世界の古いものを訪ねて#9

ショパン国際ピアノコンクールを聴きにワルシャワへ

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刺繍入りナプキン、ノクターン、そしてショパン像再考

 

 

今年10月に開催された、第19回ショパン国際ピアノコンクール。音楽ファンなら皆心待ちにしていたこのコンクールを聴きに、私もワルシャワを訪れていました。

 

初めてのポーランドで実感したのは、フレデリック・ショパンという一人の人間が、ここで確かに生きていたのだということ。ショパンが歩いた姿を思い描きながら、その旋律を聴きつつ、ゆかりの地を巡ります。

 

 

 

 

 

ショパン国際コンクールは、ポーランド・ワルシャワで5年に一度開かれる、ショパン作品のみを課題とした世界的なピアノコンクールです。1927年に始まり、1955年以降は原則5年周期で開催されていますが、前回の第18回大会はコロナ禍の影響により予定の2020年から1年延期され、2021年に実施されました。おうち時間に配信を楽しんだ方も多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

世界中から注目されるためチケットはとても人気が高く、開催1年前に販売されるチケットは文字通り瞬殺。かく言う私も1年前に日本から争奪戦に参加し、なんとか第1ステージのチケットをゲットしていたのでした。

今年の第19回大会では、課題曲に変更があったことも話題になりました。最終ラウンドで協奏曲の演奏以外に《ポロネーズ=ファンタジー》Op.61が必須課題となったことをはじめ、第2ステージの時点で《24の前奏曲》Op.28 全曲を演奏することが可能になるなど、コンテスタントの構成力と解釈がより浮き彫りに。それぞれにどのようなショパン像があるのか、私も想像を巡らせながら聴いていました。

 

 

 

 

 

ショパン像。……ピアノの詩人と呼ばれるショパンですが、やはり繊細な青年というイメージがあります。病弱で、早逝だった、儚い一生。それゆえに、どこか神格化してしまうような気持ちが、私の中にはずっとありました。

そんな印象が変わったのが、ショパン博物館を訪れたときに見た一枚のナプキン。

 

「G S」という赤い刺繍が施されたナプキンは、ジョルジュ・サンドとの同棲中に使用されていたとされるナプキンです。明記されていませんでしたが、これはおそらく「George Sand」のイニシャルでしょう。

 

 

 

 

こういった刺繍入りナプキンや、エプロンを、アンティークショップやヴィンテージ服でよく見かけます。ただそれらは、これまで私にとって匿名の記号であり、ファッションの一部でしかありませんでした。この「G S」は私にとって初めての、知っている人のために施された刺繍だったのです。

 

すると途端に、“生活”を実感します。ほつれた端。取れないシミ。その向こうに、ショパンが生きている。その視線で他の展示物を見てみると、使っていたとされるソファのファブリックにも、革の手帳にも、ショパンという一人の男性の姿が想像できます。

 

 

 

 

 

 

 

思えば、ピアノを離れたショパンについて考えることはあまりありませんでした。鍵盤ではなく、ナプキンで口元を拭いたり、肘掛けに置いたり、手帳を開いたりする、その手。ショパンはそこに確かに生き、生活をしていたのだなと、今ではアンティークと呼ばれるような古いものたちを前に考えました。

 

 

 

 

 

ワルシャワから西へ少し離れたところにある、ショパンの生家も訪れました。屋敷は建て替えられていますが、当時の様式の家具が並び、生まれたその時代を想像できる展示になっています。

 

 

 

 

 

 

 

屋敷自体も美しいですが、秋色に満ちた庭園が素晴らしく、スピーカーから流れるショパンの旋律を聴きながらしばらくお散歩。第1ステージで何名ものコンテスタントが選んでいた《ノクターン第13番 ハ短調》Op.48-1 が、ここでも流れていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

全部で21曲残っているノクターン。《第2番 変ホ長調》の旋律は、音楽を趣味にもたない人だとしても、一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。

ノクターンは、日本語表記で「夜想曲」と書きます。この言葉について私が初めて考えたのは、確か小学生の時でした。夜を想う曲、あるいは夜に想う曲と書いてノクターンというのは、どういうことだろう。夕方頃、暗くなっていく空を見ながら、もう夜になるのだと寂しくなること?遠い星の美しさについて思うこと?好きな人と会えない時間について考えること?当時の私には、21時がイメージの限界でした。

 

それから少し大人になって、私は夜にグラデーションがあることを知ります。そうして、むしろノクターンは、明け方の夜空にこそ合うのではと思い始めました。貴族のサロンにて夜毎おこなわれるソワレ(夜会)で、切なく美しいピアノを聴かせ、紳士淑女を虜にしていたショパン。彼が仕事を終え、家路につく頃。その時間の白んだ夜こそ、夜想曲の夜の色なのだと。

 

ショパンという人間の解像度が少し高くなった今、ノクターンを聴きながら、改めて夜明けに彼が歩く姿を想像します。ショパンは、何色の空を見たのだろう。

 

 

 

 

先にショパンのイメージについて、繊細な青年と表現しました。病弱で、早逝で、ワルシャワに帰ることが叶わなかった、儚い一生。それゆえに、美しい旋律の裏に、いつも少しの哀しさを感じる。私はその哀しさに、求めていたものに手を伸ばしても届かなかった様子を想像していたのですが、もしかしたらそれは少し違うかもしれません。ショパンは、手を伸ばし続けていたのかもしれない。求めていたものに手が届かなくても、手を伸ばし続けていた。姿は同じですが、届かなかったのと伸ばし続けていたのとでは、ずいぶん気持ちが変わります。そしてそうすると、美しさの裏の哀しさの、その向こうに、燃えるようなものをも感じられるのです。

 

 

 

 

さて、ショパン国際コンクールは毎回、彼の命日(10月17日)の時期に開かれます。パリで息を引き取ったショパンは、彼自身の願いにより心臓のみ祖国ワルシャワへと帰り、聖十字架教会に安置されました。

 

 

 

 

 

 

 

聖十字架教会では、毎年ショパンの命日に追悼ミサが行われていますが、コンクール開催の今年も多くのファンが訪れたそうです。ショパンは確かに生き、そして今も、素晴らしいピアニストたちを通じて生き続けているのですね。

 

 

 

 

連日朝から開催されるコンクールも、最後のグループを聴き終え外に出ると、もう外は真っ暗。ただ、ワルシャワは街に可愛いネオンが多く、つい夜に出歩きたくなります。寒いポーランドの夜を歩きながら、彼は何色の空を見たのだろうと、もう一度考えました。その色は変わらず今も明け方にやってくるのだろうか、私も見たことがあるのだろうか、と。

 

 

 

 

 

 

 

雨に濡れた路面をゆっくり歩いていると、ショパンは想像上の人物ではなく、生きた身近な人間として、そこにいる気がしました。私も手を伸ばし続けよう。ショパンの旋律と、コンテスタントたちの演奏に勇気をもらい、そんなふうに感じることができたワルシャワ滞在。顔を上げると、ネオンが反射する夜の空は夜明けに向かって、いっそう美しく輝いていました。

 

 

Auther

山田ルーナ

在英ライター/フォトグラファー

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