昭和時代の鑑賞陶磁ブーム

新たなジャンルを作った愛陶家たち

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青花輪花鉢 南宋時代 11 ~ 12 世紀 官窯 高 9.1 口径 26.1㎝
重要文化財 横河民輔コレクション 東京国立博物館蔵
ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

 

骨董・古美術は変わらないように見えて、実はとても流行に左右されています。時代時代によって、それまで誰も気づかなかった美を見出し、コレクションをすることで新たな価値を生み出した鋭い眼を持つコレクターたちがいました。そして時は移り、昭和期に盛り上がりを見せた「鑑賞陶磁」という見方は、令和の現在まで大きな影響を与えています。そこで、鋭い眼を持ち新たなジャンルを作り出した愛陶家たちをご紹介します。

※この記事は『目の眼』2024年1月号<眼の革新>に掲載されています。

 

 

昭和初期の第一次ブーム

 

 日本陶磁協会の機関誌『陶説』2022年12月号・2023年1月号合併号「創刊70周年記念鑑賞陶磁の70年」が昨年末に刊行された。これを読むと鑑賞陶磁とその歴史がよくわかる。繭山龍泉堂の川島公之さんの〈わが国の「観賞陶磁」史概要〉によると、鑑賞陶磁という言葉はおそらく戦後に使われるようになり、主に中国陶磁が中心になっていく。東京帝国大学の奥田誠一(1883〜1955)、大河内正敏(おおこうちまさとし)(1878〜1952)らが創立した彩壺会(さいこかい)、亦楽会(えきらくかい)といった愛陶家の会が活躍した大正時代後半から昭和初期までを第一次、そして戦後の1950年代から80年代にかけてを第二次鑑賞陶磁ブームといえるだろうと推論されている。

 戦前期の第一次観賞陶磁ブームは、20世紀初頭、中国の動乱により官窯の中国陶磁が市場に出回るようになったこと、土木工事で見つかった墳墓や古窯から唐三彩などの古陶が発見されたことによる。その流出先は主にヨーロッパだったが、山中商会や繭山龍泉堂、壺中居創業者の廣田不孤斎ら日本の古美術商も中国に行き、日本に持ち帰った。

 

横河民輔

1864 ~ 1945 建築家・実業家横河グループ創業者

株式会社 横河建築設計事務所 所蔵

彩壺会は「従来我が国に皆無であった科学的賞鑑」を目指した。

参考:彩壺会叢書『柿右衛門と色鍋嶋』1916 年

 

建築家の横河民輔(よこがわたみすけ)は1914年頃から中国陶磁の蒐集を始めたという。1923年には彩壺会で「支那青瓷及其外国関係に就て」と題して講演し、講演録が刊行された。彩壺会の刊行物もそれ以降中国陶磁の本が増える。1929年刊行の渡邊素舟著『支那陶磁器史』には唐三彩から清時代まで、岩崎小彌太、横河民輔、細川護立、反町茂作、上野精一、盬原又作(しおばらまたさく)、下村観山、山村耕花(やまむらこうか)らの蔵品が掲載されている。横河民輔は1932〜43年まで7回に分け、約1200​​​​​​点の中国陶磁を東京帝国博物館に寄贈している。その選定にあたったのは奥田誠一と小山冨士夫(1900〜75)だった。その後の中国陶磁研究に横河コレクションは多大な貢献をしたと言えるだろう。

 

 

日本陶磁協会と戦後のブーム

 

 

田邊加多丸

1884 ~ 1951 山梨県生まれ。阪急東宝グループ創業者の小林一三の異母弟。株式会社東宝会長を務めた。

梅澤彦太郎に日本陶磁協会の「産みの親、育ての親」(『日本美術工藝』1951 年 6 月号」)と評されている。

 

 

1945年8月の終戦直後、戦災に遭いながらも日本陶磁研究所の表札を出していた佐藤進三(1900〜1968)、そこに集った元東宝会長田邊加多丸、陶磁研究家満岡忠成(1907〜1994)が、大河内正敏の子息磯野信威(のぶたけ)(風船子・1902〜1990)を誘い、戦前の彩壺会、亦楽会などの陶磁研究会を団結した会を創ろうと連名による案内状が送られた。

 

 

灰釉瓶子

美濃須衛窯 高 32.6cm 京都国立博物館蔵

秦秀雄『名品訪問』に沖原弁治氏所蔵の鎌倉伊賀の瓶子と紹介されている。文中に田邊加多丸氏の愛品とあり、「田辺氏発見の頃は口がなく、まっ黒で、瀬戸の瓶子のつもりで買って来たという」とある。

ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

 

すると早くも同年月に東京・銀座の交詢社で結成のための会合が開かれる。発起人の4名に加え、尾崎洵盛、青柳瑞穂、久志卓真、星野武雄、廣田熙ら十数名が出席。趣味的な会合に止まらず、研究調査、展観、講演、出版等を行い、生活向上の見地に立って、古陶だけではなく現代作品にも関心を払うことを決議したという。新しい日本をより良いものにしたいという一同の強い意志が感じられる。

 

 

久志卓真

1898 〜 1973 北海道生まれ。ヴァイオリニスト・音楽家・音楽評論家、古美術研究家。

日本陶磁協会理事として立上げに関わる。音楽、古美術の著書を多数刊行した。

清 康熙〜雍正 蟹甲青釉梅瓶 高 24.8㎝      楽陶陶コレクション

 

 

 翌年正月には渋谷松濤の田邊加多丸邸にて第1回会合と茶会を開催。小林逸翁、松永耳庵、尾崎洵盛、奥田誠一、団伊能を顧問に迎え、理事に加藤唐九郎、瀬津伊之助、黒田領治らのほか、戦地より復員した小山冨士夫、繭山順吉、伊藤祐淳も順次加わった。伊藤は復員したばかりで「理事にしておいたから」と伝えられ、驚いたと回想に書いている。日本陶磁協会の名称は小山冨士夫の案によるという。すぐに始めたのは瀬戸窯の発掘調査だった。展観も大河内子爵邸や田邊加多丸邸を借りて行い、1950年には東京美術倶楽部で小山冨士夫・日本陶磁協会主催「中国青磁展」を開催している。

 1952年に社団法人となった翌年、梅澤彦太郎が理事長に就任、「陶説」が創刊された。

 

昭和 27 年陶々菴での日本陶磁協会理事会

前列左から、黒田領治、佐藤進三、梅澤彦太郎、瀬川昌世、加藤義一郎(外護者)、内藤匡

後列左から、繭山順吉、久志卓眞、小森新一、菅原定雄(事務)、小山冨士夫、満岡忠成

『陶説』1976 年 7 月号より

 

特筆されるのはデパート展の成功である。協会主催で開催した日本橋三越「中国清朝陶磁名品展」、日本橋髙島屋「宋磁名品展」、「中国陶磁元明名品展」、白木屋での「やきもの教室」などいずれも多くの人で賑わった。東洋陶磁の大コレクターであった安宅英一(1901〜1994)が蒐集した安宅コレクションを展示する展覧会(日本経済新聞社主催)は一般の人々にもコレクターの存在感を示し、注目を集めた。個人的愛好にとどまらず、文化で日本を復興しようと考えたコレクターたちの情熱が社会を巻き込むかたちで鑑賞陶磁ブームを盛り上げたといえるだろう。

 

『目の眼』2024年1月号〈眼の革新〉より

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