心に刻むひな祭り 永松仁美 昂KYOTO店主 繰り返す三寒四温に何度も騙されながらも、弥生、雛月など、耳にしただけで何故でしょう、ほんわかほっこりとした気持ちになるから言霊は偉大です。 幼少期の私の雛祭りは素敵な思い出は数多くあるものの、小学校中学年にもなると流石に商売を営む多忙な家では雛道具を一から飾る時間の余裕はもはや無く、日本画家であった祖父の立ち雛の掛け軸を父がかけ、夕飯前に甘酒を交わし、母が作ったちらし寿司と蛤のお汁、デザートに和菓子や雛あられを頂いて、節句は無駄なく削ぎ落とされて行きました。しかしながらどの様な形でも当たり前にそれらは嬉しく、充分に豊かな時間でありました。お雛様を飾らないとお嫁に行けない都市伝説は、20歳の結婚で見事に覆す事もできましたので、なお結構でございます。 同じ頃、父がドールハウスをコツコツ仕事の合間に自ら設計手作りし、私に与えてくれた事は、色々な意味で一年に一度きりの雛祭り以上に女の子である娘への想いと想像力を与えてくれた事は言うまでもありません。今も自宅に飾り「ただいま」、「行ってきます」と、そこに父がいるのです。久しぶりにドールハウスの道具の整理をしていると小さな小さな指先に乗るほどの革製の本が出てきました。そっとページを開くとそこに亡き父がいたずらに書き込んだ私の似顔絵が出てきたのです。 絵描きに憧れ美術大学を2回も受験したものの、その夢は叶わなかった若かりし父は、アメリカ、ヨーロッパをバックパッカーとして1年旅をした後、古美術商の世界に飛び込みます。描く側から売る側になってより美術の世界を愉しみ最後まで美しい物、事、そして描く側の人の心を慈しみ追い求める人生でした。 そんな父と二人で絵を描きに植物園に行きました。父は油絵を私は水彩を描きました。時間となりきっと楽しかったのでしょう「また続き描きに来ような」と嬉しそうに言われたにも関わらず、父のサムホールのキャンバスに描かれた美しい池の絵に、何故か私はこっそり船を描き足したのです。翌日、あんなに哀しそうに怒った父を見たのは初めてで、幼いながらも悪気の無い自分を恥じた経験でありました。それ以来絵を一緒に描く事はおろか、あの絵も見ることも有りませんでした。 そんな嬉しさと後悔の思いにふけた先日、ふと母がドールハウスに、と小さなティーカップをくれたのです。皆それぞれにこのドールハウスに思いがあるのだなぁと、ちょっぴり嬉しかった今年の雛祭の想いはドールハウスのテーブルの上にありました。 *永松仁美さんの連載「京都女子ログ」は『目の眼』2023年1月号〜2024年10月号まで掲載。過去のコラムはこちらからご覧いただけます。 月刊『目の眼』2024年3月号より Auther コラム|京都女子ログ 永松仁美(ながまつひとみ) 1972年京都生まれ。京都・古門前の骨董店の長女として育ち、結婚、子育てを経て、2008年京都・古門前に店を構える。2012年、祇園に移転しアンティーク&ギャラリー「昂KYOTO」をオープン。 この著者による記事: 秋涼の風吹く 神無月 COLUMN永松仁美 夜長のお茶時間 COLUMN永松仁美 私の夏時間 COLUMN永松仁美 器と心 COLUMN永松仁美 水無月の思い出 COLUMN永松仁美 スープの伝言 COLUMN永松仁美 座右のポット COLUMN永松仁美 RELATED ISSUE 関連書籍 目の眼2024年10月号No.577 李朝空間 癒やしのかたち 日本とは文化的に近しく、かつ異なる美を持つ李朝のやきものや絵画、道具や家具は、古くから日本の蒐集家に愛されてきました。近年は韓流ドラマが定着して、李朝時代の歴史に興味を持つ方も多く、李朝時代の骨董は新しいファンを増やしています。今回の特集では李朝の古美術を用いた心地良い空間の愉しみをご紹介します。 雑誌/書籍を購入する 読み放題を始める POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 稀代の美術商 戸田鍾之助を偲ぶ People & Collections | 人・コレクション 展覧会紹介|石水博物館 NIGO®と茶碗と半泥子 ─ 川喜田半泥子と歩んだ作陶10周年 Ceramics | やきもの 東京アート アンティーク レポート#3 骨董のうつわで彩る”食”と”花” Others | そのほか 古美術店情報|五月堂 東京・京橋から日本橋へ 五月堂が移転オープン Others | そのほか 企画展紹介|銀座 蔦屋書店 日本刀・根付売場 春画と根付の世界をたのしむ Ornaments | 装飾・調度品 世界の古いものを訪ねて#3 ケルン大聖堂 響きあう過去と現在 ー 632年の時を超え、未来へ続く祈りの建築 山田ルーナHistory & Culture | 歴史・文化 連載|美の仕事・茂木健一郎 テイヨウから、ウミガメに辿りついたこと(壺中居) Ceramics | やきもの 展覧会紹介|五島美術館 愛しの青 五島美術館で古染付・祥瑞をみる Ceramics | やきもの 正宗の風 相州伝のはじまり “用と美”の革新、名刀匠正宗の後継者・正宗十哲が繋ぐ相州伝 Armors & Swords | 武具・刀剣 目の眼4・5月号特集「浮世絵と蔦重」 東京国立博物館に蔦重の時代を観に行こう Calligraphy & Paintings | 書画 インタビュー|伊藤穰一さん アート、デザイン、サイエンス、エンジニアリングを行き来する茶人 People & Collections | 人・コレクション 新しい年の李朝 李朝の正月 青柳恵介 青柳恵介People & Collections | 人・コレクション