雪山酔夢|お盆

近衞忠大

クリエイティブ・ディレクター

 

お盆の時期に滋賀に出張があった。滋賀まで行くのであれば先祖供養でもしようと、京都まで足を伸ばした。長男も成人したので、そろそろこういった事にも参加してもらおうと誘ってみた。普段はゲームばかりしているが、歴史には多少興味があるのか一緒にいくというので二人旅となった。

 

我が家は不定期でお墓参りには行くが、お盆の時期は必ずというわけではない。また本来であれば我が家の墓がある大徳寺にお参りするべきなのだが、なかなかそうも行かず、東京にある大徳寺派の廣徳寺(練馬区)に行くことが多い。ここには本家の墓はないが、作曲家の秀麿、文麿の次男・通隆ら昭和以降の親族の墓がある。またシベリア抑留で亡くなった祖父・文隆の妻・正子も大徳寺の墓所と廣徳寺に分骨されている。

 

大徳寺の墓所には京都・陽明文庫を守っている名和家の方々が名代として、毎年お盆や文麿の命日などにお参りしてくれている。今年のお盆は大徳寺の墓所、一様院、西王寺と縁のお寺を三箇所回るというので便乗した。

 

大徳寺の一角には近衞家墓所がある。芳春院という加賀・前田家ゆかりの塔頭が管理しているが、場所は少し離れた総見院という、羽柴秀吉によって建立され、君主・織田信長の供養塔がある塔頭の区画に隣接している。そのもう一つ隣は千利休の墓がある聚光院だ。

墓所には大きな門があり、大徳寺本坊から鍵を借りてきて開く。門を開けると二十以上の供養塔がある。井戸で水を汲んで清めるが、あまりにも多くあるので三代前までに線香をあげる。この墓所は近衞信尋(1599年−1649年)の時代(1645年に出家しているのでその頃か)に本寺として以来ここにある。それ以前の墓は東福寺 海蔵院にあったようだが移設したと言われているので、それ以前の当主・前久(1536−1612)や信尹(1565−1614)の供養塔もある。

 

続いて初めて行く一様院へ。一様院は洛北、大徳寺より2キロほど北にある高台にあり、比叡山を借景にした庭がある。江戸前・中期に朝廷と幕府との関係改善に奔走した近衞基熙が禅尼に帰依し、殿舎、祭料十石を寄進したと言われている。そういった関係から本殿の屋根には近衞牡丹があしらわれている。ご住職にはお経をあげていただき焼香。

 

慌ただしく移動し、円町駅に近い西王寺へ。こちらは基熈の子、家熈縁のお寺。家熈を始めとする多くの先祖が眠る墓所がこちらにもある。また家熈の消息を知るうえで貴重な資料である「看聞秘鈔」を収めている。2036年に没後300年を迎えることから、家熈の研究をされている緑川明憲先生を中心に豫樂院会と称して勉強会を行っているので、いずれこの看聞秘鈔を紐解くことになると思う。

 

駆け足の先祖供養だったが、ご先祖様たちに長男の顔見せができたのが何よりだ。

 

 

*近衞忠大さんの連載「雪山酔夢」は雑誌『目の眼』に掲載されています。

月刊『目の眼』2024年10月号より

Auther

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