PATEK PHILIPPE | 日本が注文した小型の腕時計 大江丈治 時計評論家 どんなものにも、大きな時代の変化や、マーケティングなどによって流行り廃りがある。振り返るといろいろなものが毎年微妙に変化しており、気が付けばすっかり時代遅れな事も多い。男の持ち物で挙げれば、例えば肩幅の広いゆるいスーツはバブル時代の象徴だった。 ネクタイの幅もそうだろう。極めてシンプルなアイテムなので幅が広いか、細身になるかしかないので分かりやすい。ファッションには細かい定義がトレンドとして仕込まれている様だが、そこまでの違いは私にはわからない。今親父の現役時代のネクタイを発掘して自分が結んでみると、案外いけていたりする。 時計の世界にも当然トレンドは存在しているが、やはり必然ではなくて高級装飾品として、よりセールスに結びつける手段によるものだ。 ではこのところの腕時計のトレンドはと言うと、世界的には大ぶりな時計が主流になっている。具体的なスケールで示すと時計本体の直径が、42㎜以上のものが男性用の標準サイズと言われる。しかし、今から数年前までは、もっと過激な大きさが求められていた。「デカ厚」と呼ばれた、横のみならず厚みも加わった立体的にもボリュームがあって、腕からはみ出るサイズがもてはやされたのだ。これは完全にファッションの一部で、如何に目立つかが勝負。さすがにやりすぎたと見えて今は落ち着いてしまった。 一方、パテック・フィリップ社の時計は流行り廃りとはあまり縁の無いブランドである。どの時代のどのモデルにも派手さの演出はとても少ない。だが文字盤、針、インデックス、ロゴに至るまで造作がとにかく繊細で処理がうまいので、その為サイズに依存せずとも存在感が圧倒的なのである。「さりげない存在感」がパテック・フィリップのデザインの真骨頂である。写真からは想像し難いだろうが、このリファレンス3923の直径はわずか31㎜しかない。今日の標準的な女性用よりも小型だ。過去には28㎜と言う極めて小ぶりな男性用モデルも存在したが、近年ではこのサイズが最も小型となる。 特筆すべき点は、この時計が当時の日本の代理店からのスペシャルオーダーによって作られたことだろう。1989年にパテック・フィリップ社は創業150周年を迎え、その記念モデルとして日本市場限定に150本作られた。全てステンレススティールケース製で、その内わずか50本が写真のグレーカラーの文字盤で発注されている。 このブランドはその殆どが貴金属ケース製で、ステンレススティール製自体が大変珍しい。しかもこの31㎜と言う大きさは、もはやこの当時でもトレンドでは無いほど小型だった。しかし「さりげなさ」を善しとする日本向けとしてサイズ、素材、カラーをこの様に組み合わせたことは、高級時計とはどうあるべきかを十二分に理解して昇華させないと選択できない。残念だが、もう二度とこんな「さりげない」だけの高級時計は生まれまい。 月刊『目の眼』2013年10月号 Auther 大江丈治(おおえ じょうじ) 1964年生まれ。時計評論家。大学工学部卒業後、大手化学メーカー勤務などを経て趣味であった時計業界へ飛び込む。有名ジュエリーウオッチブランド数社でマーケティングなどを担当。またスイスの独立時計師達とも親交が深い。 この著者による記事: Audemars Piguet | 薄型高精度の美学 大江丈治 SEIKO | 日本初、そして最後の高級機械式腕時計 大江丈治 BULOVA | アメリカンウオッチ 最後の栄光 大江丈治 RELATED ISSUE 関連書籍 2013年11月号 No.446 朱とみずがね姫 〜 根来の源流を探る この秋、空前絶後の根来展が開催される。黒漆の下塗りの上に朱漆が重ねられた漆器は「根来塗り」と呼ばれ、神饌具や、仏具、食器や酒器、茶道具、文房具など様々な用途に使われた。名の由来となった紀州根来寺は鎌倉時代から南北朝にかけて隆盛を極めたが、豊臣秀吉の根来攻めで灰燼に帰し、戦火を逃れた工人たちが、根来塗りの技法を各地に伝えたといわれている。日本にある根来の優品のほとんどを集めた展覧会の開催に合わせ、展覧会の見どころとともに根来の魅力、また個人コレクターを訪ねるなど、深く切り込んだ特集をお送りします。 雑誌/書籍を購入する 読み放題を始める POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 百済から近代まで 歴史の宝庫、韓国・忠清南道(チュンチョンナムド) History & Culture | 歴史・文化 連載|真繕美 古唐津の枇杷色をつくる – 唐津茶碗編 2 Ceramics | やきもの 「美の仕事」特別編 池坊専宗 中国陶磁の色彩にあそぶ Ceramics | やきもの 企画展紹介|銀座 蔦屋書店 日本刀・根付売場 春画と根付の世界をたのしむ Ornaments | 装飾・調度品 大豆と暮らす#3 おから|大豆がつなぐ、人と食 稲村香菜Others | そのほか 阿蘭陀 魅力のキーワード 阿蘭陀の謎と魅力 Ceramics | やきもの 世界の古いものを訪ねて#3 ケルン大聖堂 響きあう過去と現在 ー 632年の時を超え、未来へ続く祈りの建築 山田ルーナHistory & Culture | 歴史・文化 小さな壺を慈しむ 圡楽窯・福森雅武小壺であそぶ Ceramics | やきもの 新しい年の李朝 李朝の正月 青柳恵介 青柳恵介People & Collections | 人・コレクション 目の眼4・5月号特集「浮世絵と蔦重」関連 目の眼 おすすめバックナンバー 1994年9月号「写楽二〇〇年」 Calligraphy & Paintings | 書画 アンティーク&オールド グラスの愉しみ 肩肘張らず愉しめるオールド・バカラとラリック Vassels | うつわ トピックス|刀剣文化の応援はじまる 「刀剣乱舞」の生みの親 ニトロプラスが刀剣文化の調査・研究に助成 Armors & Swords | 武具・刀剣