南の唯一無二 Others | そのほか 目の眼4・5月号特集「浮世絵と蔦重」関連 目の眼 おすすめバックナンバー 1994年9月号「写楽二〇〇年」 Calligraphy & Paintings | 書画 大豆と暮らす#4 骨董のうつわに涼を求めて ー 豆花と冷奴 稲村香菜Others | そのほか 骨董ことはじめ⑧ 昭和100年のいまこそ! 大正〜昭和の工芸に注目 Others | そのほか 縄文アートプライベートコレクション いまに繋がる、縄文アートの美と技 Ceramics | やきもの 新刊発売 「まなざしを結ぶ工芸」著者インタビュー 本田慶一郎と骨董と音楽と People & Collections | 人・コレクション 秋元雅史(美術評論家)x 北島輝一(ART FAIR TOKYOマネージングディレクター) スペシャル対談|アートフェア東京19の意義と期待 People & Collections | 人・コレクション