風の環 武藤 順九 作 | 果てしなき時を内包する大理石のメビウス 桑村祐子 高台寺和久傳 女将 空がいっそう青く高く感じられる皐月晴れの午後、陽光をやわらかく透けてとおす柿若葉や青楓のあまりの初々しさに目をほそめては、毎年違わずに新しく生まれかわる自然の暦に、今年もまた安堵します。少し前には「花散らし」と疎まれた雨も、この時期になると、田畑を潤し緑を養う恵みとして豊穣祈願の祭りの合間には、人々の大いなる歓迎を受けます。若王子から法然院につづく竹林の葉擦れ、川のせせらぎといった微かな音の流れにいざなわれ、ふと歩みをすすめると、全身にふりそそぐ木漏れ日の暖かさで、花冷えした体が繭玉のように包まれて、少しずつ温められていくのを感じます。外の陽気と体温とが、まるで溶け合うかのような不思議な感覚に漂いながら、何気なく伸ばした掌や頬には風の薫りが揺らいでいます。 飴細工のようにも見える石の彫刻「風の環」。作家はイタリア・トスカーナの大理石を彫りだして、メビウスの輪のような円環を、まるで風に弄ばれる泡のように棚引かせては様々な形に出現させています。何十万年もの沈黙を経て堆石した硬い素材から、ヴィーナスの指先のような繊細さ、そして温かみさえ感じるのは作者の祈りといったものに触れるからでしょうか。滑らかな円環は宇宙の永遠を象徴しているとのことですが、作家自身の強さと優しさが共存する造形の技には、いのちを愛(かな)しむ想いが込められているようです。 京都では建具の衣更えを次月に控えて「清風」をしつらえたいころ。床の軸には「飛つばめ」や「悟竹」を配してはみたものの、なぜか物足りなさが残ります。 窓を開け放した坪庭から、気まぐれな風に運ばれてやってくる光。その陰影によって一刻毎に表情を変える白き石の泡。ただそれだけを置いて座っていると、いったいどのくらいの時間が経ったのでしょうか。とどまることを知らない風が「一瞬」の儚さをおしえてくれたような気がします。 途方もない時をおさめ静座する石の力と、一瞬一瞬に碧の彩りを変える若葉の伸びやかな姿を対照に「時」というものに思いを寄せるひととき。いつか生まれては消える泡や風を愛しく思いながら、また日常へと戻っていきます。 月刊『目の眼』2013年5月号 Auther 桑村祐子(くわむら ゆうこ) 高台寺和久傳 女将。京都の丹後・峰山で開業した料理旅館をルーツとし、現在は高台寺近くに門を構える料亭の女将として和の美意識を追求している。「心温かきは万能なり」が経営の指針。 この著者による記事: 着ることでしかわからない着心地 COLUMN桑村祐子 雪持笹の火鉢 | 火のおもり COLUMN桑村祐子 耕牛図 村上華岳 作 | 徒然なるままの夏の一日 COLUMN桑村祐子 無題 Conrad Jon Godly 作 | 夏の京都から スイスの高嶺を思う COLUMN桑村祐子 氷柱箱 | 涼やかな「かほり」の一滴 COLUMN桑村祐子 蝶の博物画集 | 飛翔を夢みる南方の蝶 COLUMN桑村祐子 菓子器 川真田克實 作 | 名残の椿を慈しむ 早春のしつらい COLUMN桑村祐子 RELATED ISSUE 関連書籍 2013年12月号 No.447 浄土の風景 當麻曼荼羅から平等院鳳凰堂へ 仏が住まう清浄な世界として人々が祈り、あこがれた浄土。それはどんな風景をしているのでしょうか。人々は浄土のイメージを絵画、彫刻、建築、庭園で数多く表現してきました。今秋、サントリー美術館で開催される平等院鳳凰堂修理完成記念「天上の舞 飛天の美」展を機に、人々の浄土への夢が生み出した美を平等院の全面協力でご紹介します。 雑誌/書籍を購入する 読み放題を始める POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 稀代の美術商 戸田鍾之助を偲ぶ People & Collections | 人・コレクション 眼の革新 大正時代の朝鮮陶磁ブーム 李朝陶磁を愛した赤星五郎 History & Culture | 歴史・文化 古唐津の窯が特定できる「分類カード」とは? 村多正俊Ceramics | やきもの 大豆と暮らす#4 骨董のうつわに涼を求めて ー 豆花と冷奴 稲村香菜Others | そのほか 世界の古いものを訪ねて#6 アンティークの街・ルイスで出会ったグラスと、生活の色気 山田ルーナVassels | うつわ 眼の革新 鈍翁、耳庵が愛した小田原の風 People & Collections | 人・コレクション 目の眼4・5月号特集「浮世絵と蔦重」 東京国立博物館に蔦重の時代を観に行こう Calligraphy & Paintings | 書画 骨董・古美術品との豊かなつきあい方① 自分だけのコレクション、骨董品との出会い方「蒐活」編 Others | そのほか トピックス|刀剣文化の応援はじまる 「刀剣乱舞」の生みの親 ニトロプラスが刀剣文化の調査・研究に助成 Armors & Swords | 武具・刀剣 リレー連載「美の仕事」|土井善晴 土井善晴さんが向き合う、桃山時代の茶道具 土井善晴Ceramics | やきもの スペシャル鼎談 これからの時代の文人茶 繭山龍泉堂 30年ぶりの煎茶会 龍泉文會レポート People & Collections | 人・コレクション 新刊発売 「まなざしを結ぶ工芸」著者インタビュー 本田慶一郎と骨董と音楽と People & Collections | 人・コレクション