スープの伝言 永松仁美 昂KYOTO店主 暦の上で今年の立夏は5月5日。 鴨川の柳はたわわに風に靡き、ついこの間まで乾ききっていた田園にはいつの間にか水が張られてキラキラと輝き、息を吹き返した抑揚ある景色が広がっています。ふと低く視界に横切るは、海を遥々渡り戻ってきた私の握り拳にも満たぬ小さき燕。その度胸に参りましたと頭を下げながら至極当然自然の摂理に逆らわぬ生き物それぞれの姿に只々心揺さぶられる季節がまた巡って来たのです。 家のチャイムが鳴り小包が届きました。但し書きには「スープ」と記載されています。 私はニコリと頷きます。陶芸作家の李寶那さんが制作にスイッチが入るといつもスープが我が家に送られ、アトリエに籠られたという合図となるのです。 窯の番をしながら業務用寸胴鍋にコラーゲンたっぷりの白濁牛骨スープを何日もかけてグラグラとそして丁寧に煮る。冷蔵され我が家に届く頃にはそれはプルンプルンのゼラチンとなって、彼女の無言の「頑張ってます」というメッセージなのだと、いつも嬉しく蓋を開ける私がいるのでした。 そんな彼女の父は現代美術作家である李禹煥氏。厳格な両親の三女として生まれた寶那さんによると、客人の多かった李家でもてなされる料理は全て料理研究家であった母の手作りで、味に厳しい父と共に切磋琢磨して作り上げたレシピだと言います。そして台所には料理の基礎となる様々な部位のスープがいつも湯気をあげて用意されていたというのです。 彼女から聞くそんな話は本当に面白く、そして今、その DNAが確実に受け継がれて、スイッチの入った時に送られてくるこの無言のスープと繋がるから私は可笑しくも有りとても心嬉しいのです。 他にも松の実粥スープ、餅米おこわなど、手間暇かけられた滋味深い味と、李家の食の思い出話を聞きながら目に耳に口にと愛情を受けてこられた今を感じます。その結果は、自ずと作品へと繋がって行くことでしょう。食の記憶は人それぞれ尊いものでいつまでも大切に持ち続けるべきに思います。何かの拍子でそれらを共感へと誘えるとまた奮い立たされるものが生まれる様にも思うのです。本質の大切さを後世に伝える手段として、毎日の積み重ねでしかない日常の食への姿勢のあり方こそが、人の基礎となって受け継がれている一面を垣間見れた気づきでした。 *永松仁美さんの連載「京都女子ログ」は『目の眼』2023年1月号〜2024年10月号まで掲載。過去のコラムはこちらからご覧いただけます。 月刊『目の眼』2024年5月号より Auther コラム|京都女子ログ 永松仁美(ながまつひとみ) 1972年京都生まれ。京都・古門前の骨董店の長女として育ち、結婚、子育てを経て、2008年京都・古門前に店を構える。2012年、祇園に移転しアンティーク&ギャラリー「昂KYOTO」をオープン。 この著者による記事: 私の夏時間 永松仁美 器と心 永松仁美 水無月の思い出 永松仁美 座右のポット 永松仁美 心に刻むひな祭り 永松仁美 RELATED ISSUE 関連書籍 目の眼2024年8月号 No.575 阿蘭陀 魅力のキーワード 「阿蘭陀」とはオランダと読み、近世にヨーロッパで中国陶磁を写して作られた色絵陶磁です。江戸時代にもたらされ、茶陶として愛用されました。「阿蘭陀」は必ずしもオランダで作られたやきものだけではなく、フランスやイギリスで作られたものもあり、それぞれに異なるところも魅力のひとつです。華やかで奥深い「阿蘭陀」の世界をご紹介します。 雑誌/書籍を購入する 読み放題を始める POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 企画展紹介|銀座 蔦屋書店 日本刀・根付売場 春画と根付の世界をたのしむ Ornaments | 装飾・調度品 目の眼4・5月号特集「浮世絵と蔦重」関連 目の眼 おすすめバックナンバー 1994年9月号「写楽二〇〇年」 Calligraphy & Paintings | 書画 Book Review 会津に生きた陶芸家の作品世界 Others | そのほか 古唐津の窯が特定できる「分類カード」とは? 村多正俊Ceramics | やきもの 展覧会情報|東京国立博物館 東京国立博物館 特別展「はにわ展」|50年ぶりの大規模展覧会 Ceramics | やきもの 骨董ことはじめ① 骨董と古美術はどう違う? History & Culture | 歴史・文化Others | そのほか 台北 古美術探訪|国立歴史博物館 歴史と古美術を満喫、台北「国立歴史博物館&植物園」を探訪 History & Culture | 歴史・文化 「美の仕事」特別編 池坊専宗 中国陶磁の色彩にあそぶ Ceramics | やきもの 連載|美の仕事・茂木健一郎 テイヨウから、ウミガメに辿りついたこと(壺中居) Ceramics | やきもの 骨董ことはじめ② めでたさでまもる 吉祥文に込められたもの History & Culture | 歴史・文化 展覧会レポート|大英博物館「広重展」 名所絵を超えた“視点の芸術”が、いま問いかけるもの 山田ルーナCalligraphy & Paintings | 書画 白磁の源泉 中国陶磁の究極形 白磁の歴史(2) 新井崇之Ceramics | やきもの