菓子器 川真田克實 作 | 名残の椿を慈しむ 早春のしつらい 桑村祐子 高台寺和久傳 女将 水ぬるむ三月下旬、そろそろと伸ばした手足に寒の戻りが凍みるころ、比叡のお山では山麓から湖上のいたるところで比良八講がおこなわれます。法華経をいただき無事を願えば、ようやく京都に春が訪れるのも毎年のならい。いっぱいの陽気に満たされた鴨川沿いの柳たちが、そのしなやかな枝々にたくさんの愛らしい芽を吹いた様子は、白緑色(びゃくろくいろ)のうす衣を重ねたかのようです。 善峰寺から醍醐寺あたり、保津峡や宇治川くだりと洛西洛南のあちらこちらでは、すでに花見を待ちわびる人々で賑わい、桜はまだ浅い春の陽に応えようと健気につぼみをひらいて見せます。洛中に入って、白川や高瀬川の長閑な流れを眺めてそぞろ歩けば、あたりはにわかに花の宵。群れ集う人々が、一年のうちで最も刹那に酔いしれるひとときです。 そんな華やかな「桜」の喧騒の中にあって、静かにもうひとつの春の花、「椿」を慈しむ人々がいます。 ごくごく親しい人たちが、名残りの椿を心ゆくまで楽しむためのささやかな会。 この「椿の日」のために、友人や知人のツテを辿り、遠く深山の奥から届けられる椿の枝を、約束事に捕われることなく、花の姿に合わせては好みのうつわを取り合わせるという習慣には、心養われる思いがします。 中には遠方よりお客様をお招きし、数千余の種類があるとされる椿や侘び助の珍種の美しさを愛でつつ、「燕返し」「蜀紅」「黄鳳」などの何とも妙をこらしてつけられた椿の名とともに繰り広げられる花談義もあるとか。 毎年、しつらえる趣向は変わっても、変わらないのは同じ山の同じ樹から届けられること。 待つ人のために椿の枝を手折って送る、贈る人と待つ人の互いがあってこその花便りです。 さて、もっぱら待つ一方のわが身。時季が近づくとまず好みのうつわを取りだして、お会いしたい方々のお顔を思い浮かべます。取り合わせやしつらいを考えるうえで、大切にしていることと言えば、「簡素に」ということでしょうか。そして自分の身の丈、年齢に合わせて調えるよう心がけてはいますが、時には一寸背伸びもしたいものです。 そこで、今年の主役は黒柿の菓子器。 この六角の上皿は寄木で合わせるのが常套のところ、あえてくり出しでつくるという大胆さに心惹かれます。自然が生み出す指紋のように二つとない文様が、彫り出しゆえに柔らかい一体の曲線でつながっています。三つ足は同じ黒柿を指物で接ぎ、黒漆をかけただけのもの。格を感じさせながら自由で不敵、しかも素朴なやさしさが漂っています。作家は、古典の名作が放つ敵わない「力」を一旦のみ込み、自身の全身から瞑想的な感覚のみを通して、匹敵する新たな「力」を現象させています。 うつわが、花が、互いを待ちわびていたかのように思える穏やかな春の一日。 こんな日にめぐりあえる幸せを思うと、比叡のお山に向かって自然と手を合わせてしまいます。 そうして、あとは、逢いたい人を待つばかりです。 月刊『目の眼』2013年4月号 Auther 桑村祐子(くわむら ゆうこ) 高台寺和久傳 女将。京都の丹後・峰山で開業した料理旅館をルーツとし、現在は高台寺近くに門を構える料亭の女将として和の美意識を追求している。「心温かきは万能なり」が経営の指針。 この著者による記事: 着ることでしかわからない着心地 桑村祐子 雪持笹の火鉢 | 火のおもり 桑村祐子 耕牛図 村上華岳 作 | 徒然なるままの夏の一日 桑村祐子 無題 Conrad Jon Godly 作 | 夏の京都から スイスの高嶺を思う 桑村祐子 氷柱箱 | 涼やかな「かほり」の一滴 桑村祐子 蝶の博物画集 | 飛翔を夢みる南方の蝶 桑村祐子 風の環 武藤 順九 作 | 果てしなき時を内包する大理石のメビウス 桑村祐子 RELATED ISSUE 関連書籍 2013年12月号 No.447 浄土の風景 當麻曼荼羅から平等院鳳凰堂へ 仏が住まう清浄な世界として人々が祈り、あこがれた浄土。それはどんな風景をしているのでしょうか。人々は浄土のイメージを絵画、彫刻、建築、庭園で数多く表現してきました。今秋、サントリー美術館で開催される平等院鳳凰堂修理完成記念「天上の舞 飛天の美」展を機に、人々の浄土への夢が生み出した美を平等院の全面協力でご紹介します。 雑誌/書籍を購入する 読み放題を始める POPULAR ARTICLES よく読まれている記事 展覧会紹介 世界有数の陶磁器専門美術館、愛知県陶磁美術館リニューアルオープン Ceramics | やきもの 展覧会情報|東京国立博物館 東京国立博物館 特別展「はにわ展」|50年ぶりの大規模展覧会 Ceramics | やきもの 東京アート アンティーク レポート #4 街がアート一色に|美術店めぐりで東京の街を楽しもう Others | そのほか 展覧会紹介 「古道具坂田」という美のジャンル People & Collections | 人・コレクション 稀代の美術商 戸田鍾之助を偲ぶ People & Collections | 人・コレクション 大豆と暮らす#2 うなぎもどき|日本人と大豆の長い付き合いが生んだ「もどき料理」 稲村香菜Others | そのほか リレー連載「美の仕事」|澤田瞳子 澤田瞳子さんが選んだ古伊万里 澤田瞳子Ceramics | やきもの 花あわせ 心惹かれる花は、名もなき雑草なんです 池坊専宗Vassels | うつわ 大豆と暮らす#3 おから|大豆がつなぐ、人と食 稲村香菜Others | そのほか ビンスキを語る ビンスキは どこからきたのか 〜その美意識の起源を辿る History & Culture | 歴史・文化 美術史の大家、100歳を祝う 日本美術史家・村瀬実恵子氏日本美術研究の発展に尽くした60年 People & Collections | 人・コレクション 眼の革新 大正時代の朝鮮陶磁ブーム 李朝陶磁を愛した赤星五郎 History & Culture | 歴史・文化